番外編 第二話 バレット視点
ルーエン王国陸軍省の第一執務室。
豪奢なマホガニーの机の上には、真新しい万年筆と、最高級の羊皮紙が何十枚も積み上げられていた。
私は高級な葉巻を燻らせながら、自らの手で書き上げた『西部戦線第4魔導歩兵連隊・最終戦闘詳報』に、満足げな笑みを浮かべて目を通していた。
「……完璧だ。これ以上ないほど完璧な傑作だな」
私が書き連ねた報告書の内容は、まさに「神算鬼謀の英雄譚」そのものだった。
第一に、第七地区における対砲兵射撃と塹壕突破。
実際には、エレナがあの生意気な小娘の魔力と計算で敵の地下弾薬庫を突き止め、浸透突撃を敢行したにすぎない。
だが、報告書の上ではこうだ。
『大隊長ゴドウィン・バレット少佐は、敵の魔導砲列の配置を独自の直感と高度な戦術理論により看破。自ら第一線に立ち、砲兵隊へ精密射撃の座標を指示して敵砲台群を沈黙せしめ、見事なる突撃を指揮して敵の二重防衛線を完全突破せり』
第二に、第三中継基地における迎撃戦闘。
実際には、私は後方の地下壕で怯え、エレナたち小隊を肉の壁として出撃させただけだった。
だが、報告書の上ではこう書き換えた。
『敵の機動別働隊による補給線急襲に対し、バレット少佐は電光石火の機動防御を展開。自ら増援部隊を率いて敵の側面を急襲し、敵指揮官を撃退して兵站線の寸断を未然に阻止せり』
そして第三に――最も重要かつ周到な、エレナ・アルスター准尉の処分に関する記述だった。
『敵首都近郊の最終包囲戦において、第4小隊長エレナ・アルスター准尉は、大隊本部の再三にわたる後退命令を無視し、功名心に駆られて敵の堅固なる防衛線へ無謀なる突撃を敢行。敵の圧倒的な大軍の前に小隊員全員とともに玉砕し、名誉の戦死を遂げたり。バレット少佐は部下の暴走を食い止めんと奮戦せるも叶わず、自ら殿軍を務めて敵の重囲を切り裂き、奇跡の帰還を果たせり』
「くくっ……あはははは!」
私は執務室で一人、我慢できずに高笑いを漏らした。
「素晴らしい! これなら、作戦が失敗した責任はすべて『命令を無視して突撃し、戦死した平民の小娘』に押し付けることができる! そして私は、部下を失いながらも最後まで戦い抜いた、悲劇の英雄というわけだ!」
もちろん、エレナの小隊の仲間たち――クラウスやミリアといった兵士たちも、全員「戦死」としてリストに記載した。
あの包囲網の地獄から生きて帰れる人間などいるはずがない。万が一、誰かが敵の捕虜になっていたとしても、ルーエン王国政府が提出する捕虜交換名簿に「戦死」と記載しておけば、本国へ送還されることは永遠にない。
死人に口なし。真実を知る者は、この世界から一人残らず消え去ったのだ。
トントン、と執務室の扉がノックされ、叔父である陸軍省軍務卿が入ってきた。
金糸の刺繍が施された豪奢な大将軍服を纏った叔父は、私の報告書を手に取り、眼鏡の奥の目を細めて丹念に読み込んだ。
「ゴドウィン。……実に素晴らしい出来栄えだ」
叔父は満足そうに口元を歪め、朱色の公印を報告書の末尾にドンと捺した。
「参謀本部は今回の敗戦で全員更迭されるが、国王陛下も国民も、この暗い敗戦ムードを吹き飛ばす『生きた英雄』を渇望しておられる。お前のこの報告書は、まさに王家にとっても渡りに船なのだよ」
「ありがとうございます、叔父上!」
「うむ。すでに根回しは済んでいる。明日の国王御前会議において、お前の特進と叙勲が正式に布告されるぞ」
◇
翌日、王宮の大広間。
ステンドグラスから差し込む荘厳な光の下で、国王自らが私の胸元に、燦然と輝く純金の一等武功勲章『白鷲大十字章』をピン留めした。
「ゴドウィン・バレット中佐。そなたの不屈の闘志と、劣勢における卓越した武功を称え、中佐への昇進を命じる。これからの王国の再建に、その若き力を存分に振るってくれ」
「ははっ! 我が命に代えても、国王陛下と祖国ルーエン王国のために尽くす所存であります!」
私は直立不動で敬礼を捧げた。
大広間に居並ぶ数百名の貴族たちや高級将校たちから、割れんばかりの拍手と称賛の嵐が巻き起こる。
「素晴らしい! バレット卿こそ、我が国の真の誇りだ!」
「名門バレット家から、若き軍神が現れたぞ!」
拍手喝采を浴びながら、私は全身に痺れるような快感を覚えていた。
前線の泥水の中で泥だらけになっていたあの日々が、まるで嘘のようだ。
他人が血を流して勝ち取った戦果を横取りし、死んだ部下に泥を塗り、自分だけが栄光の頂点に立つ――これこそが、貴族に生まれた者の特権であり、勝利なのだ。
その夜、王都の一等地に位置する最高級サロンで、私の昇進と叙勲を祝う大晩餐会が催された。
シャンデリアの眩い光の下、最高級の熟成ワインが惜しげもなく振る舞われ、着飾った貴族の令嬢たちが、私の周りに群がってきた。
「バレット中佐様! 敵の首都近郊でのお戦い、新聞で拝見いたしましたわ! なんて勇敢でいらっしゃるのでしょう!」
「まあ、その引き締まったお顔立ち! ぜひ今度の週末、我が家の舞踏会にお越しいただけませんか?」
「ははは、光栄です、お嬢様方。私のような無骨な軍人でよろしければ、喜んでお供いたしましょう」
私はグラスを傾け、美女たちに囲まれながら至福の時を過ごしていた。
新聞の第一面には、私の精悍な肖像画とともに『帝都の喉元を突いた若き英雄・バレット中佐』という大見出しが躍っている。
名声、地位、富、そして女。
すべてが私の思い通りだった。
(エレナ、貴様のような平民の小娘が、私の栄達の踏み台になれたのだ。草葉の陰で感謝するがいい)
私は心の中で冷笑を浮かべ、夜空に向けてワイングラスを掲げた。
だが、この時私はまだ知らなかった。
私が踏み躪ったはずのその「死人」が、遥か敵国の地で、私の砂上の楼閣を根底から粉々に吹き飛ばす巨大な嵐へと変わっていたことを――。
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