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泥濘の塹壕から敵将の腕の中へ ~手柄を奪われ見捨てられた魔導士は、敵国の名将に愛される~  作者: だんよ


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番外編 第一話 バレット視点

敵前逃亡したバレット少佐の話がなかったので番外編で補完というか書きます。

5話+1話あります。もうちょっとだけ続くんじゃ。

 吹き荒れる夜の猛吹雪が、大隊本部テントの天幕をバタバタと激しく打ち鳴らしていた。

 遠くから地鳴りのように響いてくるのは、我がルーエン王国軍の補給線を容赦なく叩き潰すガルディニア帝国軍の重砲撃の轟音。地面が波打つように揺れるたび、机の上に並べられた高級ブランデーの瓶と、磨き上げられたワイングラスがカチャカチャと不快な金属音を立てていた。


「ひ、酷い……! 左右の友軍連隊の防衛線が完全に突破されました! 敵の戦車魔導部隊がこの丘を三方から包囲しつつあります!」


 青ざめた顔でテントに飛び込んできた副官の叫び声に、私――ゴドウィン・バレット少佐は、苛立ち任せに手元の作戦図を握り潰した。


「ええい、うるさい! 喚くな無能どもが!」


 私は王都の名門バレット伯爵家の三男だ。

 本来であれば、こんな泥と糞尿と死体の悪臭が立ち込める最前線などに来るはずではなかったのだ。叔父である陸軍省軍務卿の根回しで、手軽に武功を立てて中央の将官へと栄転するための箔付けとして、この第4魔導歩兵連隊の大隊長という地位に就いただけなのだ。

 それなのに、あの無能な参謀本部の狂人どもが『乾坤一擲の縦深突破大作戦』などという無茶苦茶な作戦を命じたせいで、私は敵の首都の目の前という最も危険な袋小路に閉じ込められてしまった。


「少佐殿! 第4小隊のエレナ准尉から緊急入電です! 『敵の重囲により弾薬・魔石が完全に底をついた。至急、撤退の許可と後方からの砲撃支援を要請する』とのことですが……!」


 通信兵が差し出してきた電文用紙を一瞥し、私はペッと絨毯の上に唾を吐き捨てた。


「ふん! 平民上がりの小娘が生意気に指図するな! あいつらに『陣地を死守せよ。一歩も退くことは許さん』とだけ打電しておけ!」

「し、しかし少佐殿! あのトーチカにはもう小銃弾すら数発しか残っていません! エレナ准尉も肩を負傷しており、援護なしでは数十分で全滅します!」

「黙れ! 貴様、この私に口答えする気か!」


 私は軍靴で通信机を激しく蹴り飛ばした。


「あんな貧乏農家の娘や雑兵どもの命など、何人死のうが知ったことか! 平民の分際で、少し魔導の腕が立つからと調子に乗りおって! あいつらが敵を引きつけている間に、私たちが脱出する時間を稼ぐのが当然の義務だろうが!」


 私の怒号に、側近の貴族将校たちは顔を見合わせ、引きつった笑みを浮かべて頷いた。

 そうだ。私の命は、平民の雑兵数千人の命よりも遥かに重く、尊いのだ。こんな掃き溜めで死んでたまるものか。


「おい、裏に隠してある装甲指揮車のエンジンをかけろ! 魔石燃料を満タンにし、積めるだけの高級食料と酒を積み込め!」

「はっ! すでに準備は整っております!」


 私たちは泥だらけの軍服の上に分厚い毛皮の外套を羽織り、机の上に残された機密書類に火をつけると、テントの裏口から闇の中へと駆け出した。


 そこには、連隊にわずか一台しか配備されていない、最新型の防弾装甲指揮車がアイドリング音を響かせて待機していた。

 後方の輜重隊から徴発した大量の肉缶詰やワイン、そして私財を詰め込んだ豪奢なトランクがぎっしりと積み込まれている。


「少佐殿! 乗せてください! 足を撃たれて歩けないんです!」

「頼む、置いていかないでくれ! 俺たちを見捨てる気か!」


 装甲車の周囲には、後方から逃れてきた負傷兵や下士官たちが群がり、すがるような目で車体に血まみれの手を伸ばしてきた。

 私は眉をひそめ、腰の拳銃を引き抜いて窓から空へ向けて一発威嚇射撃を放った。


 パァンッ!


