タイトル未定2026/08/17 03:53
診療所の午前の勤務が終わり、マスターは診療所に併設された実家で昼休憩をとっていた。
家政婦のまちこが作った昼ご飯を、目の前で食べているマスターに、まちこは聞いてきた。
「大門君は、何年生になりましたか?」
「中学生に、なりました」
「中学生!見ない内に、そんなに大きくなったんですか!」
「子供の成長は、早いですね」
麻生大門大門は、マスターの養子。
大門は自分が養子と言う事実を全く知らないが、マスターと大門は本当の親子のようだった。
大門がマスターの養子と言うことを知っているのは、流花と緑と父親と家政婦のまちこだけだった。
父親とまちこは大門が養子と言うことはマスターから聞かされて知っていたが、大門が養子になった経緯までは知らなかった。
「大門君、朝ご飯ちゃんと食べているのかしら」
「大丈夫です。大門、自炊をしています。ボクなんかとは違って、しっかりしています」
「そうねぇ、坊っちゃんは自分のことは無頓着ですからね」
まちこの言うことに、反論ができないマスターは、黙ったままお茶碗を持って白米を食べた。
「中学生じゃあ、忙しいでしょ」
マスターは、ゆっくりお茶碗を置いてから、まちこの問いに答えた。
「まだ、中学生になったばかりですから、これから忙しくなると思います。おまちさん、携帯持っていましたよね」
「たいして、使っていないけどね」
「中学生になったのを機に、大門に携帯を持たせました」
「大門君が、携帯!」
「大門と、ラインでやりとりをしています」
まちこは、深くため息をついた。
「ラインなんて、年寄りにはついていけないわ」
「便利ですよ。たきさんだって、ラインを使いこなしているし」
「たきちゃんは、私より三歳年下よ。この三年は、大きいわよ」
マスターは、ゆっくり味噌汁を飲んだ。
……三年か。ボクと流花は、十歳年が離れている。この先、いろんなギャップを感じるだろう。
「ごちそうさまでした」
マスターがイスから立ち上がり、食べ終えた食器を流し台に運ぼうとした時だった。
「お帰りなさいませ」
食卓にマスターの父親が入ってきた。
マスターは、食器を流し台に置くと「お願いします」とまちこに言い、逃げるように食卓を出ようとした。
「話がある。戻って来い」
マスターの背中に、父親が言葉を投げた。
マスターは無視をしようと思ったが、父親の声のトーンから避けられないとわかった。
無視をしたところで、散々嫌味を言われることは、目に見えている。
それなら、今ここで話を聞いた方が楽だ。
食卓に戻ったマスターは父親に背を向け、流し台で電気ケトルに水を入れてお湯を沸かした。
父親は食卓のテーブルに座り、まちこは昼ご飯をテーブルの上に並べた。
「つきあっている女性がいると聞いたが」
……誰から、聞いたんだ?
マスターは、父親に驚きを悟られないように、茶だんすからマグカップを出していた。
「本当なんだな」
「ボクが、何才だと思っているんだよ。彼女くらい、いるよ」
お湯が沸き、マスターはコーヒーを淹れていた。
「なんで、急にそんな話をするんだよ」
「朝倉が、娘さんのしのぶさんとお前を、つき合わせたいと言っている」
……朝倉しのぶさんか。
しのぶとは強引な見合いで初めて知り、その後成り行きで二度食事をしたことがあった。
しのぶは、夜遅い仕事帰りのマスターをマンションの前で待っていたことがあった。
「ボクに、彼女がいることを知っているんだろ。よくそんな話を、ボクに振るな」
「お前の気持ちを、知りたかっただけだ」
……なるほど、そう言うことか。
「彼女がいるのに、他の女性と付き合うわけないだろ」
マスターは、コーヒーを淹れたマグカップを持って、流し台から離れようとした。
父親は、マスターを引き止めるように言った。
「つきあっている彼女って、どんな女性だ?」
歩きかけたマスターは、初めて父親の方を向いた。
「……そんなこと、軽々言うわけないだろ」
言いながら、マスターはまちこの方を向いた。
『流花のことは、黙っていてください』
マスターはそう言いたげに、まちこを見つめた。
マスターの目は、今まで見たことがない、刺すような目つきをしていた。
そんな目で見つめられたまちこは、背中に冷水を浴びた気分になり震えた。
マグカップを持ったまま、マスターは二階の部屋に行った。
部屋には、マスターが学生時代使っていた机がそのままになっていた。
机のイスに腰掛けたマスターは、ゆっくりコーヒーを飲んだ。
マグカップを机の上に置くと、携帯を出し待受画面を眺めた。
波打ちぎわで、流花が振り向いた画像だった。
大門の小学六年生の卒業式が終わった後、学校の校庭で流花が言った言葉を思い出す。
『……マスター私は……大門君の母親にはなれない』
そんなことは、百も承知だった。
流花が大門の母親になってほしいなんて、マスターは少しも望んでいない。
……流花は、一級建築士を目指している自立心がある女性だ。
流花とは、年の差だってある。
この先流花は、同世代の男性に目を向けてしまうことだってあるだろう。
その相手は……。
マスターは、敢えて思い出さないようにした。
ボクにはとめることなんて出来ないし、責める事も出来ない。
流花が側にいる。
それだけで良い……。




