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二度目の人生は王太后。前世の知識や捨てたはずの主婦の知恵が、王国を救うきっかけとなりました。  作者: 逆立ちハムスター


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9/23

雨の日の部屋干し革命と、心まで洗う魔法のしずく

「……あーあ。やっぱり、この季節はどこへ行っても同じねえ」


朝、ベッドから起きて窓を開けた瞬間、私は思わずがっくりと肩を落とした。

外は、これでもかとばかりに重い灰色の雲が垂れ込め、ザーザーと容赦ない雨がソルディス王国の王宮を濡らしている。


マリエルとしての記憶を辿ると、この世界にも「雨季」というものがあるらしい。

じっとりとした生温かい湿気が部屋の中にまで忍び込んできて、肌にまとわりつく。前世の日本でも、六月の梅雨の時期は本当に憂鬱だった。洗濯物は乾かないし、部屋の中はなんだかカビ臭くなるし、何より気圧のせいで頭が重くなって、自律神経が乱れてしまう。五十を過ぎてからの雨の日は、それだけで「今日はもう、何もしないで寝ていたいわ」と思ってしまうほど、身体にこたえるものなのだ。


「失礼いたします、王太后様……。うう、なんという酷い雨でございましょう」


朝の着替えを手伝いに来た若い侍女のミーナ(第2話で染み抜きを手伝った子だ)が、ひどく落ち込んだ顔で入ってきた。

彼女の持つリネン類の手触りを確かめてみると、やっぱり、どこか湿気を含んでひんやりと重い。


「ミーナ、お洗濯、大変でしょう。この雨じゃ、外には一枚も干せないものね」


「そうなんです、王太后様……」

ミーナは泣きそうな顔で溜息をついた。

「洗濯場の乾燥部屋には、大きな火の魔石を使った【熱風ドライ】の魔導具があるのですが、この雨続きでフル稼働させていたら、ついに魔石がすべて尽きてしまいまして……。仕方がなく、現在は城内の空き部屋に洗濯物をギチギチに吊るしてあるのですが、全く乾く気配がございません。それどころか……」


ミーナは周囲を気にしながら、声を潜めた。


「なんだか、洗濯物から……その、泥のような、雑巾のような、えも言われぬ『不快な臭い』が漂い始めてしまいまして。洗濯係のチーフが『雨の精霊の呪いだわ』と、部屋の隅で祈りを捧げている始末なのです」


(あちゃあ……。出たわね、『部屋干し臭』)


精霊の呪いでも何でもない。それは現代日本でも主婦を悩ませる「モラクセラ菌」という雑菌の仕業だ。水分を含んだまま長い時間生乾きの状態が続くと、爆発的に繁殖して、あの雑巾のような嫌な臭いを放ち始める。魔法の「クリーン」で表面の汚れを落としても、繊維の奥で菌が繁殖してしまっては意味がないのだ。


「ミーナ、その『呪われた部屋』へ案内してちょうだい。主婦の知恵で、雨の精霊の呪いを解いてあげるわ」


「ええっ!? 王太后様が、あのような臭い部屋に行かれるなんて……!」


「良いから良いから。衣服が臭うなんて、王宮の品格に関わるでしょう?」


私はニナ特製のゴム仕様ドレスの上から、お気に入りの「カッポウギ」をすっぽりと被り、腕まくりをして戦闘モードに入った。


案内された「開かずの空き部屋」の扉を開けた瞬間、私は思わず「うっ」と鼻を突いた。


「これは……なかなかの大惨事ね」


広大な部屋の中に、ロープが幾重にも張り巡らされ、そこに王宮中のシーツや侍女たちの制服、さらには騎士団の訓練着までが、隙間なくギチギチに吊るされていた。部屋の中の湿度は100%に近い。空気は重く澱み、ミーナの言う通り、部屋干し特有のあの嫌な臭いが充満していた。

部屋の奥では、洗濯係のベテラン女性たちが、お香を焚きながら必死に神に祈りを捧げている。


「皆様、手を止めなさい。神頼みをする前に、やることが山ほどあるわよ!」


私がカッポウギ姿で凛と声をかけると、洗濯係たちは「王太后様!?」と驚愕して床に平伏した。


「チーフ、この洗濯物の干し方、これじゃあ何日経っても乾かないわ。いい? 洗濯物を部屋干しする時の鉄則は、神への祈りではなく【風の通り道】を作ることよ!」


私は、前世で梅雨の時期に狭いマンションの洗面所で培った「部屋干し完全攻略法」を彼女たちに叩き込むことにした。


「まず、このロープの間隔を今の倍に広げて! 洗濯物と洗濯物の間は、最低でも拳一つ分……そうね、大人の手のひら一枚分の隙間を必ず空けること。ギチギチに並べたら、湿気がこもって菌が繁殖するだけよ」


