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二度目の人生は王太后。前世の知識や捨てたはずの主婦の知恵が、王国を救うきっかけとなりました。  作者: 逆立ちハムスター


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8/23

疲れ目には温冷療法、そしてお肌を生き返らせる禁断のぷるぷるパック

「……あー、やっぱり。近くの文字が、どうにもボヤけるわねえ」


朝陽が燦々と降り注ぐサロンの机で、私は手元にあるソルディス王国の公文書を少し遠ざけたり、近づけたりしながら、何度も目をパチパチとさせていた。


五十を過ぎてからの身体の変化で、何が一番じわじわと精神を削るかと言えば、それは「視力の衰え」――いわゆる老眼である。

前世の真理子だった頃もそうだった。最初は「最近のスマホは画面が小さいわね」なんてフォントサイズを大きくしていたのだけれど、気がつけば買い物の時に商品の裏の「成分表示」や「賞味期限」の小さな数字が全く読めなくなっていた。百円ショップで老眼鏡をいくつか買い込み、リビング、キッチン、寝室と、家中のあちこちに配置していたっけ。


この異世界に来て、マリエルとしての肉体は確かに若々しくなった。見た目は四十代前半の、凛とした美しさを保っている。……けれど、不思議なことに、魂が五十代主婦のままだからか、あるいは王太后としての細かな書類チェックが続いたせいか、ここ数日、どうにも「目の疲れ」と「かすみ」が酷いのだ。当然、目薬なんて便利な物はない。


「王太后様、お加減が悪うございますか? お茶を新しく淹れ直しましょうか」


控えていたガブリエラさんが、私の様子に気づいて声をかけてくれた。

彼女はここ数日、ニナが仕立てた「ウエストゴム仕様のドレス」を愛用しており、心なしか以前よりも姿勢が良く、声にもハリがある。


「いいのよ、ガブリエラさん。ただね、この報告書の数字を読んでいると、なんだか目がシパシパして、頭まで重くなってくるの。この世界には、目を良くする魔法なんてないかしら?」


「目を……でございますか?」

ガブリエラさんは、困ったように眉を下げた。

「宮廷魔術師の【治癒ヒール】は、怪我や病を治すことはできますが、このような『目の疲れ』や『かすみ』といった細かな不調には、あまり効果がございません。皆様、ハーブを煎じたポーション(薬)を飲まれたり、冷たい水で目を洗ったりして、ただ耐えておられるのが現状です」


「やっぱり、どこに行っても特効薬はないのねえ」

私はペンを置き、親指と人差し指で目頭の鼻の付け根にあるツボ「晴明せいめい」をぐっと押し込んだ。ツーンとした痛みが脳に響いて、思わず「くぅー」と声が出る。前世でパソコンやスマホをいじりすぎた時、いつもテレビの健康番組の真似をしてやっていたポーズだ。


そんな私のもとへ、今日も今日とて、バタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。


「母上! 大変です! 国家の重大な危機……いえ、私の目の危機にございます!」


飛び込んできたのは、息子のライナルト王だった。その後ろには、いつもは冷静沈着な財務大臣のハルバート伯爵も続いている。

二人とも、いつもなら整っているはずの髪が少し乱れており、何よりその「目」が凄まじいことになっていた。白目の部分が赤く血走り、目の下にはまるで炭でも塗ったかのような濃いクマができている。


「ライナルト、ハルバート伯爵。一体どうしたとうのです? その顔は。まるで徹夜で麻雀でもしたかのような酷い顔よ」


「まーじゃん、とは分かりかねますが……実は、ここ数日、母上のご助言による『断捨離(国庫の整理)』と『お風呂(公衆浴場)政策』の予算編成、さらには隣国との通商条約の細かな見直しが重なりまして、ハルバートと共に、夜を徹して何千枚もの書類の数字を睨みつけていたのです!」


ライナルトは、机にしがみつくようにして訴えた。

「そうしたところ、今朝方から、目の前がチカチカと光り、書類の数字の『3』と『8』の区別が全くつかなくなってしまったのです! ハルバートなど、さきほど国家予算の桁を一つ間違えて、あやうく王宮の全財産を地方の道路舗装に突っ込むところでした!」


「……本当に、死ぬかと思いました」

ハルバート伯爵が、眼鏡を外してヨロヨロと椅子に腰掛けた。彼の目は完全に焦点を失っており、眉間には深いシワが刻まれている。


(あちゃあ……。これは完全な、現代日本で言うところの『深刻な眼精疲労』ね)


徹夜で細かい数字を追いかければ、目の周りの筋肉がガチガチに凝り固まり、血流が悪くなって当然だ。それを放置すると、頭痛や肩こり、吐き気、さらには自律神経の乱れにまで繋がっていく。五十代主婦として、家族が受験勉強や深夜残業でこうなった姿を何度も見てきた。


「二人とも、一旦書類を閉じなさい。そんな目で仕事を続けても、大間違いをして国を滅ぼすだけよ。……よし、私の『主婦の目の特効薬』を試してあげるわ」


「母上の特効薬……!? 失われた、目の癒やし魔術でございますか!?」

ライナルトが、充血した目を輝かせる。


「魔術じゃないわよ。身体の仕組みを利用した『温冷交代療法おんれいこうたいりょうほう』よ。ガブリエラさん、ちょっと手伝ってちょうだい」


私はまず、第3話で開発した、ロロの種を詰めた「ぬくぬく袋」の余りを集めさせた。

今回は目元に乗せるため、ニナに頼んで、細長くて小さな「目元用ぬくぬく袋」を即席でいくつか縫ってもらった。


「これを、火の魔法で人肌より少し熱いくらい、お風呂のお湯と同じくらいの温度に温めて」

侍女に指示を出し、ホカホカに温まった「ロロのアイマスク」を用意する。


同時に、もう一つ。氷を入れた冷たい水に、爽やかな香りのするハーブ「ミント草」の葉を浮かべ、そこに清潔な麻のハンカチを浸して固く絞った「冷たい冷やしタオル」も用意させた。


