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第15話 白百合会、それが政治だと教えられる

 白百合会が作成中の文書には、仮の題名がついていた。


『白百合会についてのよくある誤解と返答例』


 実に地味である。


 しかし、地味なものほど油断ならない。


 火薬庫に「危険物保管庫」と書いてあれば警戒する。

 だが、「よくある誤解と返答例」と書かれた紙束が、社交界の力学を揺らすなど、誰が思うだろう。


 まあ、思う者は思う。


 主に、性格の悪い賢い人間たちである。


 その筆頭が、レオンハルト・ヴァイスだった。


「これは政治文書ですね」


 放課後の北棟サロン。


 白百合会の机の上に並べられた草稿を見て、レオンハルトは開口一番そう言った。


 室内が凍った。


 リリアナが瞬きをする。


 クラリスのペンが止まる。


 マチルダは紙を持ったまま固まる。


 エステルは眉を上げ、セシルは扇の奥で薄く笑った。


 私は頭を抱えた。


 来た。


 ついに来た。


 誰かがはっきり言うべきだったことを、よりにもよってこの男が言った。


 言い方に慈悲がない。


 冷えたナイフみたいな声で「政治文書ですね」である。せめて前菜を出せ。人類は急に本丸へ突っ込みすぎる。


「政治……文書?」


 リリアナが恐る恐る聞き返した。


「はい」


 レオンハルトは当然のように頷いた。


「会の立場を定義し、外部からの批判に対する回答を整備し、構成員の発言方針を統一しようとしている。政治文書です」


「ですが、これは誤解を減らすための」


「それが政治です」


 即答。


 ひどい。


 正しいがひどい。


 リリアナの顔が青くなる。


「私たちは、政治をしているつもりではありません」


「つもりの有無は、影響とは別です」


 レオンハルトは草稿を一枚持ち上げた。


「たとえば、この項目」


 彼が読み上げる。


『白百合会は婚約破棄を勧める会ではありません。婚約について不安がある場合、本人が相談先を持てるようにしています。』


「これは、婚約を家同士の問題だけではなく、本人の不安や意思に関わる問題として再定義しています」


 室内が静まり返る。


「この時点で、婚姻政治に触れています」


 婚姻政治。


 言葉が重い。


 今まで白百合会が扱っていた「婚約者に怖いことを言われた」「相談先がほしい」「手紙を開けずに届ける」という具体的な出来事が、急に王国の構造に接続された。


 リリアナは言葉を失っている。


 クラリスは、今の一文を書いてよいのか迷っている顔だ。


 書け。


 いや、書くな。


 いや、これは書くべきかもしれない。


 もう分からない。


 記録というものは、こういう時に面倒だ。


「次にこれ」


 レオンハルトは別の紙を見る。


『白百合会に入るかどうかは本人の自由であり、参加しないことは遅れていることでも、間違っていることでもありません。』


「これは加入と非加入の自由を定義しています。会の境界と、構成員の倫理規範を定めるものです」


 マチルダが少し息を呑んだ。


「規約に近い、ということですか」


「はい」


「でも、規約ではありません。返答例です」


「実質的には規約の補助文書です」


 マチルダの顔が真剣になる。


 この子は今、文書の性質を頭の中で分類し直している。


 会計と手続きの人間は、こういう時に強い。


 たぶん今夜には「文書種別管理表」みたいなものを作る。


 紙が増える。


 文明とは紙を増やす病なのか。


「少し待ってください」


 リリアナが手を上げた。