「どけ、ゴミどもが! 貴様らのような下級兵士が触れていい車ではない! 邪魔をするなら全員敵前逃亡で銃殺するぞ!」


 怯えて後ずさりする兵士たちを押しのけ、装甲車は泥濘を撒き散らしながら急発進した。

 車輪が誰かの脚を踏み潰した鈍い感触が伝わってきたが、私は一度たりとも後ろを振り返らなかった。


「出せ! 全速力で西の抜け道を突破しろ!」


 背後では、エレナたちが残された前線トーチカの方向から、激しい銃声と魔導榴弾の炸裂音が夜空を真っ赤に染め上げていた。

 敵の猛攻がトーチカに集中しているおかげで、包囲網の端にはぽっかりと隙間が空いていた。

 エレナたちが命を削って敵を足止めしているその隙に、私と側近数名だけを乗せた装甲車は、夜の雪原を滑るようにして包囲網を脱出していったのだ。


 ◇


 それから三日三晩、私たちは友軍の敗残兵の群れを追い越し、補給を求める後方部隊の車輌を強引に跳ね除けながら、ひたすら本国へ向けて車を走らせた。

 街道沿いには、燃料が切れて乗り捨てられた数百台の軍用トラックや、凍死した味方の兵士たちの遺体が累々と転がっていた。

 無線機からは、各部隊からの悲痛な救援要請が絶え間なくノイズ混じりに流れてきたが、私は通信機のスイッチを乱暴にへし折った。


「雑音を聞くな。前を見ろ」


 そして――私たちは、ついにルーエン王国の国境関門を越え、平和な王都の白亜の城門をくぐり抜けた。


「ふう……助かった……! 生き延びたぞ!」


 王都の石畳を踏みしめた瞬間、私は全身の力が抜け、装甲車のシートに深く背を預けた。

 王都の街並みには、前線の泥や硝煙など微塵も存在しなかった。街行く人々は優雅な衣服を纏い、カフェやレストランからは楽しげな音楽が流れている。


 だが、安堵の直後、冷たい現実が私の脳裏をよぎった。


(待てよ……。大隊長である私が、部隊を全滅させて自分だけ逃げ帰ったとなれば、軍法会議で敵前逃亡罪に問われるのではないか……?)


 もしそれが公になれば、少佐の階級剥奪どころか、銃殺刑すら免れない。

 私の顔から、急速に血の気が引いていった。


「少佐殿……どうなさいますか? 連隊本部に何と報告すれば……」


 一緒に逃げてきた側近の将校が、青ざめた顔で尋ねてきた。

 私は煙草に火をつけ、深く煙を吸い込みながら、冷酷な頭脳を高速で回転させた。


「……決まっているだろう」


 私はニヤリと口元を歪め、側近たちの肩を叩いた。


「我々は敵前逃亡などしていない。……我が大隊は、敵の圧倒的な大軍に対し最後まで勇敢に戦い、敵首都近郊において敵一個師団を壊滅させる大戦果を挙げたのだ。だが、敵の卑劣な奇襲により部隊は孤立。大隊長である私が、自ら殿軍を率いて敵の包囲網を切り裂き、奇跡の生還を果たした……そう報告書を書くのだ」

「な、なるほど……! しかし、前線に残してきたエレナ准尉たちの証言はどうしますか? もしあいつらが生きていたら……」

「馬鹿者が。あの包囲網の弾幕を見ただろう? 弾薬も魔石もないあいつらが生き残れるはずがない。……全員、名誉の戦死だ。死人に口なし、だ」


 私の完璧な保身のシナリオに、側近たちは安堵の笑みを浮かべて頷いた。


 その夜、私は直ちに叔父である陸軍省軍務卿の豪邸へと赴き、密談を行った。

 叔父もまた、甥である私が軍法会議にかけられればバレット家の名誉に傷がつくことを恐れ、全面的に私の報告書を追認し、上層部への根回しを約束してくれた。


「ゴドウィン、よくやった。この敗戦で参謀本部は無能の烙印を押されるが、お前だけは『劣勢の中で唯一光る英雄』として祭り上げてやる。勲章も昇進も思いのままだ」

「ありがとうございます、叔父上!」


 他人の血と命を踏み躪り、自らの栄達の階段へと変えるための、醜悪なペテンが今まさに完成したのだ。


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