第5話 魔王軍と取引します。ただし条件は全部こちらで決めます
書状の差出人は、魔王軍北部補給隊だった。
対価として鉱石、薬草、獣皮、労働力の提供が可能。武装兵は町に入れない。取引場所は町外れの石橋。交渉役は一名。
町長、ノリス、冒険者ギルドの支部長、マルタ、そして私は、役場でその書状を読んだ。
会議は荒れた。
「罠だ」
「魔族など信用できるか」
「王国に知られたら反逆だ」
「だが、向こうが飢えているなら、無理に攻め込まれる方が危険だ」
「食糧を渡せば、魔王軍を助けることになる」
私は黙って聞いていた。
石板に触れる。
(罠の可能性は?)
『不明。ただし書状の内容は侵攻前の脅迫文としては非効率。食糧不足の実在可能性が高い』
(取引した場合、この町の食糧は足りる?)
『現在の備蓄では余裕なし。ただし余剰豆、乾燥芋、低品質穀物に限定すれば冬季リスクは許容範囲』
(王国から罰せられる可能性は?)
『政治的リスク高。ただし王国軍は現在、北西街道の実効支配能力が低下』
(最も生存率が高い選択は?)
『条件付き交易。武装解除、町外取引、数量記録、先払い、相互不可侵文書の作成』
私は顔を上げた。
「交渉すべきです」
部屋の全員が私を見た。
冒険者ギルドの支部長が眉をひそめる。
「本気か?」
「はい。ただし、条件はこちらで決めます。町の中には入れない。武装兵は石橋より南へ来させない。食糧は余剰分に限定。対価は先払い。数量、対価、相手の署名、すべて記録します」
ノリスが青い顔で言った。
「記録するんですか?」
「します」
「隠さないんですか?」
「隠したら、バレたときに完全な裏切りになります。記録があれば、少なくともこれは軍事支援ではなく、町を守るための条件付き交易だと主張できます」
「バレる前提なんですね」
「記録係なので」
町長が目を細める。
「魔族に求める対価は?」
「鉱石と薬草。それから、水路修理に詳しい技術者を三名」
粉屋が大声を上げた。
「魔族の技術者を町に入れる気か!」
「町には入れません。まずは町外れの旧水門を見せます。魔王領北部は地下水路が発達していると聞いたことがあります。飢饉でも井戸が枯れにくい理由があるはずです」
町長が呟いた。
「敵から学ぶのか」
「敵でも、水は低い方へ流れます」
沈黙。
最初に笑ったのはマルタだった。
「いいじゃないか。剣より水路の方が、この町には大事だよ」
取引の前に、町は北西街道防衛隊へ早馬を出した。
《魔王軍北部補給隊より接触あり。町防衛上、交渉の必要あり。至急指示を求む》
返事は来なかった。
防衛隊は勇者遠征に兵を回され、詰所は半ば空になっていたからだ。
二日待った。
三日目の朝、町長は言った。
「待っている間に、町が燃えるかもしれん。現地判断だ」
最終的に、交渉は行われた。
石橋の北側に現れたのは、黒い角を持つ女騎士だった。
彼女は名乗った。
「魔王軍北部補給隊、エイラ。交渉に来た」
町長が名乗り返す。
私は隣で記録を取った。
交渉は、静かに始まった。
魔族側は食糧を求めた。
こちらは対価と安全保証を求めた。
相手は最初、技術者の派遣を拒んだ。
だが、こちらが乾燥豆の量を減らすと言うと、態度を変えた。
「水路技師を二名、十日間なら出せる」
「三名、二十日」
「無理だ」
「では食糧も無理です」
女騎士エイラは私を見た。
「お前が決めているのか?」
「記録しています」
「記録係が一番強い顔をしている」
「よく言われます」
嘘だ。
一度も言われたことはない。
エイラは少しだけ笑った。
最終的に、取引は成立した。
魔王軍は、余剰の乾燥豆と芋を得た。
ルカは、鉱石、薬草、獣皮、そして水路技師三名を得た。
取引場所は町外れ。武装兵の進入は禁止。数量は双方の記録係が確認する。互いに、次の取引日まで石橋を越えて武装侵入しない。
不思議な光景だった。
人間と魔族が、剣ではなく秤を挟んで向かい合っている。
それは勇者物語では、たぶん描かれない場面だ。
けれど、町を生かすのは、そういう場面だった。
魔族の水路技師たちは優秀だった。
彼らはルカの水路を見るなり、第三水門のさらに上流に問題があると指摘した。地下に古い分水路が埋まっており、そこへ水が逃げているという。
半信半疑で掘ると、本当に古い石組みの水路が出てきた。
王国の地図には載っていない。
古代文明の遺構だった。
その石組みを見た瞬間、胸元の石板が強く震えた。
『旧式農業用水路を検出。稼働停止から推定四百九十二年』
(直せる?)
『一部再稼働可能』
魔族の技師と町の職人、農夫たちが協力して、古い分水路を掘り起こした。
作業は簡単ではなかった。
石は重く、泥は深く、途中で支柱が崩れかけた。魔族の技師と人間の職人が怒鳴り合い、粉屋が余計な口を出し、マルタが全員に薄いスープを配った。
私は記録を取り、必要な資材を数え、次に崩れそうな箇所を石板に確認した。
十日後、古い分水路に水が流れた。
最初は細い流れだった。
けれど、それは確かに、乾いた南畑へ向かっていた。
農夫の一人が、泥だらけの顔で泣いた。
「これで、冬を越せる」
私は何も言えなかった。
ただ、帳面に書いた。
《南畑、通水確認》
だが、記録は味方になると同時に、敵にも道を示す。
魔王軍との取引が王都に知られたのは、それから十二日後だった。
原因は三つあった。
一つ目は、ボーザックの商隊が運んだ鉱石だった。
魔王領北部の鉱石には、補給隊が管理用に刻む小さな角印がある。ルカで受け取った鉱石を王都方面へ売りに出したところ、途中の関所でその刻印を見つけられた。
二つ目は、関所の積荷台帳だった。
ボーザックは商人として正直に、積荷の出所を「ルカ町役場管理分」と書いていた。書かない方が怪しまれるからだ。
三つ目は、密告だった。
水車の稼働時間を減らされた粉屋の親戚が、王都の役人に手紙を送ったらしい。
《ルカは魔族と通じ、王国の穀物を敵に流している》
事実とは違う。
だが、完全な嘘でもない。
王都はすぐに動いた。
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