「は、ははっ! 直ちに!」

私の迫力に圧され、メイドたちが慌ててロープを張り直し、洗濯物の間隔を空け始めた。


「次に、干し方にも工夫が必要よ。この長いシーツは、普通に真っ直ぐ干しちゃダメ。【M字干し】、あるいは【ジグザグ干し】にするの」


「えむじ……じぐざぐ、でございますか?」

チーフが目を丸くする。


「そうよ。物干し竿ロープを二本使って、横から見た時に『M』の字になるように、たるませて干すの。そうすると、布と布の間に大きな空間ができて、風が通りやすくなるわ。バスタオルなら、片方を長く、片方を短く垂らす【ずらし干し】ね。これだけで、乾く速度が倍は変わるんだから」


主婦なら誰もが知っている、表面積を広げて効率よく水分を飛ばすテクニックだ。


「そして一番大事なのは、この澱んだ空気を動かすことよ。……ガブリエラさん、王宮の魔導具の倉庫に、夏場に王族を涼ませるための『風を起こす魔導具(扇風機のようなもの)』があったわね? あれを、あるだけここに持ってきてちょうだい」


「風の魔導具、でございますか? はい、すぐに手配いたします!」


数分後、部屋の中に数台の大型風導具が運び込まれた。

私はそれを洗濯物の真下、そして少し離れた斜め下から送風するように配置した。


「風をただ当てるんじゃないの。部屋の下に溜まる冷たくて重い湿気を、上に押し上げて、窓から外へ追い出すように風の循環を作るのよ。窓をほんの少し、二箇所だけ開けて、空気の『入り口』と『出口』を作りなさい」


スイッチを入れると、部屋の中に力強い風が循環し始めた。

ギチギチだった洗濯物が、適度な間隔を保ちながら、風に揺られてサラサラと音を立てる。澱んでいた湿気混じりの空気が、窓の外へと吸い込まれていくのが肌で分かった。


「……あ、あれ?」

洗濯係のチーフが、鼻をクンクンと鳴らした。

「お香を焚いても消えなかった、あの嫌な臭いが……風が吹き始めた途端、急速に薄くなっていきますわ……!」


「そうよ。風で水分が早く蒸発すれば、菌は増えられないの。……仕上げに、これね」


私は、第4話で薬草医のロベルト先生から分けてもらった、爽やかな香りと強い殺菌作用を持つハーブ「ミント草」の蒸留水を、霧吹き(のような魔導具)に入れて、洗濯物全体にシュッシュッと吹きかけた。


「これで完璧よ。あと数時間もすれば、おひさまの下で干したみたいに、ふんわりと良い香りで乾くわ」


洗濯係の女性たちは、見る見るうちに部屋の空気が清々しく変わっていく様子を見て、感動のあまり涙を流して私の前に跪いた。


「魔法の石を使わず……ただの風の向きと、干し方の工夫だけで、雨の呪いを退けられるなんて……! 王太后様、あなたは洗濯の聖女様です!」


「聖女だなんて大げさよ。ただの『効率化』。主婦の知恵よ」

私はカッポウギの袖で額の汗を拭い、満足気に微笑んだ。


部屋干しの指導を終えてサロンに戻ると、今度は私の身体が悲鳴を上げ始めていた。

じわじわと、こめかみの奥がズキズキと痛み出す。


(あーあ、やっぱり。この低気圧の頭痛、異世界に来ても治らないのね……)


五十を過ぎると、お天気の変化に身体が敏感に反応するようになる。いわゆる「天気痛」や「気圧頭痛」だ。内耳のセンサーが気圧の低下を察知して、自律神経が乱れてしまう。前世では、こういう日は無理をせず、温かいお茶を飲んで、首の裏を温めてじっとしているのが一番の薬だった。


私がソファに身を横たえ、眉間を押さえていると、部屋の扉が静かに開き、息子のライナルト王が、これまたひどくどんよりとした顔で入ってきた。


「……母上。お健やかにお過ごしでしょうか……。うう、頭が、頭が割れるように痛むのです……」


ライナルトは、いつもの威厳に満ちた姿はどこへやら、自分の頭を両手で抱え込んで、今にも泣き出しそうな顔をしている。


「ライナルト、あなたも? やっぱり、この雨のせいね」


「左様にございます……。私は幼少期より、この雨季の時期になると、頭の中に太鼓叩きが住み着いたかのようにズキズキと痛むのです。宮廷医官のロベルトに薬を処方してもらっても、眠くなるばかりで根本的には治らず……。今日は大事な御前会議があるというのに、これでは集中できません……」