 声が震えている。


「政治というのは、王宮や議会や、貴族家当主の方々がなさるものではないのですか」


 レオンハルトは答えようとした。


 だが、その前に扉が開いた。


「ちょうどよい問いですね」


 エミリア・ロゼ教諭だった。


 よりによってこのタイミングで登場。


 誰か呼んだのか。


 いや、呼んだのだろう。


 セシルが私から目を逸らした。


「セシルさん」


「必要かと思いましたの」


「事前に言ってください」


「言ったら逃げますでしょう」


 否定できない。


 ロゼ先生はサロンに入り、机の上の草稿を一瞥した。


 そして短く言った。


「政治文書ですね」


 二人目。


 追い討ち。


 リリアナがいよいよ青ざめる。


 クラリスのペン先が震えた。


「先生まで……」


「ベル嬢」


 ロゼ先生は穏やかに言った。


「政治とは、王宮の中だけにあるものではありません」


 彼女は黒板の前へ移動した。


 誰も止めない。


 完全に授業が始まる空気である。


 白百合会、すぐ教室になる。


 ロゼ先生は黒板に三つの文を書いた。


『誰が話せるのか』

『誰の言葉が聞かれるのか』

『何が問題として扱われるのか』


「この三つを決める場は、すべて政治です」


 沈黙。


 その言葉は、サロンの空気を変えた。


 政治。


 王位継承や税や外交の話ではない。


 誰が話せるか。


 誰の言葉が聞かれるか。


 何が問題として扱われるか。


 それなら、白百合会は最初から政治をしていた。


 リリアナが壁際で震えていた時、彼女の怖さは個人的な弱さだった。


 でも白百合会ができてから、それは「下級貴族令嬢が声を出しにくい構造」として扱われ始めた。


 アメリアの婚約問題もそうだ。


 ただの恋愛や家庭の問題ではなく、「婚約に本人の意思はどこまで含まれるのか」という問いになった。


 教本代もそう。


 ただ貧しい家の娘が困っている話ではなく、「学びへのアクセスをどう支えるか」になった。


 全部、政治だ。


 うわ。


 嫌だ。


 私は本当に、何を育ててしまったのか。


 百合の花園の土を少し掘ったら、民権運動の根が出てきた。しかもかなり元気だ。誰が水をやった。私だ。最悪。


「ですが」


 リリアナが言った。


 声は小さい。


「私たちは、反乱をしたいわけではありません」


「反乱だけが政治ではありません」


 ロゼ先生は即答した。


「むしろ、あなた方がしているのは反乱ではありません。反乱なら、まだ分かりやすい。剣を抜けば、剣で止められます」


 彼女の声は静かだった。


「あなた方は、言葉の置き場所を変えています」


 クラリスが顔を上げる。


「言葉の置き場所……」


「そうです。『私が我慢すればいい』という言葉を、『これは誰かに相談してよいことかもしれない』に変えている。『家が決めたから仕方ない』を、『本人の意思はどこにあるのか』に変えている」


 ロゼ先生は、黒板を軽く叩いた。


「これは政治です」


 リリアナは何も言えない。


 その隣で、エステルの目が少し光っていた。


 燃えている。


 この子、燃えている。


 危ない。


 エステルはこういう言葉に弱い。


 自分たちがやっていることが、単なる茶話会ではなく、構造への問いだと知ってしまった。


 嬉しいのだ。


 怖いより先に。


 分かる。


 非常に分かる。


 世界の仕組みに触れている感覚は、危険な快感がある。自分の言葉が個人的な愚痴ではなく、社会的な意味を持つと知る。人間、そういう時に目が輝く。輝く目ほど危ないものもない。


