第3話 降りない魔女の夜更け
湯気は、ちゃんと上へ昇った。
山の麓でも、世界の法則はだいたい同じだ。
イルビアスは紙包みの端を、指先で軽く押さえたまま動かない。
目は開いている。まばたきが少ない。
だが、食べる手は止まっていない。
……二口目。
三口目。
「……美味い」
ぽつりと落ちた声に、フィアネは肩の力が抜けた。
(よかったぁ……(;´Д`))
(食べ物の好みで追い出されたら、わたし、どうしたら……)
後ろに控えるエレハンドロとヨハムは、相変わらず静かだった。
二人とも、イルビアスの手元から目を離していない。
敵意ではない。確認だ。
「この人は、今、危険か?」という、呼吸と同じ種類の確認。
イルビアスはそれを気にしない。
気にする理由がない、という顔をしている。
「……お前」
食べ終えたところで、イルビアスがフィアネを見た。
呼び方が雑だが、侮蔑はない。
「その鞄から、どうやって出した」
フィアネは、ほんの少しだけ身を縮める。
(来た……説明タイム……(;・∀・))
「えっと……買うんです」
「買う?」
「はい。えっと……」
フィアネは言葉を選ぶ。
いつもは画面に言わせればいい。説明しなくていい。
でも今は、相手が「値段の世界」じゃない。
「ほしい物を検索して、値段を見て、払えるなら……出てきます」
イルビアスは眉ひとつ動かさない。
驚いていないわけではない。
驚きを外に出さないタイプだ。
「……金は、どこにある」
「わたしの、持ってるお金だけです」
フィアネは画面を呼び出し、残高を一瞬だけ見せる。
ただし、見せすぎない。癖だ。
金額は弱点になる。
《現在所持金》
726,520 円
(さっき牛めし買ったから減った……(ヽ´ω`))
イルビアスは、画面そのものよりも、フィアネの目の動きを見ていた。
「そこに何かがある」ではなく、
「それを扱うお前の習慣」を見ている目だった。
「……便利だな」
「便利です」
フィアネは即答する。
そして、続けてしまう。
「でも、便利なだけです」
「お金がないと、何も買えません」
言い終えたあと、しまったと思った。
(余計なこと言った……(;´Д`))
だがイルビアスは、なぜかほんの少しだけ視線を落とした。
火のほうを見る。
「……それでいい」
それだけ言った。
フィアネは、言葉の意味を測ろうとして、やめた。
測れないものは、測れない。
(値段ついてないやつ……むずい……(´・ω・`))
沈黙が落ちる。
山の夜は静かで、沈黙は居心地がいい……はずなのに、
フィアネは妙に落ち着かなかった。
「……あの」
フィアネが小さく言う。
「道、教えてもらってもいいですか」
「わたし、たぶん、街の方へ戻りたくて」
イルビアスは首を少しだけ傾けた。
「戻る理由は」
フィアネは詰まる。
理由? 生きるため、以外に何がある?
「……お金、稼がないと」
「食べ物、買えないので」
それはフィアネの世界では、十分な理由だった。
イルビアスは「ふむ」とも言わない。
ただ、夜の濃さを一度見てから、短く言う。
「……今夜は無理だ」
フィアネはぎくっとする。
(追い出される……?(;´Д`))
「道は暗い。山は暗い。迷う」
イルビアスの口調は事務的だ。
命令でも優しさでもない。
「危ない」だけを述べる。
「明るくなってから行け」
フィアネは一拍遅れて、理解した。
(泊まっていい……ってこと……?)
