第5話 名前を聞かない夜
夜は、また来た。
来ること自体は、珍しくない。
山の麓は昼と夜の差がはっきりしていて、
暗くなれば、人は自然と口数が減る。
フィアネは軒下に座り、
膝の上でランドセルを抱えていた。
(……今日も生きた……( ˘ω˘ ))
大きな出来事はない。
稼ぎは12円。
コロッケは半分。
それでも、一日としては十分だ。
小屋の中から、薪が弾ける音がした。
イルビアスは、今日も奥にいる。
出てこない。
でも、いないわけじゃない。
それが分かるだけで、
この場所は「外」じゃなくなる。
エレハンドロとヨハムは、少し離れた場所で立っている。
月明かりの下、二人の影は短い。
「……ねえ」
フィアネは、小さな声で言った。
誰に向けたかは、自分でも分からない。
返事はない。
でも、否定もない。
「……名前、聞いてないなって」
言った瞬間、少し後悔した。
(聞かないって決めてたのに……(;´Д`))
名前は、距離を縮める。
距離が縮むと、
期待が生まれる。
期待は、
いつか値段のつかないものを連れてくる。
フィアネは、それを知っている。
「……まあ、いいや」
独り言にして、話題を終わらせた。
そのとき、小屋の扉が静かに開いた。
イルビアスが出てきた。
手には、木の器。
中は、湯。
何も言わず、
フィアネの手の届く位置に置く。
「……ありがとうございます」
言葉は丁寧だったが、
頭は下げなかった。
イルビアスは、気にしない。
礼の形より、行為を見る人だ。
「……今日は、どうだった」
質問だった。
理由も前置きもない。
フィアネは、少し考えてから答える。
「……12円でした」
「……そうか」
評価も、慰めもない。
沈黙。
だが、その沈黙は重くなかった。
フィアネは湯を一口飲んで、続ける。
「でも、
昨日よりは、ちゃんと稼げました」
イルビアスは、フィアネを見た。
顔ではなく、
姿勢を。
「……基準があるのは、悪くない」
「はい」
それは、褒め言葉に近かった。
フィアネは、少しだけ胸が温かくなるのを感じて、
すぐに気づかないふりをした。
(喜ぶと、あとで怖い……(´・ω・`))
風が、山を渡る。
木々が鳴る。
イルビアスは、しばらく空を見てから言った。
「……ここに来る人間は、ほとんどいない」
「はい」
「来るとしたら、
目的があるか、
行き場がないか、
その両方だ」
フィアネは、黙って聞いた。
「……お前は、どちらだ」
少しだけ、言葉が柔らかい。
フィアネは、考えた。
目的?
行き場?
どちらも、あるようで、ない。
「……たぶん、行き場がない方です」
正直に言った。
イルビアスは、頷かなかった。
否定もしなかった。
「……そうか」
それだけ。
だが、その一言で、
フィアネは「追い出されない」と理解した。
理由は分からない。
値段もつかない。
でも、理解できた。
フィアネは、ランドセルの紐を指でなぞる。
(……ここ、
値段つかないもの多いな……)
嫌じゃない。
ただ、慣れていない。
夜が深くなる。
星が増える。
イルビアスは、再び小屋に戻る前に、
一度だけ言った。
「……夜は冷える。
無理をするな」
それは命令でも、忠告でもない。
ただの事実だった。
「はい」
フィアネは、素直に返した。
扉が閉まる。
フィアネは湯を飲み干し、
空を見上げた。
(……名前、聞かなくてよかった……)
今は、それでいい。
名前がなくても、
距離は、ちゃんとそこにある。
山の麓の夜は、静かだ。
何も起きない。
でも、
何も起きないことが、
少しだけ、特別になり始めていた。
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後書き(読者の方へ)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この物語は、
「事件」よりも「距離」を書いています。
第5話までで描いているのは、
* イルビアスが“降りない”理由
* フィアネが“測る”理由
* それでも同じ場所にいる、という事実
名前を聞かないのも、
助けすぎないのも、
全部「踏み込みすぎないため」の選択です。
この先も、
派手な展開はあまりありません。
ですが、
一緒に湯を飲む
コロッケを半分にする
夜を越える
そういう小さな積み重ねで、
関係は、確実に変わっていきます。
次回は、
第6話:フィアネの“買い物”が、少しだけ裏目に出る回
を予定しています。
引き続き、
静かな旅にお付き合いください。
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このまま次話も進めます。
気になる点や「ここ好き」だけ、いつでも投げてくださいね 。