「ならば」


 エステルが口を開いた。


「なおさら、言葉を曖昧にしてはいけませんね」


 セシルがすぐに言った。


「燃えすぎですわ」


「燃えていません」


「燃えていますわ。目が」


 エステルは少し不満そうにした。


「白百合会が政治的な意味を持つなら、むしろ正確に主張すべきです」


「正確に主張すれば、正確に敵ができますわ」


 セシルの声は冷たい。


「それを分かって言っていますの?」


 エステルは黙った。


 セシルは続ける。


「正しい言葉は、社交界では刃です。振るなら、相手が血を流すことも、自分が返り血を浴びることも覚悟しなければなりません」


「では黙れと?」


「いいえ。刺し方を選べと言っていますの」


 また刺す話。


 だが、この場では必要な比喩だった。


 リリアナは二人を見ながら、少し震えている。


 クラリスはペンを握ったまま、どう記録すべきか迷っている。


 マチルダは黒板の三文と草稿を見比べている。


 そして私は。


 私は、自分が何を感じているのか分からなかった。


 恐怖。


 納得。


 後悔。


 少しの興奮。


 それから、また例の甘さ。


 私がきっかけで始まった会が、政治的意味を持ち始めている。


 私はそれに怯えている。


 同時に、どこかで誇らしく感じている。


 最悪だ。


 まただ。


 人間の自己愛は、本当にどこにでも根を張る。抜いても抜いても出る。雑草よりたちが悪い。しかも時々花を咲かせる。もっと嫌だ。


「エリシア様」


 リリアナが私を見た。


 来た。


 ここで私を見るのか。


 いや、見るだろう。


 私はきっかけの一人だ。


 白百合会が政治的だと言われた時、彼女たちは私の反応を見たい。


 私は何を言うべきか。


 「政治ではありません」と言うのは嘘だ。

 「政治です、堂々としましょう」と言えば煽りになる。

 「怖いですね」とだけ言えば、逃げになるかもしれない。


 私は少し息を吸った。


「私は」


 声が少し低くなった。


「正直に言えば、今かなり頭を抱えています」


 サロンの空気が少し緩んだ。


 セシルが小さく笑う。


「百合の花園のつもりでしたのに?」


「ええ。花壇の土を掘ったら制度改革の根が出てきました」


 何人かが困ったように笑った。


 ロゼ先生が淡々と言う。


「花壇の配置も政治です」


「先生、今それを言いますか」


「必要なので」


 必要。


 嫌な言葉だ。


 私は続けた。


「白百合会が政治的な意味を持つことは、たぶん事実です。皆様が困りごとを言葉にし、それを記録し、共有し、返答例を作っている以上、もうただの茶話会ではありません」


 リリアナの顔が少し強張る。


「でも」


 私はゆっくり言った。


「政治的であることと、誰かの人生を勝手に動かしてよいことは別です」


 マチルダが顔を上げる。


「白百合会が力を持つなら、その力を否定するのではなく、扱い方を決める必要があります。誰が決めるのか。どう記録するのか。何をしないのか。どこで止まるのか」


 私は少し苦笑した。


「つまり、また手続きですね」


 マチルダが静かに頷いた。


「必要です」


 セシルが扇を揺らす。


「面倒ですわね」


「ええ」


 私は頷く。


「でも、面倒な手続きを嫌がって、善意や勢いで動くほうが危険です」


 リリアナは黙って聞いていた。


 私は彼女を見る。


「怖いですか」


「……はい」


「それでいいと思います」


「でも、怖いならやめたほうがいいのでしょうか」


 私はすぐには答えなかった。


 これは、私が決めることではない。


 リリアナ自身が、会が、考えることだ。


 でも、完全に黙る場面でもない。


「やめることも選択肢です」


 私は言った。


「続けることも選択肢です。ただ、知らなかったことにして続けることは、もうできません」


 リリアナは目を伏せた。


 重い言葉だ。


 だが、これは避けられない。


 白百合会は、自分たちが政治的な力を持ち始めていると知ってしまった。


 知る前には戻れない。


 人間は一度構造を見てしまうと、見なかった頃の目には戻れない。かなり不便だ。知らない幸福というものは、だいたい知った後でしか惜しめない。


「ベル嬢」


 ロゼ先生が言った。


「怖いなら、今日すぐ結論を出さないことです」


 リリアナが顔を上げる。


「考える時間も、政治的判断です」


 レオンハルトが頷く。


「一度、会として自覚の確認を行うべきです」


「自覚の確認?」


 クラリスが聞く。


「はい。白百合会が何をする会で、何をしない会なのか。政治性を持つことをどう扱うのか。会員全員で確認する必要があります」


 マチルダが紙を取る。


「臨時会を開くべきですね」


「その前に、草案が必要です」


 レオンハルトが言う。


 すぐ草案。


 この男、文書を見たら草案を作る生き物なのか。


 マチルダもすぐ頷く。


「草案なしで話すと、議論が散ります」


「お二人」


 セシルが冷たく言う。


「草案を作り始める前に、代表の顔をご覧なさい」


 全員がリリアナを見る。


