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泥濘の塹壕から敵将の腕の中へ ~手柄を奪われ見捨てられた魔導士は、敵国の名将に愛される~  作者: だんよ


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番外編 第三話 バレット視点

 王都の中心街に位置する、高級将校専用のサロン『ルーエン将校倶楽部』。

 磨き上げられたクリスタルのシャンデリアが天井で煌めき、上質な革張りのソファーには、連夜の祝宴を共にする貴族出身の高級将校たちが優雅に寛いでいた。

 私――ゴドウィン・バレット中佐は、特注の白い軍服の胸に輝く『白鷲大十字章』を指先で自慢げに弄びながら、銀のポットから注がれた最高級の紅茶を優雅に口に運んでいた。


「いやあ、バレット中佐! 昨夜の公爵令嬢との夜会も実に見事でしたな! あの気位の高い令嬢が、中佐の前ではすっかり頬を染めて夢中になっておられた」

「ははは、何を言っているんだい、フェルディナンド大尉。私はただ、前線での武勇伝を少し語って聞かせただけだよ。女性というものは、泥臭い現実よりも、英雄のロマンに弱いものだからね」


 私は煙草の紫煙をくゆらせ、周囲の取り巻きの将校たちと共に高らかに笑い声を上げた。

 昇進してからの一ヶ月間、私の生活はまさに栄華の極みだった。

 陸軍省では誰もが私に敬礼を捧げ、社交界では「祖国の若き救世主」として持て囃され、有力貴族からの養子縁組や婚姻の打診が引きも切らない。

 前線の泥濘で死んでいった下級兵士たちのことなど、私の記憶の片隅からも完全に消え去っていた。


 その時だった。


「中佐殿! 大変です! 至急、これをご確認ください!」


 血相を変えた側近の少尉が、サロンの重厚な扉を勢いよく開けて駆け込んできた。

 手には、今朝ガルディニア帝国大使館から外務省経由で各省庁へと一斉配布されたばかりの、金箔押しの豪華な印刷物が握られていた。


「なんだ、騒々しい。サロンの品位を落とすなと言っているだろう」

「そ、それどころではありません! これです! ガルディニア帝国政府から正式に届いた『帝国公報・講和記念特別号』です! 終戦に伴う帝国貴族名簿の改定録が載っているのですが……!」


 少尉の手は、目に見えてガタガタと震えていた。

 私は不機嫌そうに眉をひそめ、紅茶のカップを置いてその公報を受け取った。


「敵国の貴族名簿がどうしたというのだ。あの野蛮な帝国軍が、勝手に誰かを叙爵しようと我が国には関係……」


 言いかけた私の言葉は、公報の見開き中央に躍る、巨大な見出しの文字を目にした瞬間――喉の奥で完全に凍りついた。


『――帝都防衛の最高英雄ヴィルフリート・フォン・ベルンハルト伯爵、至高の戦術魔導士エレナ・アルスター殿と婚姻。ベルンハルト伯爵夫人として正式に帝国貴族名簿に叙爵――』


「な…………?」


 私の視界が、ぐにゃりと歪んだ。

 見出しの下には、帝都の皇宮で撮影された鮮明な魔導肖像写真が、大々的に掲載されていた。

 濃紺の礼装を纏った帝国軍の若き名将ヴィルフリートの隣に、純白の豪奢なドレスを纏い、凛とした涼やかな笑みを浮かべて立つ女性。

 滑らかな亜麻色の短髪。透き通るような琥珀色の瞳。


 エレナ・アルスター。


 紛れもない、あの最前線の泥濘の中で、弾薬も魔石も尽きて一人倒れ伏していたはずの――あの平民の女魔導士だった。


 カチャリ……ガシャンッ!


 私の指先から力が抜け、握りしめていたクリスタルのグラスが床の大理石に落ちて、粉々に砕け散った。

 真っ赤な熟成ワインが、私の特注の白い軍靴と絨毯の上に、血溜まりのように広がっていく。


「ば、馬鹿な……!? う、嘘だ……! こんなことが……あり得るはずがないッ!」


 私は叫び声を上げ、公報を両手で引き裂かんばかりに掴んで、その文字を何度も、何度も狂ったように読み返した。


「死んだはずだ……! あいつはあの包囲網の中で、敵の弾幕に吹き飛ばされて玉砕したはずだ! 私がこの手で『戦死』と報告書を書いたのだぞ!? なぜ生きている!? なぜ敵国の英雄の妻になって、帝国貴族として皇帝から叙爵されているんだあああっ!?」


 サロンの空気が、一瞬にして絶対零度の静寂へと凍りついた。

 周囲にいた貴族将校たちが息を呑み、信じられないものを見るような目で私を見つめている。


「ち、中佐殿……! エレナ准尉は、戦死したのではなかったのですか……?」

「生きていたばかりか……敵国の最高司令官の妻になっているなんて……」


 取り巻きの将校たちの顔から、サーッと血の気が引いていく。

 彼らもまた、私の虚偽報告に加担し、甘い汁を吸っていた共犯者たちだったからだ。


 私の脳内で、警鐘が狂ったように乱打されていた。


(生きていた……あいつが生きていた……! それも、敵国の最高権力者の隣にいる……!)


 もしエレナが、帝国軍のヴィルフリートに真実を話していたらどうなる?

 第七地区の対砲兵射撃も、塹壕突破も、中継基地の防衛も、すべてエレナの功績であり、私が何一つ指示を出していなかったこと。

 前線が崩壊した瞬間、部下を見捨てて自分だけ装甲車で逃げ出したこと。

 そして――保身のために、生きている部下を全員「戦死」として処理し、勲章を騙し取ったこと――!


「ひ……っ、ひいぃぃぃっ……!」


 私の奥歯がガチガチと激しく鳴り響き、膝がガクガクと震えて立っていられなくなった。

 冷や汗が滝のように背筋を伝い落ち、息が苦しくて喉を掻きむしる。

 私が築き上げた栄光、中佐の階級、白鷲大十字章、社交界での賛辞――そのすべてが、一瞬にして巨大な断頭台の刃へと姿を変えて、私の首筋に突きつけられていたのだ。


「し、叔父上……! 軍務卿の叔父上のところへ行かねば……!」


 私が這うようにしてサロンの扉へ向かおうとした、その瞬間だった。


 ――ドガァンッ!


 サロンの頑丈な両開きの大扉が、荒々しい蹴りによって蹴破られた。

 黒い外套を纏い、抜き身のサーベルを手にした十数名の陸軍憲兵隊が、雪崩を打って踏み込んできたのだ。


「動くな! 陸軍省特別監察局憲兵隊だ!」


 先頭に立つ憲兵隊長が、冷酷な眼差しで私を指差した。


「ゴドウィン・バレット中佐! 最高軍事評議会および陸軍省査問委員会より、至急の同行命令が出ている! 直ちに武装を解除し、出頭せよ!」


 床にへたり込んだ私の眼前で、栄光の白昼夢は、音を立てて完全に崩壊しようとしていた。


なんか旧陸軍みたいな憲兵隊出てきたね。

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