第4話 勇者様、その徴用命令は無効です
さらに一月が過ぎたころ、ルカに王国軍の伝令が来た。
町役場の前で馬を止めたのは、見覚えのある騎士だった。勇者パーティーの補給隊にいた男だ。
彼は私を見るなり、驚いた顔をした。
「ミラ殿?」
「お久しぶりです」
「ここにいたのですか」
「はい」
騎士は疲れ切っていた。鎧は泥だらけで、唇は乾いている。
「勇者様が、あなたを探しています」
町役場の空気が変わった。
ノリスが私を見る。町長も、マルタも、近くにいた農夫たちも。
「何のために?」
「遠征計画が崩れています。補給線が維持できません。魔王領北部で飢饉が起きているという情報もあり、魔物の動きが予測と違います。勇者様は……あなたが必要だと」
「王国軍の本隊書記がいるはずです」
「います。ですが、現場の判断が追いつきません」
騎士は言いにくそうに続けた。
「それと、あなたの黒い魔道具も」
ヴィクトルだ。
私はすぐにわかった。
彼は石板の価値に気づいたのだろう。
その日の夕方、勇者レオンがルカに来た。
かつての輝きは、少し薄れていた。
鎧には傷が増え、外套の裾は泥で固まり、目の下には濃い隈がある。背後には聖女セリアと宮廷魔導師ヴィクトルがいた。
剣聖ガルドはいない。
「ガルドさんは?」
私が尋ねると、レオンは顔をしかめた。
「膝を痛めた。王都で療養している」
何度も休ませてくださいと言った。
けれど、それを今ここで口にするのは、刃物で傷口をなぞるようなものだった。
レオンは町長の前で、私に向き直った。
「ミラ。戻ってこい」
町役場の前に、人が集まり始めていた。
勇者が来たのだ。無理もない。
「命令ですか」
「要請だ。だが、王国軍務局の内示もある」
レオンは書類を出した。
以前よりも強い文面だった。
ミラ・ノートンを北西遠征軍の補給補佐として再配置することを求める。
しかし、そこにもまだ王印はない。
軍務局長の署名もない。
勇者レオン名義の要請書に、軍務局の下級官吏の確認印が押されているだけだった。
「正式な召還状ではありません」
私が言うと、レオンの顔に苛立ちが浮かんだ。
「今は書類の話をしている場合ではない」
「私は書類の話をするために派遣されていた人間です」
町長が低く笑った。
レオンは彼を睨んだ。
「町長。これは王国全体の危機だ。彼女を引き渡してもらう」
町長グレンは、杖をついて前に出た。
「ミラは現在、ルカ町役場の臨時雇いだ。本人の同意なしに引き渡す権限は、わしにはない」
「勇者には戦時徴用権がある」
「戦時徴用権は、物資、馬、宿、冒険者登録者に限られる。町役場の臨時書記を鎖で引く権限ではない」
町長は私を見た。
「そうだったな?」
私は頷いた。
「はい。王国軍務規則、第七章、臨時徴用の範囲です」
レオンは黙った。
ヴィクトルが一歩前に出る。
「ならば、その古代遺物を検分する。王城由来のものなら、所有権は王国にある」
私は石板に触れた。
『強制接触要求を検出。拒否を推奨』
「お断りします」
「拒める立場ではない」
ヴィクトルの指先に魔力が集まる。
その瞬間、マルタが私の前に立った。
「女の胸元に手を伸ばすなら、まず私をどかしてからにしな」
粉屋も、農夫たちも、冒険者ギルドの支部長も、ゆっくりと集まってきた。
勇者相手に勝てるはずがない。
それでも、彼らは退かなかった。
レオンは剣の柄に手をかけた。
空気が凍る。
私は石板に触れた。
(衝突した場合は?)
『町側死傷者多数。勇者側社会的信用低下。北西街道補給拠点喪失。王国軍遠征継続確率さらに低下』
私は一歩前に出た。
「レオン様。ここで剣を抜けば、あなたは魔王と戦う前に、王国の宿場町を斬ることになります」
「脅すのか」
「記録します」
私は帳面を掲げた。
「誰が、いつ、どの権限で、何をしようとしたのか。私は記録します。あなたが私を嫌った理由は、それでしょう」
レオンの手が止まった。
彼は勇者だ。
だが、王国そのものではない。
この場で町を敵に回せば、北西街道の補給拠点を失う。勇者が無辜の町民を脅したとなれば、王都の後援者たちも庇いきれない。
それを、彼も理解していた。
「十日だ」
レオンは低い声で言った。
「十日以内に、王都監察官を連れてくる。正式な権限で、お前とその遺物を連れていく」
それは撤退ではなかった。
猶予だった。
私は頷いた。
「その時は、正式な書類を確認します」
レオンは何かを言いかけ、やめた。
彼らはその日のうちにルカを出た。
町の人々はしばらく騒いでいたが、夜になるといつもの生活に戻った。
そして、次の問題が起きた。
ルカの北の森で、魔族の斥候が見つかったのだ。
町は一気に緊張した。
男たちは武器を取り、女たちは子どもを家に入れ、冒険者ギルドの支所には討伐依頼を出せという声が集まった。
だが、斥候は攻めてこなかった。
森の入口に白い布を結び、そこに一通の書状を置いて去った。
内容は、降伏勧告ではなかった。
食糧の購入を求めるものだった。