 リリアナは、完全に処理能力を超えた顔をしていた。


 かわいそうに。


 政治性。


 文書。


 臨時会。


 自覚確認。


 草案。


 怒涛の実務用語である。


 男爵令嬢の少女に浴びせるには重すぎる。


 人類は会議が始まるとすぐ紙で殴る。やめろ。


 セシルは扇を閉じた。


「今日は、まず認めるだけでよろしいのではなくて?」


「認める?」


 リリアナが聞く。


「白百合会は、ただの茶話会ではなくなっている。政治的な意味を持ち始めている。でも、今日すべてを決めない」


 セシルは静かに言った。


「怖いまま持ち帰る。それで十分ですわ」


 ロゼ先生が頷いた。


「妥当です」


 レオンハルトは少し不満そうだった。


 草案を作りたかったのだろう。


 分かりやすすぎる。


「ヴァイス卿」


 ロゼ先生が言った。


「今日は草案を作らないこと」


「……はい」


 青、止められる。


 私は少し笑いそうになった。


 耐えた。


「では」


 リリアナは深く息を吸った。


「今日の結論は、こうします」


 クラリスがペンを構える。


「白百合会は、自分たちの活動に政治的な意味があることを認めます」


 声は震えていた。


 でも、消えてはいない。


「ただし、今日すぐに方針は決めません。次回までに、それぞれ考えてきます。白百合会は何をする会で、何をしない会なのか」


 クラリスが書く。


「それから」


 リリアナは私を見た。


 いや、私だけではなく、皆を見た。


「怖いと思ったことも、書いてきてください」


 沈黙。


 それは、よい提案だった。


 政治性を理解したうえで、勇ましい言葉だけを集めるのではない。


 怖さも書く。


 白百合会らしい。


 ロゼ先生がわずかに目を細めた。


 たぶん、少しだけ満足したのだろう。


「よろしい」


 先生が言った。


「怖さを記録できる組織は、まだ少し信用できます」


 まだ少し。


 評価が渋い。


 だが、たぶん最大級の褒め言葉だ。


 その日の会は、それ以上進めずに終わった。


 誰も大きな声を出さなかった。


 誰も革命だと叫ばなかった。


 誰も茶会ですから安心ですとも言わなかった。


 ただ、全員が何かを持ち帰った。


 重いものを。


 言葉にすると、「政治性」。


 しかし実感としては、もっと生々しい。


 自分たちの言葉が、誰かを動かすかもしれないという怖さ。


 自分たちの記録が、社交界をざわつかせるかもしれないという怖さ。


 誰かを守るつもりで、別の誰かを追い詰めるかもしれない怖さ。


 そして、それでも続けたいと思う自分の中の火。


 厄介な火だ。


 消すべきか、囲うべきか、暖を取るべきか。


 まだ分からない。


 会の後、クラリスが一人で議事録を書いていた。


 私は少し離れて見ていた。


 彼女は珍しく何度も書き直している。


 言葉が決まらないのだろう。


「クラリスさん」


「はい」


「難しい?」


「はい」


 彼女は正直に頷いた。


「政治的な記録、というものが分かりません」


「私も分からないわ」


「エリシア様でも?」


「私を何だと思っているの」


「白百合の君……ではなく」


 クラリスは少し慌てた。


「すみません」


「いいえ」


 今の自己訂正は、少し面白かった。


 白百合の君と言いかけて止めた。


 彼女も変わっている。


「記録するということは、何を残すか選ぶことです」


 クラリスは言った。


「今日、ロゼ先生が『何が問題として扱われるのか』と言いました。なら、私が議事録に書くことで、それが問題として残ってしまうのですね」


「そうね」


「書かないことで、なかったことにもできてしまう」


「ええ」


 クラリスはペンを見つめた。


「怖いです」


「それは、よい怖さだと思います」


「よい怖さ」


「少なくとも、怖がらずに書くよりは」


 クラリスは少し考え、頷いた。


「今日は、怖かったことも書きます」


「ええ」


「美しくなく?」


「美しくなく」


 彼女は小さく笑った。


 そして、書き始めた。


 その横顔は、最初に私の言葉を写していた頃よりずっと真剣だった。


 語録を書く少女から、記録する人間へ。


 その変化が、少し眩しかった。


 そしていつものように、少し寂しい。


 サロンを出ると、廊下にセシルが立っていた。


 待っていたらしい。


「エリシア様」


「何?」


「あなた、今日はわりと顔に出ていましたわ」


「何が?」


「百合の花園が政治結社になりつつある絶望です」


「そこまで?」


「ええ」


 私はため息をついた。


「絶望というより、困惑です」


「同じようなものですわ」


「違います」


「では、何に困惑を?」


 セシルは隣を歩きながら聞く。


 私は少し考えた。


「白百合会が政治的だと言われて、怖かった」


「ええ」


「でも、どこかで誇らしかった」


「でしょうね」


「責めないの?」


「なぜ?」


 セシルは扇を揺らした。


「自分が関わったものが意味を持つ。誇らしくないはずがありませんわ」


