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第14話 セシル、踏まないために刺す

 社交の授業は、たいてい退屈だ。


 退屈だが、油断すると足をすくわれる。


 礼の角度。

 扇の開き方。

 会話を切り上げるタイミング。

 相手の家格に応じた距離。

 相手の失言を聞かなかったことにする技術。

 聞かなかったことにしたふりをしながら、あとで利用する技術。


 貴族社会は大概性格が悪い。


 人はここまでして優雅に見せたいものなのか。


 今日の授業は、模擬茶会だった。


 生徒たちは数人ずつに分かれ、設定された立場で会話する。


 商談前の挨拶。

 婚約祝い。

 舞踏会での初対面。

 家同士に緊張がある相手との会話。

 不愉快な噂をやんわり否定する会話。


 最後の項目で、白百合会の面々が一斉に顔を上げた。


 嫌な予感しかしない。


 ロゼ先生が課題を読み上げた。


「本日の応用課題です。あなたは茶会に招かれました。そこで、自分の所属する会について、事実と異なる噂を流されます。ただし、相手を公然と非難すれば場を壊す。相手を完全に放置すれば噂は広がる。どのように返しますか」


 完全に白百合会案件である。


 授業に見せかけた実戦訓練。


 この先生、刃物をカリキュラムに混ぜるのがうまい。


 生徒たちは四人組に分かれた。


 私の組は、セシル、リリアナ、そして子爵家の令嬢エステル。


 濃い。


 かなり濃い。


 紅茶なら渋すぎて舌が死ぬ。


「では、役を決めましょう」


 リリアナが言った。


「私が噂を流す役をしますわ」


 セシルが即答した。


 全員が見た。


「なぜ?」


 私が聞くと、セシルは扇を開く。


「得意ですもの」


 堂々と言った。


 自分の過去の武器を、教材として差し出している。


 なかなかできることではない。


 だが「得意ですもの」と言い切るのはどうなのか。まあ得意だろう。嫌な納得だ。


「では、私が白百合会側で受けます」


 エステルが言った。


「私は同席者を」


 リリアナが続く。


 私は残った役を見る。


「私は?」


 セシルが微笑む。


「場を観察して、あとで批評なさっては?」


「楽な役ですね」


「あなたが会話に入ると、すぐ場があなた中心になりますもの」


 刺してくる。


 しかも正しい。


「分かりました。観察します」


 セシルの目が少し楽しそうに光った。


 この人、模擬茶会で人を刺す気満々である。


 ロゼ先生の合図で、各組の演習が始まった。


 私たちは小さな丸テーブルを囲む。


 白いクロス。


 磁器のカップ。


 模擬とはいえ、茶菓子も出ている。


 学園の社交教育は妙に本格的だ。


 人類は争い方を教える時ほど設備投資を惜しまない。


 セシルは優雅にカップを持ち上げた。


 その瞬間、空気が変わる。


 彼女は今、セシル・バルディアではない。


 社交界の微笑む刃物だ。


「ご存じかしら、エステル様」


 声は柔らかい。


「最近、白百合会という集まりでは、婚約を軽んじるような話がされているそうですわ」


 エステルは表情を変えずにカップを置いた。


「興味深いお話ですね。どちらでお聞きに?」


 よい。


 まず出所を聞いた。


 セシルは微笑む。


「まあ、茶会の噂ですわ。皆様、ご心配なさっているようで」


「皆様、とは?」


「ご令嬢のご家族や、婚約者の方々など」


「なるほど」


 エステルは頷く。


「白百合会では、婚約を軽んじる話はしておりません。ただ、婚約について不安がある場合、本人が相談できる先を持つことは大切だと考えています」


 かなり堅実な返答。


 だが、セシルはそこを逃さない。


「相談。素晴らしい言葉ですわね。けれど、相談という名で、若いご令嬢方が家の決定を疑うようになれば、困る方もいらっしゃるのでは?」


 リリアナが少し緊張する。


 エステルは答える。


「家の決定を疑うこと自体を、悪とは考えません」


 強い。


 だが、少し強すぎる。


 相手に攻撃材料を与える。


 セシルの目が細くなる。


「まあ。白百合会は、家の決定を疑う会なのですか?」


 来た。


 言葉の切り取り。


 エステルの表情が硬くなる。


 私は黙っていた。


 口を出すな。


 これは模擬茶会だ。


 エステルが少し息を吸う。


