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第12話:商人と魔女/街道の終わり、取引の始まり


街道の空気は、時として山よりも冷酷だ。

山には「弱肉強食」という単純なルールがあるが、街道には「交渉」という名の、底の見えない沼がある。

フィアネは、昨日イルビアスに教わった沢で、黙々とバブルスライムを狩っていた。



《所持金》

726,590 円

(……今日は、四人分……)

自分の分、エレハンドロとヨハムの分(彼らは食べなくても平気だが、フィアネは「形」を重んじた)、そして、あの男の分。

バブルスライムの残液を一つ売るたびに、画面の数字が12円ずつ積み上がる。


この「12円の積み重ね」だけが、彼女をこの世界に繋ぎ止める命綱だった。

だが、その静かな労働は、無遠慮な足音によって遮られた。

「――おやおや。こんな場所で、珍しいランドセルを背負ったお嬢ちゃんだ」


振り返ると、そこには一台の馬車と、派手な刺繍の入った外套を着た男が立っていた。

男の目は、笑っていない。

獲物を品定めする、特有の光を宿している。


「……どちら様ですか」


フィアネは一歩下がる。


エレハンドロが音もなく彼女の前に出た。ヨハムはすでに馬車の御台にいる男の「手」を注視している。


「私はしがない行商人ですよ。名前は……まあ、ムルクとでも呼んでください。それよりお嬢ちゃん、あんたが今、消した『それ』……」


ムルクと名乗った男は、フィアネがバブルスライムの残液を換金した「画面」があった空間を指差した。


「それは、この国の魔法じゃない。……それどころか、この世界の法からも浮いている。そうだね?」

フィアネは肩紐をぎゅっと握った。


「世界を買える力」の一端。


それは、見る人が見れば、あまりにも巨大な「富」の源泉に見える。


「……ただの、道具です」


「道具、ねえ。その道具があれば、物流の概念が変わる。在庫を抱えず、腐らせず、どこでも『価値』に変換できる。……お嬢ちゃん、それを私に売る気はないかい?」


「売りません」


「おっと、値段も聞かずに断るのかい? 金ならいくらでも出す。この街道を一里分、金貨で埋め尽くしてもいい」


ムルクが手を広げる。その背後で、馬車の荷台を覆う布がわずかに揺れた。

中には、重武装した護衛の気配がある。


フィアネは、ゆっくりと首を振った。


「……あなたの言う『金』は、私が欲しいものじゃないから」


「なんだって?」 


「このお金は、私が昨日歩いた距離で、今日食べたコロッケの味なんです。……あなたの金貨には、私の明日の味が入っていない」


ムルクの顔から、営業用の笑みが消えた。

彼は商売人だ。価値が分からない人間は怖くないが、「自分とは違う価値基準を持つ人間」は、彼にとって最も制御不能で恐ろしい存在だった。


「……可愛げのないガキだ。だが、その力、野放しにはしておけない。商売敵になる前に、ここで買い叩かせてもらうよ」


ムルクが指を鳴らそうとした、その時。


「――その取引、期限切れだ」


森の影から、一振りの巨大な剣が突き出された。

切っ先が、ムルクの喉元、コンマ数ミリの場所で止まる。


イルビアスだった。

彼女は昨日と同じ、汚れにまみれた格好のまま、だが圧倒的な「拒絶」の気配を纏ってそこに立っていた。


「……ッ! なんだ、貴様は……! 山賊か!?」


「山賊なら、とっくに貴様の首を跳ねて荷を奪っている。……俺はただの、居候だ。この子が買った『屋根』のな」


イルビアスは視線をムルクから外さないまま、フィアネに短く言った。


「行け。ここは俺が『清算』しておく。……お前は、今日の分の稼ぎを守ってろ」


「……でも」


「値段のつかない守り方もあるんだ。……早く行け」

フィアネは、エレハンドロたちに促され、街道を駆け上がった。

背後で、金属がぶつかり合う音と、ムルクの悲鳴に近い怒号が聞こえた。

山の中腹まで戻り、息を切らして立ち止まる。

心臓が、うるさい。


(……怖かった……)


でも、それ以上に。

イルビアスが言った「値段のつかない守り方」という言葉が、胸に刺さっていた。


《所持金》

726,590 円

数字は変わらない。

ムルクが提示した金貨の山も、ここにはない。

けれど、フィアネは自分のランドセルが、少しだけ重くなったのを感じた。


それは、自分一人では決して背負いきれない、「誰かの意志」の重さだった。



夜。

小屋の前に、一人の男が戻ってきた。

肩にわずかな返り血を浴びているが、足取りは確かだ。


フィアネは、黙って紙包みを差し出した。

今日は、四つ。



「……多すぎるぞ」

「いいんです。……これは、お釣りですから」

イルビアスは一瞬、呆れたように吐息をついたが、やがて諦めたように包みを受け取った。


「……味は、変わらないな」

「はい。ちゃんと、五十円の味です」


二人は、名前も呼ばず、契約も交わさず、ただ暗い森の中でコロッケを噛み締めた。

世界を買わなかった少女と、世界を降り損ねた男。

その間に流れる時間は、どんな大商人の金貨でも、決して買い上げることはできなかった。



次回:第13話「紙に書けない契約/フィアネの選ぶ、三八円の未来」


――「お嬢ちゃん、一つ頼みがある」

――差し出された、古い羊皮紙。

――それは、正義という名の、重すぎる贈り物だった。

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