第4話:稼ぐということは、だいたい思った通りにいかない
朝は、ちゃんと来た。
山でも、麓でも、例外はない。
フィアネは、目を覚まして最初に思った。
(……生きてる ( ˘ω˘ ))
次に思った。
(……屋根ある……(;・∀・))
そして最後に、
(……ランドセルある……よし……)
ぎゅっと抱えていたそれを、そっと膝の上に置く。
重さは変わらない。
中身も、減っていない。
《現在所持金》
726,520 円
(減ってない……勝ち……)
勝ち、という言葉を使うのは少し違う気がして、フィアネは首を振った。
(いや、まだ何もしてない……(´・ω・`))
軒下から体を起こすと、空気が冷たい。朝露の匂い。遠くで鳥の声。
小屋の扉は閉まったままだ。
(……起こすのはダメ……)
(勝手に入るのもダメ……)
(触るのも……たぶんダメ……)
昨日のルールを、頭の中で確認する。
エレハンドロとヨハムは、すでに交代を終えていた。
二人とも、眠そうな様子はない。そういう作りだ。
「……おはようございます」
小声で言うと、エレハンドロが頷いた。
「おはようございます。周囲に敵対反応はありません」
ヨハムは周囲を無言で見ている。彼は、朝の方が緊張する。
フィアネは、立ち上がった。
(よし……稼ごう……(`・ω・´))
「……魔物?」
フィアネは、虚空に浮かぶ画面を見つめた。
《周辺情報》
・小型魔物:低
・素材価値:低
・危険度:低
低、低、低。
(……全部低い……(;´Д`))
エレハンドロが、淡々と補足する。
「山の麓です。魔物は少ないでしょう」
「ですよね……」
少ない=安全。
安全=稼げない。
世界は、ちゃんと理屈でできている。
フィアネは、少し歩いた。
湿った草の間。濡れた石の影。
――ぷるん。
「……あ」
透明で、少し青い。
「……バブルスライム」
見た目はかわいい。危険度も低い。
(……倒せば……)
フィアネは、息を整えた。
戦闘は、得意じゃない。でも、慣れてはいる。
エレハンドロとヨハムが、左右に動く。
距離を取る。「死なせない」位置。
彼らは手を出さない。それがフィアネの決めた「稼ぎ」のルールだからだ。
フィアネは、足元から手頃な石を一つ拾って投げた。
――ぷに。
当たった。
――ぷるぷる。
怒っている……気がする。
バブルスライムがゆっくりと跳ね、フィアネの靴に体当たりをしてきた。
感触は、少し重たい水風船のようだ。
(ごめん……(;´Д`))
数分後。
格闘(といっても石をぶつけ、枝で突っつくだけの作業)の末。
地面に残ったのは、小さな水たまりと、少量の「謎の液体」。
フィアネは、画面を出した。
《素材鑑定》
・バブルスライムの残液
・用途:石鹸の原料、あるいは気休めの保湿剤
・買取価格:12 円
「……」
フィアネは、黙った。
(……12円……)
知っている。
知っている金額だ。
ガム。一部。チロルチョコには足りない。
あるいは、公衆電話の十円玉に、おまけの二円。
(……でも……)
《売却しますか?》
「……はい」
――ヒュン。
指先が画面に触れると、地面の液体が光の粒子になって消える。
《所持金》
726,532 円
(……増えた……)
12円。されど12円。
昨日までは、減る一方だった数字が、自分の労働によって「プラス」に転じた。
フィアネは、胸の奥が、少しだけ軽くなるのを感じた。
(……稼いだ……( ˘ω˘ ))
エレハンドロが、無機質な声で問いかける。
「……続けますか? 効率を重視するなら、さらに2キロ先の沢まで移動すれば、単価30円の『シジミモドキ』が群生していますが」
フィアネは、首を振った。
「いえ……今日は、ここまで」
理由は簡単だ。
これ以上やると、「効率」という言葉が頭を支配し始める。
効率は、必要だ。
でも、支配されると、心が摩耗して壊れる。
フィアネは、昨日の小屋の方角を見た。
(……あの人……)
名前は聞いていない。聞く理由も、まだない。
でも――昨日の湯は、温かかった。
フィアネは、画面を操作した。
《商品検索》
・揚げ物
・惣菜
・コロッケ
《コロッケ(牛すじ入り・特製ソース付き)》
50 円
(……12円じゃ足りない……)
だが、昨日の残りがある。
フィアネは、指を止めた。
《購入しますか?》
「……はい」
――ヒュン。
空中に、ほんのりと温かい紙包みが現れる。
鼻をくすぐる、香ばしい油とソースの匂い。
(……これで……)
フィアネは、小屋の前まで戻った。
扉の前に、紙包みをそっと置く。
ノックはしない。
呼びかけもしない。
ただ、置く。
それが一番、互いの「値段」に干渉しない、適正な距離だと思ったから。
少し離れて、待つ。
朝の光が強くなり、森が白く輝き始めた頃。
ギィ……と重い音を立てて、扉が開いた。
昨日の男――イルビアスが、眩しそうに目を細めて出てきた。
視線が、足元の紙包みに落ちる。
「……何だ」
フィアネは、少しだけ背筋を伸ばし、精一杯の「フラットな商談」の声を出す。
「……コロッケです。朝ごはん」
「……金は」
「払いました。さっき稼いだ分と、私の貯金で」
それ以上は言わない。
イルビアスは、数秒黙ってから、大きな手で包みを持ち上げた。
中から立ち上がる蒸気が、彼の無愛想な横顔をわずかに緩ませたように見えた。
「……勝手に置くな」
「……すみません」
「……」
一拍。
「……次は、声をかけろ。冷めるだろうが」
フィアネは、パッと目を見開いた。
(怒られてない……?)
「……はい!」
返事が少し大きくなった。
イルビアスは、鼻を鳴らすと、包みを器用に破いて中身を半分に割った。
そして、何も言わずに片方をフィアネへと差し出した。
「え……?」
「食え。独り占めするには、この山は静かすぎる」
フィアネは、一瞬だけ迷ってから、受け取った。
指先に伝わる熱が心地いい。
二人で、小屋の段差に腰掛け、紙包みを覗き込む。
小袋に入っていたソースを、半分ずつ垂らす。
サクッ、という小気味いい音が、朝の空気の中に響いた。
油の匂いも、遠くの鳥の声も、今は自分たちの味方のように思える。
迷子が二人。
一人は異世界から、一人は自分自身の内側から。
でも、不思議と焦りはない。
イルビアスが、咀嚼しながらポツリと言った。
「……君は、文明の“店”ではなく、今のこの瞬間の“価値”を選んだわけだ」
フィアネは、最後の衣の欠片を見て、小さくうなずく。
「……はい。数字だけじゃ、お腹は膨らまないですから」
「今日は……これで、勝ちです」
会話の内容は、客観的に見れば意味不明だ。
でも、二人とも、それでよかった。
山の朝は、静かで。
そして、12円に貯金を足して買ったコロッケは、ちゃんと美味かった。
世界は、だいたい思った通りにいかない。
でも、自分で値段をつけ、納得して支払えば、
その世界は少しだけ、自分の手に取れるものになる。
それで、十分だった。
少し動く回 へ続く。