「いいえ。白百合会は、家の決定を疑うための会ではありません」


「では?」


「自分が何を感じ、何を考えているのかを、まず言葉にするための会です」


 リリアナがほっとしたように頷く。


 よい返しだ。


 だが、セシルはさらに微笑む。


「自分が何を感じているか。まあ、たいへん大切ですわね。でも、感情に従ってばかりでは、家も婚約も成り立ちませんわ」


「感情だけに従うとは申し上げておりません」


「けれど、そう聞こえる方もいらっしゃるかもしれませんわ」


「その場合は、誤解です」


「誤解は怖いですわね。白百合会の皆様は、言葉を大切になさるのでしょう?」


 セシル、容赦がない。


 自分がかつてやっていた「柔らかい追い込み」を完全再現している。


 観察役としては非常に勉強になる。


 同時に胃が痛い。


 エステルは少し詰まった。


 彼女は正面から議論するのが得意だ。


 だが、こういう社交の場では、正面から正しさを投げるほど相手に利用される。


 エステルの強さは、茶会では少し尖りすぎる。


 リリアナが同席者として口を開いた。


「セシル様」


 おっと。


 リリアナが入った。


「白百合会の説明は、まだ私たちも練習中です。もし誤解されやすい言葉があったなら、今日のように教えていただけると助かります」


 柔らかい。


 しかし、逃げていない。


 相手を敵にせず、誤解の可能性を受け取った。


 セシルは楽しそうに目を細める。


「では、私が申し上げてもよろしいかしら」


「はい」


「白百合会は、自分の言葉を持つことを大切にしている。けれど、それが『家に逆らうこと』や『婚約を拒むこと』と同じではない。そう明確に伝えたほうがよろしいですわ」


 リリアナは頷いた。


「ありがとうございます」


「そしてもう一つ」


 セシルはカップを置く。


「白百合会は、誰かの人生を代わりに決める会ではない。これも言うべきです」


 これは、セシル自身の言葉だった。


 噂役ではなく、白百合会の一員としての言葉。


 演習の中に本音が混ざった。


 リリアナは少し微笑んだ。


「はい」


 そこでロゼ先生が手を叩いた。


「そこまで」


 演習終了。


 私は息を吐いた。


 自分が話していないのに疲れた。


 人間の会話は、見るだけでも体力を奪う。燃費が悪い。


 ロゼ先生が私たちの席に来た。


「バルディア嬢」


「はい」


「噂を流す役としては、非常に的確でした」


「ありがとうございます」


「褒めきれませんね」


「でしょうね」


 セシルは少し肩をすくめる。


 ロゼ先生は続ける。


「あなたは、相手の言葉を切り取る癖をよく理解しています。以前、自分が使っていたからでしょう」


 セシルの表情が少し硬くなる。


「はい」


「それを再現できることは強みです。ただし、再現に快感を覚えないように」


 刺す。


 さすがロゼ先生。


 セシルの顔が少し赤くなった。


「……はい」


「クレイン嬢」


 エステルが姿勢を正す。


「あなたは正面から答えすぎました。正しさをそのまま出すと、社交では切り取られます」


「はい」


「ただ、言い換えの芯はよかった。『自分が何を感じ、何を考えているのかを言葉にする』。これは残しなさい」


「分かりました」


「ベル嬢」


「はい」


「あなたは場を壊さず、誤解を受け取る形で入った。よい判断です」


 リリアナの顔が少し明るくなる。


「ただし、謝りすぎないように」


「はい……」


「『誤解させてしまい申し訳ありません』と言うと、相手に責任がない形になります。『誤解されやすい表現でした』程度で十分です」


「分かりました」


 ロゼ先生は最後に私を見る。


「クラウディア嬢」


「はい」


「よく黙っていました」


 褒められた。


 たぶん。


「ありがとうございます」


「ですが、観察者として何を見ましたか」


 来た。


 黙って終わらせてはくれない。


 私は少し考えた。


「セシルさんの噂役は、相手の言葉を否定するのではなく、相手の言葉を少しだけずらしていました」


「続けて」


「エステルさんは、正確に返そうとして、逆に強い言葉を出しすぎた場面がありました。リリアナさんは、相手の指摘を敵意として受け取らず、誤解の可能性として受け止めた。結果として、セシルさんが白百合会側の言葉を補う余地ができたと思います」


