第六話 不愉快
入学から、三週間あまり。
クラスメイトとの関係は良好。街でも評判は悪くない。
――作戦は順調
エトワールは、ふと口元を緩めた。すべてが滞りなく進んでいる。まるで、世界そのものが味方をしているかのようだった。そんな折、何気ない会話の中で、ひとつの情報が零れ落ちる。
「最近、干ばつの影響で食糧不足が深刻らしい。兵士への配給も滞っていて……少し危険な状態だそうだ」
アルフレッドの言葉は、彼にとってはただの世間話に過ぎない。しかしエトワールの頭の中で、最後のピースがハマった。
――これでもう十分ですわ
この三週間で集めた情報が、頭の中で静かに組み上がっていく。
食料は底を尽き、兵は弱り、武器は満足に作れない。
どれも、致命的な綻びになり得る。
そしてそれは敵国にとって、喉から手が出るほど欲しい情報だ。
「ふふ……」
小さく、笑みが漏れた。
その日の放課後。
エトワールは帰路には就かず、街外れへと足を向けていた。目当ては、敵国から来ている商人。戦況は膠着状態。今もなお、商人の往来は許されている。
――抜け道は、常にあるものですわ
「商人さん、こちらを」
差し出したのは、一通の手紙。
「……どうしました?お嬢さん?一体なんのおつもりで?私はしがない商人ですよ?」
「ほんの、お気持ちですわ」
商人は訝しげにそれを受け取る。
腰に提げた灯りをかざした瞬間、その目がわずかに細められた。商人の口元から笑みが消えた。男の目の奥には金ではなく、敵意があった。
――気付いたようですわね
「…情報提供感謝する」
昔ゲームの設定資料を読み漁ってる時に偶然見つけた、敵国の情報の伝達方法。特殊なインクを照らす敵国独自技術のランプ。そのインクで文字を書き、情報の伝達をしている。
――ペンが骨董品店にあって助かりましたわ
「……ふふっ、明日が楽しみですわ」
胸の奥が、じわりと熱を帯びていく。
翌日。
学園の空気は、明らかに異なっていた。
廊下を行き交う教師たちは慌ただしく、ざわめきが収まらない。教室へ入ると、三人の王子が低い声で何かを話し合っていた。
「……何かあったのかしら?」
隣のセレナへ声をかける。
彼女は、不安げに眉を寄せた。
「どうやら……敵国の動きが急に活発になったみたいなの。まるで、こちらの内情を知っているみたいに……」
――素晴らしい。
込み上げる笑みを、エトワールは必死に押し殺す。
ここまで順調とは。
ここまで美しく、繋がるとは。
――あとは、幕が上がるだけ。
その時だった。
三人の王子が、こちらへ歩み寄ってくる。
教室のざわめきが、すっと引いた。
「エトワール」
名を呼ばれる。その声は低く教室に響いた。
――来ましたわね。
「少し、話がある」
「……なんでしょうか?」
わずかな沈黙。
そして、告げられる。
「君に、スパイの容疑がかかっている」
空気が凍りついた。
視線が、一斉に集まる。
「……冗談にしては、質が悪いですわね」
「冗談であってほしいのは、僕達も同じだよ」
レオンが言い返す。その声には、確かな重さがあった。
「昨日、ある商人が国を出た。その直後から敵国が動き出した」
「そして――その商人に手紙を渡していた人物がいる」
逃げ場はもうない。
「……それが、ワタクシだと?」
「監視役が確認している」
ざわり、と教室が揺れた。
疑い。困惑。恐れ。
それらすべてが、エトワールへと向けられる。
――完璧ですわ。
喉の奥で、笑いが出そうになる。
だが…
「違いますわ」
あえて、否定する。ここで認めてしまっては、エトワールの求める破滅にはたどり着けないからだ。
「たまたま用があって、手紙を渡しただけですの。他にも商人はいたでしょう?それに、身元不明の手紙の情報を鵜呑みにするほど、敵国のお頭はよろしくないと?」
「……敵国が最近偵察をこちらに送っていることは確認済みだよ。君の手紙で、情報の信憑性が確かなものになり、攻めてきたんだろう。そして、他の商人は手紙を貰っていなかった」
王子達に、一歩、追い詰められる。
沈黙が重く沈む。
その時――
「待って!」
セレナの声が、空気を裂いた。
「エトワールがそんなことするわけない!」
震える声。それでも、はっきりと言い切る。
「証拠はあるのか? 偶然の可能性だって――」
「セレナ……」
「だって! 今まで一緒にいたじゃない! 優しくて、誰にでも気を配って――そんな人が裏切り者なわけない!」
言葉が、感情がぶつかっていく。
教室の空気が揺らぐ。
「……俺も、そう思う」
「エトワールが……そんなことするわけない」
一人、また一人と、声が上がる。
疑いが、揺らぐ。
空気が、変わる。
そして――
「……もう少し調べよう」
アルフレッドが、静かに言った。
「安心してくれ。まだ断定するつもりはなかったんだ。君の口から一言欲しくてね」
――は?
「必ず、君の無実を証明しよう。私達、王子の名誉にかけて」
思考が、止まる。
「私達は、君の味方だ」
あり得ない。
あり得ないあり得ないあり得ない。
ここまで証拠が揃っていて。
ここまで綺麗に仕組んで。
それでも、なお。
「信じる」と?
――人はここまで都合よく目を曇らせることができるのか
「よかった……エトワール……」
セレナが、安堵したように微笑む。
その顔を見た瞬間。何かが、決定的に壊れた。
「……余計なことを」
ぽつり、と零れた声は、彼女にしか届かない。
「え……?」
理解できない、という顔。当然だろう。理解できるはずがない。
「だけれど、疑いが完全に晴れた訳じゃないんだ。だから君には監視を…エトワール?…どうした?」
エトワールは、踵を返した。空き教室。静寂。誰もいない空間。
「……最悪の気分ですわ」
積み上げたものが、崩れていく。完璧だったはずの破滅が、歪められる。
「このままでも進めますけれど……美しくありませんわ」
胸の奥に残るのは、不快感。これは違う。これは、望んだ結末ではない。
「――リセットですわ」
迷いはなかった。
本当にこれでループできるのか。
このまま終わるのではないか。
「そんなの…わたしに関係ない」
その言葉がどちらの言葉だったのか、もうわからない。
気に入らない。
ただ、それだけだった。
短剣を取り出す。
躊躇いもなく、胸へ。
突き立てる。鈍い音。熱。
そして――
「……次こそは」
血が、零れ落ちる。意識が、途切れていく。
「エトワール……?」
遅れて開かれた扉。
立ち尽くすセレナと王子達。
赤く染まった床。
動かない身体。
鼻を刺す生臭い匂い。
「……え?」
理解が追いつかない。
そして――
「いや……いやああああああああああ!!」
悲鳴が、響いた。
この世界は、そこで一度幕を閉じた。




