第二十二話《陽見池グラトニーⅨ》
「…………あー」
「先輩、お見舞いに来ましたよー」
「おう……刹那岬か。ありがとよ……」
魔術病院第三号棟506号室。
そのベッドに、【七大罪】ーー九々津は横たわっていた。
刹那岬はベッドの隣に置かれてある簡易な椅子に腰掛けた。
「……さて、ド馬鹿の先輩。気分はどうですか?」
「……最高だな」
あの後、九々津たちはどうなったのか。
確かに、天狗の手により乱気流は突破出来た。ヴェルゼバブの動きも、ゼアルの閃光で止められた。ノエルはヴェルゼバブの周りをうろちょろし、撹乱してくれた。
が。
「……直接魔力の塊に突撃するとか、本当にド馬鹿です」
刹那岬は溜息をつきつつ言った。
そう。
あまりに鬱陶しい対策をしてしまった結果、ヴェルゼバブが耐えかねて魔力の防壁を作り、閉じこもってしまったのだ。普通の魔法師ならば、その空間に踏み込んだ瞬間に喰われるのだが、九々津は別だ。
……が、その九々津には魔力が残っていなかった。その残っていなかったことが問題だった。
九々津は自らの身体の怪我を顧みず、生身で突っ込み、結果ーー。
「……麒麟校長の回復魔法。保健医魔法師の回復魔法。傷の処置。その他もろもろしてもらって……全治一ヶ月」
「…………」
「ド馬鹿」
「……返す言葉もない……」
寝転がったまま返す九々津。だが、それも当たり前だ。全治一ヶ月の上に、全身が筋肉痛。加えて魔力の流れの異常。
というか、この状態で一ヶ月程度で済んだとは奇跡に近い。
「……はぁ、どうあっても先輩のド馬鹿は治らないんですね」
「……そんな気はするな……」
頭が揺れ、グラグラする感覚が九々津を襲う。これは魔力の流れの異常によるものだろう、不思議と揺れるにも関わらず、吐き気はしなかった。
「……先輩、ひとつ……教えてもらえませんか?」
「……なんだ? フラつかないうちに言ってくれ。答えられることなら答える」
九々津はそう言って、首元の傷を抑えた。傍目には、傷が痛み出したと思うだろうが、傷を抉られるような、だが痛みのない不快な感覚が九々津にはしていた。
刹那岬は、俯いて言葉を紡ぐ。
「……どうして、陽見池先輩にヴェルゼバブが……?」
そう。一番の疑問は、それだった。
本来、九々津にしか宿っていないはずの【七大罪】の悪魔ーー暴食のヴェルゼバブが、陽見池に宿っていたのだ。加えて、刹那岬は今まで九々津が【七大罪】ということも知らなかったのだ。当然の問いだった。
九々津は重い口を開き、語る。
「……俺が【七大罪】を宿したのは、五年ほど前ーーそうだな、12の夏ごろか。蝉が煩い、8月終わりの時だ」
ーーーーー
「あはは、見て見てさっちゃん!」
黒髪の活発そうな、いかにも虫好きなやんちゃな少年は、さっちゃんと呼ばれた少女へと、クワガタを片手に歩いていく。
「ろっくん、すごーい! ねぇ、蝶々とれる?」
「さっちゃんズルい! 兄さん、私も欲しいです!」
「うるさーい! いーの、ろっくんは私の彼氏なんだよー!」
「えっ、ま、まってさっちゃん。聞いてないよ!?」
「うー、兄さんは私の兄さんなんですぅ!」
「ちょっと待、あ、ぎゃあああ!」
戯れる三人の子供の声。笑い声。夕暮れまで遊び、疲れる毎日。
そんな日々が続き、いつまでも三人で笑えたらーー。
だが、そんな日々は突然に瓦解した。
通り魔ーーそれも、魔法師の悪魔使いだ。
それが、九々津の家族を襲った。
全滅だ。当たり前だ。九々津の家族には誰一人魔法師などいない、普通の家庭だったのだ。
そして、愛していた妹を、目の前で食い散らかされた。
「……い、いざ、よ……」
「……兄さ……ごめ、なさ……逃げ……」
「いいねいいねー。逃げられると思ってんのがまだ足掻く証拠だな、うん。まぁこの嬢ちゃんは助からねーけど、坊主だけなら助かるかもな?」
……妹を、見捨てて逃げろと?