 ロゼ先生は頷いた。


「悪くありません」


 やった。


 いや、喜ぶところか?


 教師に悪くないと言われて喜ぶ公爵令嬢。


 小学生か。


「ただし」


 来た。


「あなたは今、少し嬉しそうでした」


「そこまで見ますか」


「見えます」


「気をつけます」


「気をつけるだけでは足りません」


「最近そればかり」


 ロゼ先生は少しだけ笑った。


「授業ですから」


 模擬茶会の後、生徒たちはそれぞれ反省を書いた。


 私は観察者として、セシルの「刺し方」について考えていた。


 セシルは相手を踏むことが得意だ。


 相手の言葉の隙を見つけ、家格や品位や場の空気を使って逃げ道を塞ぐ。


 それは危険な力だ。


 けれど、今日の最後。


 彼女は相手を潰すためではなく、白百合会が誤解されないために、その技術を使った。


 刺す。


 でも、踏まない。


 いや、刺すのもどうなのか。


 しかし、貴族社会では刺さなければ身を守れない場面がある。


 問題は、刺し方と深さだ。


 殺すためではなく、距離を取るために刺す。


 嫌な技術だ。


 でも、必要なのかもしれない。



 放課後。


 白百合会は模擬茶会の反省会を開いた。


 参加者はいつもの面々に加え、授業で白百合会の噂役をやった数名も来ていた。


 どうやら興味を持ったらしい。


 また増える。


 もう知らない。


 増えろ。


 いや、増えすぎるな。


 リリアナが前に立つ。


「今日は、社交の場で白百合会について誤解された場合の返し方を考えます」


 クラリスが黒板に書く。


『誤解への返答練習』


 マチルダが事前に作った紙を配る。


 そこには、噂の例が並んでいた。


『白百合会は婚約破棄を勧める会らしい』

『白百合会は男嫌いの集まりらしい』

『白百合会はエリシア様の派閥らしい』

『白百合会に入らない令嬢は遅れているらしい』

『白百合会は下級貴族の不満を煽っているらしい』


 全部、実際に出た噂である。


 胃が重い。


 リリアナは言った。


「今日は、これらに対して、相手を敵にしすぎず、しかし事実は訂正する言葉を考えます」


 セシルが前に出る。


「その前に、一つ」


 全員が見る。


 セシルは扇を閉じていた。


「私は、こういう場で相手を言い負かすのが得意です」


 自分で言った。


「ですが、言い負かすことと、誤解を解くことは違います」


 彼女は少しだけ目を伏せる。


「以前の私は、その違いを考えませんでした。相手が黙れば勝ちだと思っていました。でも、黙らせた言葉は、あとで別の場所で噂になります」


 説得力がある。


 実体験から来ている。


 加害側の技術を、今は共有しようとしている。


「ですから、今日は三つに分けましょう」


 セシルは黒板に書いた。


『訂正する』

『境界を引く』

『追い詰めない』


「訂正する。事実と違うことは違うと言う。

 境界を引く。失礼な言葉には、受け入れないと示す。

 追い詰めない。相手に引き返す余地を残す」


 私は後方で目を細めた。


 これは、かなり重要だ。


 セシルが、自分の武器を手順化している。


 踏むためではなく、踏まないために。


「たとえば」


 彼女は一枚の紙を持ち上げた。


『白百合会は婚約破棄を勧める会らしい』


「これに対して、『そんな下品な噂を信じるなんて、どこの家の教育ですの?』と言うことはできます」


 何人かが笑った。


 セシルは真顔だった。


「できますが、やりすぎです」


 自覚がある。


 よい。


「代わりに、こう返します」


 セシルは声を整えた。


「白百合会は婚約破棄を勧める会ではございません。婚約について不安がある場合、本人が相談先を持てるようにしているだけですわ。もし誤解されている方がいらっしゃるなら、ぜひ直接お尋ねくださいませ」