(国を治める国王が、お天気の頭痛でヨロヨロになっているなんて、可愛いところがあるじゃないの)


五十代主婦の母性本能がくすぐられる。

私の息子も、低気圧の日は「頭が重い」って学校を休みたがったものだ。


「ライナルト、こっちに来て、私の前の椅子に座りなさい。お薬に頼る前に、お母さんがあなたの自律神経を整えてあげるわ」


「じりつ……しんけい? またしても、母上の不思議な医療の知恵ですか?」

ライナルトは、藁にもすがる思いで私の前に座った。


「いい、力を抜いてね」


私はライナルトの背後に回り、彼の両耳を優しく手でつまんだ。


「母上……? 耳を、揉むのですか?」


「そうよ。耳の周りにはね、気圧の変化を感じ取る大切な神経や、血流を良くするツボがたくさん集まっているの。ここを優しく刺激してあげるだけで、頭の痛みがすうっと楽になるんだから」


私は、テレビの健康番組で「天気痛ドクター」が教えていた【くるくる耳マッサージ】を実践した。

まず、両耳の上部をつまんで、斜め上へと優しく引っ張る。次に、真ん中をつまんで横へ。そして耳たぶをつまんで下へと、じんわり引っ張る。

その後、耳全体を手のひらで包むようにして、後ろ方向へ大きく5回、くるくると回した。


「……あ、あ、あれ?」

ライナルトの口から、驚きの声が漏れた。


「どう? 耳の周りがポカポカしてきたでしょう」


「はい……! なんだか、耳の奥がじわーっと熱くなって、首から頭にかけての、あの嫌な突っ張り感が、みるみるうちに解けていきます……!」


「仕上げはここよ」

私は、ライナルトの首の裏の付け根、髪の生え際にあるクボミ「風池ふうち」と「天柱てんちゅう」のツボを、親指でぐっと押し上げた。


「うひゃあああ……っ!」

ライナルトが、気持ちよさのあまり変な声を上げた。


「効くでしょう。そこを刺激すると、脳への血流が一気に良くなって、気圧のモヤモヤが吹き飛ぶの。はい、これで終わりよ」


私が手を離すと、ライナルトはゆっくりと立ち上がり、自分の頭を何度も触って確かめた。


「凄い……! 本当に、頭の芯の痛みが消えている! 視界まで明るくなりました! 母上、ただ耳を引っ張って回しただけなのに、これは一体どのような高位の【精神安定リラックス】の秘術なのですか!?」


「秘術じゃないわよ。ただの『耳マッサージ』。自分の身体の巡りを良くしてあげただけよ」

私は笑いながら、用意しておいた温かいお茶を彼に差し出した。


「雨の日はね、無理をしないのが一番だけど、こうしてちょっと耳を動かしてあげるだけで、お薬を使わなくても元気に乗り切れるのよ」


ライナルトは、お茶を一口飲むと、心底からの敬服の眼差しを私に向けた。


「母上……。あなたは午前中、洗濯場の『雨の呪い』を風の配置だけで解き放ち、今度は私の『長年の持病(天気痛)』を、耳を動かすだけで癒やしてしまわれた。……あなたの知恵は、自然の摂理をも味方につける、真の『生活の覇者』のものです!」


「すぐに、この【聖なる耳回しの術】を、雨の日の頭痛に苦しむ我が国の民たち、そして兵士たちにも伝えます! これで雨の日の生産性が劇的に向上し、国力がさらに高まるに違いありません!」


(……いやいやいや、ただの天気痛対策だから。国力とか関係ないからね?)


私は心の中で頭を抱えた。

私のちょっとしたおばあちゃんの知恵袋が、どうしてこうも「国家の生産性向上政策」に変換されてしまうのか。


けれど、まあ……雨の日特有のどんよりとした空気が、私の周りだけは、サラサラとした心地よい風と、温かい笑顔で満たされている。それなら、主婦としてはこれ以上の大成功はない。


「おばあ様ー! お耳、くるくるして! 僕もシアも、頭がちょっとおもーい!」

「シアも、お耳ぽかぽかにしてほしいな!」


部屋に走ってきたレオンとシアを両膝に乗せ、私は二人の小さくて可愛いお耳を、優しくくるくると回してあげた。

「はーい、お耳くるくるね〜。これで雨の日も、元気いっぱいに遊べるわよ」


窓の外では、まだ激しい雨が世界を濡らし続けている。

けれど私の異世界二度目の人生は、どんな雨雲よりも明るい、温かな主婦の太陽に照らされていた。

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