「え、でも、わたし」
言いかけて、止まる。
“タダ”は怖い。
施しは後で請求される。
請求の形が分からないのが、一番怖い。
フィアネは、ランドセルを抱え直した。
「……いくらですか」
イルビアスが目を細めた。
初めて、感情に近い反応だった。
困惑。あるいは、呆れ。
「値段の話か」
「はい」
フィアネはまっすぐ頷く。
この世界で、まっすぐ言えるのはそれだけだ。
「泊めてもらうなら、払います」
「お湯も、火も、場所も……」
イルビアスは、しばらく何も言わなかった。
その沈黙は、山の冷たさよりも硬い。
やがて、ぽつり。
「……金はいらない」
フィアネの心臓が跳ねた。
(えっ……一番怖いやつ……(;・∀・))
イルビアスは言い足す。
「代わりに」
フィアネの肩が上がる。
「……静かにしろ」
「……はい」
「勝手に家に入るな」
「はい」
「火に触るな」
「はいっ」
「それが守れるなら、ここで夜を越せ」
フィアネは、息を吐いた。
値段がついてない条件は怖い。
でも、条件が「静かに」「入るな」「触るな」なら、守れる。
(払えないより、守れる方がいい……( ˘ω˘ ))
後ろの二人が、微かに空気を緩めた。
エレハンドロが一歩だけ前へ出る。
「……外で、交代で警戒します」
イルビアスはそれを聞いても頷かない。
許可もしない。拒否もしない。
ただ、火を小さくして、湯を足した。
「……お前らの勝手にしろ」
と言ったようにも聞こえたが、言っていない。
イルビアスは、必要な言葉しか吐かない。
フィアネは小屋の外、軒下の端に座らせてもらった。
膝を抱え、ランドセルを抱え、背中を柱に寄せる。
(屋根あるだけで神……(ヽ´ω`))
イルビアスは、室内に消えていった。
扉が閉まる音は小さい。
存在が薄い。
「ここにいるのが当たり前」みたいな薄さ。
しばらくして、木の器が一つ、軒下に置かれた。
中は湯。湯気が細く立つ。
イルビアスの姿は見えない。
声もしない。
フィアネは器を見つめて、唇を噛んだ。
(これ、タダ……いや、タダじゃない、たぶん……)
(でも、金じゃない……)
フィアネは画面を出し、検索欄を開いた。
反射でやってしまう。落ち着くから。
《検索》
・お礼
・礼儀
・山の麓 魔女 対応
出てくるのはよく分からない記事ばかりだった。
フィアネは閉じた。
(そもそもネットじゃないし……(;´Д`))
代わりに、別の検索をした。
もっと、いつものやつ。
《商品検索》
・乾燥薪(束)
・保存食(干し肉)
・布(丈夫)
フィアネは考えた。
金は払えないと言われた。
でも、何もしないのも落ち着かない。
(物で置いていけば……勝手に置くのはダメか……)
(勝手に家に入るな、だし……(´・ω・`))
フィアネは結局、何も買わなかった。
代わりに、湯を少しずつ飲んだ。
温かい。喉がほどける。
星が、静かに増えていく。
山の夜空は、街と違って、まっすぐだ。
光が散らない。くっきりしている。
フィアネは、ぽつりと呟いた。
「……きれい」
エレハンドロが、初めて小さく返す。
「ええ」
ヨハムは黙ったまま、周囲を見ている。
彼は警戒を捨てない。
それが役目だから。
フィアネは星を見上げて、ふと、思った。
この魔女は、なぜここにいるんだろう。
いや、聞かない。
聞いても値段が出ない。
答えが返ってきても、処理できない。
(でも、なんか……)
(ここ、静かで……)
(いや、静かすぎて逆に落ち着く……( ˘ω˘ ))
部屋の中から、木が軋む音がした。
イルビアスが動いただけだろう。
フィアネは、急に安心した。
誰かがいる、というだけで。
それに気づいて、ちょっと嫌になった。
(依存はダメ……(;´Д`))
(わたしは自分で買って生きるんだから……)
それでも、器の湯は温かい。
夜が深くなり、フィアネの瞼が重くなる。
最後に、もう一度だけ画面を出して、残高を確認した。
726,520 円
(まだある……よし……( ˘ω˘ ))
(明日、ちゃんと稼ぐ……)
眠りに落ちる直前、
扉の向こうから、イルビアスの声がした。
「……鞄は、外に置くな」
フィアネは飛び起きそうになった。
だが体は動かない。眠い。
「だ、だいじょうぶです……抱えて寝ます……」
返事が聞こえたかどうか分からない。
でも、扉の向こうの気配が、少しだけ遠ざかった。
フィアネはランドセルを抱きしめた。
(……心配した?)
(いや、違う、たぶん……危ないから……(;・∀・))
(でも……まあ……)
言葉にならないものを、言葉にしようとしてやめる。
フィアネはそういうところだけ、賢かった。
星が流れた。
山は静かで、夜は長い。
イルビアスは降りない。
世界に戻らない。
それでも今夜、
彼女の小屋の軒下には、三人分の呼吸が増えていた。
それだけのことだ。
それだけなのに、
火の音が、いつもより少しだけ、やわらかく聞こえた。
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