 美しい。


 やや棘がある。


 しかし、ちょうどいい。


 マチルダが頷く。


「事実の訂正と、問い合わせ先の提示ですね」


「ええ」


 エステルが言う。


「直接お尋ねください、は少し挑発的では?」


「少しだけ」


「少しだけならよいのですか」


「相手に、陰で言うより表で聞け、と示す必要がありますもの」


 なるほど。


 セシルの言葉は、柔らかいが逃げていない。


 リリアナが次の紙を持つ。


『白百合会は男嫌いの集まりらしい』


 部屋が少しざわつく。


 この噂は地味に多い。


 自分たちの困りごとを話しているだけで男嫌い扱いされる。人類の被害者意識はよく育つ。雑草より強い。


 リリアナは少し考えて言った。


「白百合会は、男性を嫌うための会ではありません。令嬢たちが、自分の困りごとや考えを話し合うための会です」


 セシルが頷く。


「よろしいですわ。ただ、少し弱い」


「弱い?」


「相手がさらに『でも男への不満を言っているのでしょう』と来たら?」


 リリアナは詰まる。


 エステルが口を開いた。


「不満がある場合もあります。それを話すことと、男性全体を嫌うことは違います」


 セシルが微笑む。


「よいですわ」


 クラリスが書く。


 マチルダが整理する。


「では、回答例はこうでしょうか」


『男性への不満が話題になることはあります。しかし、それは男性全体を嫌うことではなく、具体的な困りごとを扱うことです。』


 リリアナが頷く。


「それがよいです」


 次。


『白百合会はエリシア様の派閥らしい』


 全員が私を見た。


 見るな。


 いや、見ろ。


 これは私の問題でもある。


 私は手を上げた。


「私が言っても?」


 リリアナが頷く。


「お願いします」


 私は立ち上がらず、座ったまま言った。


「白百合会は、私の派閥ではありません。私は創設のきっかけの一人ではありますが、代表でも顧問でもありません。会の方針は、参加者が話し合って決めています」


 セシルがすぐに言う。


「それは正確ですが、あなたが言うと逆に怪しいですわね」


「どういうこと」


「本当に黒幕の人もそう言いますもの」


 ひどい。


 だが、分からなくもない。


 黒幕はだいたい「私は関係ない」と言う。人類の物語教育の弊害である。


 マチルダが言った。


「この噂には、白百合会側から具体的な運営構造を示すのがよいと思います。代表、書記、会計、会議での決定方法など」


 エステルが頷く。


「エリシア様を否定するより、会の仕組みを示すほうがよい」


 セシルも頷く。


「その通りですわ。『エリシア様の派閥ではありません』と繰り返すほど、エリシア様の影が濃くなりますもの」


 私は胸が少し痛んだ。


 私の名前を出さないほうが、会にとってよい。


 分かっている。


 それでも、痛む。


 マチルダがこちらを見た。


「エリシア様」


「何?」


「過剰支出です」


「まだ何も言ってない」


「表情が」


「顔に出すぎね、私」


「はい」


 会場に少し笑いが起きた。


 私は肩をすくめた。


 笑われるくらいでちょうどいい。


 白百合の君として崇められるより、顔に出る人として笑われるほうが健全だ。


 たぶん。


 次。


『白百合会に入らない令嬢は遅れているらしい』


 これは重い。


 内部の誇りが外に向いた時の噂。


 リリアナが真剣な顔で言った。


「白百合会に入るかどうかは、本人の自由です。参加しないことは、遅れていることでも、間違っていることでもありません」


 エステルが加える。


「むしろ、参加しない自由を守れなければ、白百合会は自分たちが反対しているものと同じになります」


 セシルが頷く。


「よろしいですわ。少し硬いけれど」


 クラリスが書く。


 最後。


『白百合会は下級貴族の不満を煽っているらしい』


 これは危険だ。


 政治的に聞こえる。


 エステルの目が鋭くなる。


「不満を煽っているのではなく、すでにあった不満を言葉にしているのです」


 強い。


 かなり強い。


 セシルが少し眉を上げる。


「正しいですが、茶会では燃えますわね」


「燃えてもよいのでは?」


「燃えた後、誰が消しますの?」


 エステルは黙った。


 セシルは続ける。


「あなたの言葉は必要です。でも、出す場所を選ばないと、相手は『やはり危険思想だ』と言いますわ」


 エステルは少し悔しそうにする。


 だが、反論しない。


 リリアナが考える。


「では、こうでしょうか。白百合会は、下級貴族に限らず、学園生活で困っている令嬢たちが相談し合う場です。不満を煽るのではなく、問題を整理し、必要なら先生や学生会に相談します」