妹の腹からは臓器が覗き、とても助からないのは子供の自分でも分かった。
だが、それがどうしたのだ。
例え助からなくても、自分のみが妹を見捨てて逃げるなど、出来るはずもない。
「……あ……あ、ァァァァァァァァァ!」
幼すぎる拳を握りしめ、闇雲に魔法師へと殴りかかる。が、魔法でもなんでもないーーただの蹴りで吹き飛ばされる。
ただ一撃の蹴りで、全身が軋む。
涙が溢れるが、構わない。相手を睨みつけ、全力で立ち上がる。
「フゥーッ!フゥーッ!」
「いいね……お前。その眼、最高だぜ……」
九々津の眼はドス黒い感情で埋め尽くされていた。
また殴りかかる。が、今度は軽い張り手でやられる。
情けない。だが、これが子供と大人の力の差。一般人と、魔法師の力の差。
「……返せよ」
「あん? なんだって……」
「………返せ、返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ十六夜ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!」
瞬間。
九々津から、黒い翼が現れた。
ーーーーー
家の中は、瓦礫と死体でめちゃくちゃだ。九々津は放心し、膝をついて妹の死体を見つめていた。
そっと冷たい頬を撫でる。
可愛い小さな顔。黒い長い、サラサラの髪の毛。自分とは違う、青い綺麗な眼。柔らかそうな唇。
もう二度と、この口からは「兄さん」という単語は現れない。
「……ろっくん。なに、これ……」
振り返ると、お菓子を持った少女がいた。
お菓子。それが危なかった。
少年に宿りし一匹の悪魔は、常に空腹。ましてや『あの後』では、それが顕著だった。
【……オイシソウ……】
「ま、待って! やめて、やめて!」
悪魔は少年の身体から抜け出る。悪魔は少女の持つチョコレート菓子に食らいつき、一瞬で食べ尽くすと少女も喰らうべく大口を開く。
その直後、金髪の黒スーツの悪魔がそれを止めた。
どうやら子供の姿の、少女を喰らおうとした悪魔は懐いているのか、声をかけられるとすぐさま喰らうのはやめたが、我慢は効かなかったのかそのまま少女に取り憑いてしまった。
ーーーーー
「……と。まぁ、そんなわけ」
「…………………」
九々津は、なんでもないように話終えたが、刹那岬は絶句した。
九々津は、一人暮らしではなく、独人なのだ。
あぁ……どれだけさみしかったのだろうか。
さみしくなかったわけがない。九々津は、その時からずっと一人で、陽見池にも何も言っていなかったのだろう、そして全てを抱え込んで。
思わず、刹那岬は九々津を抱きしめていた。
泣いてはいない。優しく微笑み、そっと頭を撫でていた。
「……なにしてんの、お前」
「……先輩……少しだけ、このままがいいです」
「はっ!?」
九々津は筋肉痛で動けない。
抵抗も出来るわけもなく、素直に抱きしめられて撫でられている。
後輩にこの扱い……いや、後輩とかそれ以前に、見られたらかなりヤバい。死ぬ。だが、九々津は。
この暖かみは、懐かしかった。
ーーーーー
九々津を見ると、目を閉じ、九々津は既に眠りについていた。すうすうとリズミカルな寝息を立て、無防備な姿を晒している。
思わず、九々津の寝顔に見入ってしまった刹那岬は一気に赤くなり、目を逸らす。
「……ち、ちょっとだけですから……大丈夫、ですよね……?」
そおっと、刹那岬は人差し指を立てて九々津の頬をプニプニと突っつく。起きる気配は皆無。
「…………ね、寝たふりとかじゃあ……ないん、ですよね?」
無論、そんなはずもなく、九々津は寝こけている。
刹那岬は自分を落ち着けようと、孤軍奮闘した。
落ち着きましょう。なにを考えてるんですか私はド馬鹿ですかでもこんなチャンス滅多にというかチャンスってなんですかチャンスって落ち着きなさい私。
たっぷり十数分かけて、刹那岬の出した答えは。
「……先輩、起きてますよね? ……う、嘘をつき続けるなら……襲い、ますよ……?」
当然ながら、返事はない。
九々津も、寝たふりなどしてはいないとは明白だが、あえて刹那岬はそう問いかけた。
こうすれば、九々津のせい、と出来る……はず、だからである。
「……先輩、ラストチャンスですよ……? 起きないなら……その、き、ききききき……キス、しますからね……?」
答えない。九々津は自分の貞操が危ないことなど知らないかのように(実際知らないが)深い眠りへと落ちてしまっている。
真っ赤に紅潮させた顔を、おそるおそる眠りこける九々津の唇に近づけ、そしてーー。
その隣の、頬にキスした。
「……これは、無茶した罰……なんです。だから、その……」
「……今度は、先輩からして下さいね?」
刹那岬は、赤い顔のまま病室からそっと出た。
月影です。はい、陽見池グラトニーは完結しましたので、次回からは刹那岬メランコリックになります。