「危なくない?」


「危ないですわ」


 即答。


「でも、誇りを持つこと自体は悪ではありません。以前も言いましたでしょう」


「ええ」


「問題は、その誇りで他人を踏むことです」


 セシルは私を見る。


「あなたの場合は、その誇りで白百合会を自分のものだと思わないことですわね」


 刺してくる。


 今日も鋭い。


「分かっています」


「本当に?」


「八割くらい」


「残り二割は?」


「私の中の面倒な部分が、私の百合の花園だと思いたがっています」


 セシルは吹き出した。


 かなり珍しい。


 口元を扇で隠すのが遅れた。


「あなた、自分で言っていて恥ずかしくありませんの?」


「かなり」


「なら言わなければよいのに」


「言わないと増えそうで」


 セシルは少し笑いを引きずりながら頷いた。


「では、私が覚えておきますわ」


「何を?」


「白百合会は、あなたの花園ではありません」


 胸に刺さる。


 だが、必要だ。


「お願いします」


「ええ。何度でも言って差し上げます」


「嬉しそうですね」


「あなたを刺せるので」


「本当に性格が悪い」


「お互い様ですわ」


 中庭に出ると、夕日が白百合の花壇を照らしていた。


 花は静かに揺れている。


 政治性も民権運動も知らない顔だ。


 花はただ咲いているだけ。


 人間がそこに勝手に意味を載せる。


 純潔。

 祈り。

 百合。

 連帯。

 革命。


 植物にとっては迷惑だろう。


 でも、人間は意味なしには生きられない。


 意味を載せすぎると、また人を踏む。


 なんて面倒な生き物だ。


 その日の夜。


 クラリスの議事録には、こう書かれていた。


『今日、レオンハルト様とロゼ先生から、白百合会の文書は政治文書だと言われた。

 私たちは驚いた。

 リリアナ代表は怖がった。

 マチルダ様は手続きを考えた。

 エステル様は少し燃えた。

 セシル様は燃えすぎると潰されると言った。

 エリシア様は、花壇の土を掘ったら制度改革の根が出てきたと言った。

 少し笑った。

 でも、本当は笑いごとではない。


 ロゼ先生は、政治とは、誰が話せるのか、誰の言葉が聞かれるのか、何が問題として扱われるのかを決める場だと言った。

 それなら、白百合会は最初から政治をしていたのかもしれない。

 私たちは、そんなつもりではなかった。

 でも、つもりではなかったことが、影響を持たない理由にはならない。


 次回までに考えること。

 白百合会は何をする会なのか。

 何をしない会なのか。

 何が怖いのか。』


 その下に、クラリス自身の言葉。


『私は、記録するのが怖い。

 でも、記録しないことも怖い。

 私が何を書くかで、何が問題として残るかが変わる。

 それは、とても重い。

 今日は、美しく書きたい気持ちが何度も出た。

 白百合会が、何か大きくて尊いものに見えたから。

 でも、今日はそう書かない。

 白百合会は怖がっている。

 迷っている。

 少し誇らしくも思っている。

 たぶん、それが本当だ。』


 私はその議事録を読んで、静かに頷いた。


 怖がっている。


 迷っている。


 少し誇らしくも思っている。


 それは白百合会だけではない。


 私もそうだ。


 そしてきっと、この先もっとそうなる。



 王都の礼拝堂では、その夜、ミリア・アストレイがまた手紙を読んでいた。


 そこには、こう書かれていた。


『白百合会は、ついに自分たちが政治的な意味を持つことを認めたらしい……又聞きだけれども、端から見てるとなんとなく分かってた。』


 ミリアは息を呑んだ。


「政治……」


 彼女はしばらく紙を見つめていた。


 やがて、ゆっくり微笑む。


「やはり、これはただの令嬢たちの茶話会ではないのですね」


 彼女は日記を開く。


『白百合の君の蒔いた種は、ついに花園を越え、社会を変える芽となった。

 彼女はきっと望まないだろう。

 自分はただ一人一人の言葉を大切にしただけだと言うだろう。

 しかし、真の変革者とは、しばしば自分が変革者であることを拒むものだ。』


 違う。


 まただ。


 拒否が証拠にされる。


 困惑が謙虚さに変えられる。


 恐怖が高潔さに変えられる。


 ミリアはペンを走らせた。


『白百合の君。

 彼女は政治を望まない。

 だからこそ、彼女の政治は清らかなのだ。』


 清らかではない。


 困っている。


 欲望もある。


 自己愛もある。


 支配欲もある。


 それでも何とか手続きで縛ろうとしているだけだ。


 だが、ミリアは知らない。


 知ろうとしているようで、実は知りたいものだけを見ている。


 彼女は最後に、題名を書いた。


『白百合民権録』


 最悪である。


 とうとう命名された。


 遠く離れた場所で、白百合会は本人たちの知らない名前を与えられた。


 名前は力を持つ。


 そして、時に勝手に人を檻へ入れる。


 言葉は歩く。


 今度は、政治の靴を履いて。


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