 マチルダが頷く。


「現実の活動に基づいています」


 セシルも頷いた。


「よろしいですわ。少し退屈ですが、退屈な回答は時に強いです」


 退屈な回答は強い。


 名言にしたい。


 いや、しない。


 でも、よい。


 派手な言葉は広がる。


 退屈な言葉は燃えにくい。


 白百合会には、時々退屈さが必要だ。


 クラリスが書き留めながら、ふと顔を上げた。


「今日の記録は、実用文集にできますね」


 全員が彼女を見る。


「白百合会についての誤解に対する回答例として」


 マチルダが頷く。


「必要です」


 エステルも。


「各自がばらばらに答えると、また誤解が出ます」


 セシルが扇を揺らす。


「ただし、丸暗記すると不自然ですわ。回答例はあくまで例に」


 リリアナが言う。


「では、『白百合会へのよくある誤解と返答例』として作りましょう」


 できた。


 FAQだ。


 異世界令嬢互助会、FAQを作る。


 人類、本当にすぐ文書化する。


 まあ必要だ。


 必要だが、笑える。


 私は後方で少し肩を震わせた。


 マチルダが見た。


「エリシア様」


「何?」


「過剰支出ですか?」


「いえ、今回は純粋に面白くて」


「そうですか」


「白百合会がついにFAQを持つのだと思って」


「えふ、えー、きゅー?」


 しまった。


 前世語が出かけた。


「よくある質問集、という意味です」


「なるほど」


 クラリスの目が輝いた。


「良いですね。よくある質問集」


 また紙が増える。


 もういい。


 必要な紙だ。


 白百合会はその日、正式に「よくある誤解と返答例」の作成を決めた。


 担当はクラリスとセシル。


 実務確認はマチルダ。


 代表確認はリリアナ。


 外部からの危険な解釈にはエステルが目を通す。


 私は関与しない。


 私の名前が出る項目だけ、必要なら確認する。


 ちょうどいい。


 たぶん。


 会が終わった後、セシルが私のところへ来た。


「エリシア様」


「何?」


「今日はどうでした?」


「何が?」


「私の刺し方ですわ」


 言い方。


「上手でした」


「褒めていますの?」


「はい。ただし、上手すぎて怖いです」


「でしょうね」


 彼女は少し笑った。


 それから、すぐ真顔になる。


「今日、噂役をやっていて、少し楽しかったですわ」


 正直だ。


「相手の隙を見つける。言葉をずらす。逃げ道を狭める。あれは、やはり気持ちいい」


 セシルは自分の手を見る。


「嫌になりますわね」


「ええ」


「否定しませんの?」


「あなたが否定してほしいなら、しません」


 セシルは一瞬黙った。


 それから笑った。


「本当に嫌な方」


「よく言われます」


「でも、今日は途中で止められました」


「ええ」


「殺さない刺し方、というのは難しいですわ」


「物騒な表現ですね」


「でも、分かるでしょう?」


「分かります」


 分かってしまう。


 言葉で相手を刺すこと。


 場を制すること。


 相手の反応を見て、自分の力を感じること。


 その快感。


 私は前世でも、文章で人をやり込めることに少し快感を覚えたことがある。


 論破。


 批評。


 指摘。


 正しい言葉で相手の足場を崩す。


 気持ちいい。


 そして、醜い。


「セシルさん」


「何ですの」


「刺す技術を捨てる必要はないと思います」


 彼女は私を見る。


「ただ、刺す前に、何のために刺すのかを確認したほうがいい」


「相手を黙らせるためではなく?」


「境界を引くため。誤解を止めるため。誰かを守るため。ただし、それを口実に相手を痛めつけないため」


 セシルは静かに聞いていた。


「難しいですわ」


「ええ」


「私は、きっとまたやりすぎます」


「その時は止めます」


「あなたが?」


「私も。リリアナさんも。マチルダさんも。白百合会も」


 セシルは少しだけ目を伏せる。


「ずいぶん増えましたわね」


「ええ」


「私を止める人が」


「よいことでは?」


「……ええ」


 彼女は小さく言った。


「少し怖いですが」


「怖い?」


「だって、止められるということは、見られているということですもの」


 分かる。


 人に見られる。


 自分の癖を、醜さを、やりすぎを。


 それは怖い。


 だが、誰にも見られない場所で人はたいてい悪化する。


 自分一人の暗がりほど、欲望が育つ温室はない。


「お互い様です」


 私は言った。


「私も見られています」


「そうですわね。大型犬のように」


「まだそれを引っ張る」


「気に入りましたの」


 セシルは満足そうに去っていった。


 その背中は、以前より少し軽い。


 棘は残っている。


 むしろ、棘を自覚した分だけ鋭くなっているところもある。


 でも、方向を選び始めた。


 踏むためではなく、踏まないために刺す。


 危うい。


 けれど、彼女らしい変化だった。


 その日の議事録で、クラリスはこう書いた。


『今日、セシル様は噂役をした。

 とても上手だった。

 怖いくらい上手だった。

 相手の言葉を少しずらし、弱いところを突き、逃げ道を狭める。

 以前のセシル様は、きっとそれで人を踏んでいたのだと思う。

 でも今日は、その技術を、誤解に返す言葉を考えるために使った。

 技術は、それ自体では善でも悪でもないのかもしれない。

 けれど、使う時の快感は危ない。

 セシル様は、自分が少し楽しかったと言った。

 それを言えたことが、私は怖くて、少し尊いと思った。

 尊いと書くと美しくなりすぎるので、言い換える。

 必要だった。』


 尊いを消して、必要だった。


 クラリスも変わっている。


 美しさを削ることを覚え始めている。


 その一方で、余白にはこうあった。


『よくある誤解と返答例を作る。

 題名は未定。

 白百合会問答集、では硬い。

 白百合会小さな返答集、では少し可愛い。

 セシル様は「誤解を踏まずに刺すための手引き」と言った。却下。』


 私は吹き出した。


 却下で正しい。


 翌日。


 白百合会の掲示板には、新しい告知が貼られた。


『白百合会についてのよくある誤解と返答例を作成中です。

 皆様が聞いた噂や、返答に困った言葉があれば、ことば箱へお寄せください。』


 その下に、小さく追記。


『相手を言い負かすためではなく、誤解を減らすためのものです。』


 よい。


 地味でよい。


 すると、その日の昼には、ことば箱に大量の紙が入った。


 多すぎる。


 十七枚。


 また十七枚。


 人類、匿名で意見を出せる箱を見つけるとすぐ詰め込む。紙吹雪か。


 その中には、こんなものがあった。


『白百合会は紅茶の淹れ方まで規則にするらしい』


 しない。


『白百合会に入るとエリシア様から白百合を授与されるらしい』


 しない。


『セシル様に叱られたい男子生徒がいるらしい』


 知らない。


 いや、ありそうで嫌だ。


『白百合会は婚約者を交換する会らしい』


 意味が分からない。


 人類の噂生成能力、たまに理解不能な方向へ飛ぶ。脳に羽が生えているのか。むしろ羽虫か。


 クラリスが真面目に分類しようとしていたので、さすがに止めた。


「これは全部扱わなくていいです」


「ですが、噂として」


「紅茶の規則は無視で」


 マチルダが真面目に言う。


「紅茶については、将来的に茶話会運営の手引きが必要かもしれません」


「そこは別議題にしましょう」


 白百合会、本当に官僚化している。


 油断すると茶葉管理規程ができる。


 セシルは「婚約者を交換する会らしい」の紙を見て、心底嫌そうな顔をした。


「下品ですわ」


「返答例は?」


 エステルが聞く。


「『そのような発想に至る方の社交環境を心配いたします』」


「追い詰めない方針は?」


「今のは浅く刺しただけですわ」


「却下です」


 リリアナが言った。


 セシルは少し不満そうだったが、引いた。


 止められている。


 ちゃんと。


 よい。


 その日、白百合会はかなり笑った。


 重い議題が続いた後だったから、皆どこかほっとしていた。


 紅茶の規則。


 白百合授与式。


 婚約者交換。


 セシル様に叱られたい男子生徒。


 馬鹿馬鹿しい噂。


 笑ってよいものもある。


 すべてを深刻に受け取っていたら、会が沈む。


 これも学びだ。


 ロゼ先生が言いそうだ。


 「笑えるものは笑いなさい。ただし、誰かを踏んで笑わないこと」


 たぶん言う。


 その日の帰り道、私は廊下でアルヴィンに会った。


 彼は掲示板の前で、白百合会の告知を見ていた。


「よくある誤解と返答例」


 彼は読み上げる。


「随分と実務的になったな」


「ええ」


「白百合会は、もう君の語録からずいぶん遠い」


 胸が少し痛む。


 アルヴィンはそれに気づいたようだった。


「すまない」


「いいえ。本当のことです」


「寂しいか」


「ええ」


「嬉しいか」


「ええ」


 彼は少し笑った。


「君の返答例も必要だな」


「何の?」


「それを聞かれた時の」


 私は少し考えて言った。


「『寂しいです。でも、それは会が育っている証拠でもあります』」


「綺麗すぎる」


「では、『心が面倒です』」


「そちらのほうが君らしい」


 ひどいが、正しい。


「殿下は最近、少し意地悪になりましたね」


「君の影響かもしれない」


「責任転嫁」


「継続中だ」


「便利に使わないでください」


 アルヴィンは笑った。


 その笑いは、以前よりずっと軽かった。



 その夜。


 王都の礼拝堂で、ミリア・アストレイは新しい噂を聞いていた。


『白百合会は、噂に対する返答集を作っているらしい』


 ミリアは目を輝かせた。


「言葉で人を傷つけず、誤解をほどくための手引き……」


 違う。


 半分はそうだが、半分は「セシル様に叱られたい男子生徒」への対応に困っている。


 しかし、ミリアの耳には届かない。


 届いたとしても、彼女は美しい部分だけを選ぶだろう。


 彼女は日記を開いた。


『白百合会は、戦うためではなく、傷つけずに言葉を返すための書を作っている。

 白百合の君の精神は、ただの救済から、言葉の作法へと広がっている。

 人を踏まずに、しかし沈黙もしない。

 なんと高貴な実践だろう。』


 彼女はペンを止め、少し考えた。


 そして、別の紙を取り出した。


 題名を書く。


『白百合問答』


 ああ。


 やってしまった。


 本人たちがまだ題名で迷っているのに、遠くの少女が勝手に命名した。


 ミリアは微笑む。


「これなら、私にもまとめられるかもしれない」


 彼女は、集めた噂と記録をもとに、白百合会の問答を自分なりに整理し始めた。


 それは美しかった。


 簡潔で、読みやすく、心に残る言葉が並んでいた。


 そして、白百合会の迷いや失敗や馬鹿馬鹿しい噂は、ほとんど削られていた。


 誤解を減らすための言葉が、別の場所で新しい誤解の種になる。


 言葉は歩く。


 しかも時々、勝手に身なりを整えて戻ってくる。

 その時が、一番怖い。


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