「さあ、ライナルト、ハルバート伯爵。そこに仰向けになって、力を抜きなさい」


二人は、サロンの大きな長椅子に並んで横になった。国家の最高権力者と財務の大臣が、私の前で借りてきた猫のように大人しく寝転んでいる姿は、少し滑稽でもある。


「まずは、この温かい袋を目元に乗せるわよ」


私は二人の目の上に、じんわりと温かいロロの袋をそっと乗せた。


「……っ!? おおおお……!」

ライナルトの口から、魂が抜けるような声が漏れた。


「熱い……いえ、心地よい熱が、目の奥に……。まるで、固まっていた目の筋肉が、ドロドロと溶けていくようでございます……!」


「ああ……これは、極楽ですな……」

ハルバート伯爵も、完全に脱力して声を震わせている。


「いい、そのまま三分間、じっとしていてね」

目の疲れの多くは、ピントを調節する「毛様体筋もうようたいきん」という筋肉の疲労だ。ここを温めることで、血管が拡張し、溜まっていた疲労物質がサーッと流れ出していく。ロロの種から出る天然の蒸気と、焦がし砂糖のような甘い香りが、彼らの張り詰めた精神まで優しく包み込んでいく。


「はい、三分経ったわよ。次は、これよ」


私は温かい袋をパッと外すと、間髪入れずに、氷水でキンキンに冷やしたミントのハーブタオルを二人の目元にバサッと乗せた。


「あっ!?」

「冷たっ……!?」


二人の身体が、ビクンと跳ね上がった。


「冷たい! 母上、急に氷のような冷気が……!」


「我慢して。これが大事なのよ。温めて広げた血管を、今度は冷やすことでキュッと収縮させるの。これを数回繰り返すことで、目の周りのポンプ機能が働いて、血流が劇的に良くなるんだから」


温めること三分、冷やすこと一分。これを三回ほど繰り返した。

前世で、私が目の奥が重くて頭痛がする時、電子レンジで作ったホットタオルと保冷剤を使ってよくやっていた裏技だ。


最後に冷やしタオルを外した瞬間。


二人は、ゆっくりと目を開けた。


「……あ」

ライナルトが、信じられないものを見るかのように、自分の両手を目の前にかざした。


「み、見える……! 視界が、まるで朝霧が晴れたかのように、恐ろしいほど鮮明に見えます! 壁のタペストリーの細かな刺繍の糸一本一本まで、くっきりと……! 頭の重みも、完全に消え去っている!」


「おお……! 数字が……書類の細かな数字が、まるで生きているかのように頭に飛び込んできます!」

ハルバート伯爵も、眼鏡をかけ直して、飛び起きるように書類を凝視した。

「『3』と『8』どころか、注釈の米粒のような文字まで読める……! これは凄い、目が生き返りました!」


二人は、まるで奇跡の光を浴びた信者のように、私の前で大はしゃぎし始めた。


「母上! ただ温めて冷やすだけで、これほどの効果があるとは……! 宮廷魔術師の回復魔法など、足元にも及びません! これなら、いくらでも書類仕事が続けられます!」


「ダメよ、仕事の合間にはちゃんと目を休めなさい。一時間に一回は、遠くの緑を見るのよ」

私が苦笑しながら諭すと、二人は「ははっ!」と深く頭を下げた。


目がスッキリしたところで、私は自分の顔を触り、ふと別の悩みに思い至った。

目を酷使したせいか、あるいは連日の寝不足のせいか、目の周りの皮膚がカサついているし、なんだか顔全体の「ハリ」が足りない気がするのだ。


(そういえば……前にロベルト先生の薬草園に行った時、手作り化粧水のことは話したけれど、まだ本格的な『パック』は試していなかったわね)


五十代の肌というものは、油断すると一瞬で水分が蒸発し、砂漠のようにひび割れてしまう。この世界の貴族女性たちは、高価な「魔獣の油」や「花の精油」をベタベタと顔に塗っているけれど、それはただ肌の表面に油の膜を張っているだけで、肌の奥(角質層)の乾燥――いわゆるインナードライを悪化させているだけなのだ。


「よし、ガブリエラさん。ちょっと厨房へ行って、あれを分けてもらいましょう。昨日、お茶会で余った『発酵乳ヨーグルト』と、それから『小麦の白粉(小麦粉)』、そして『ハチミツ』よ」


「……お菓子を作るのでございますか?」

ガブリエラさんが不思議そうに尋ねる。


「いいえ。お肌をぷるぷるに蘇らせる、禁断の『美容パック』を作るのよ」


私は厨房から材料を取り寄せると、自室のテーブルで調合を始めた。

器の中に、無糖の発酵乳ヨーグルトを大さじ二杯。そこに、保湿の王様であるハチミツを小さじ一杯。そして、全体を程よい固さのペースト状にするために、細かく挽いた小麦の粉を少しずつ加えながら、スプーンでよく練り合わせていく。


「よし、これくらいのとろみね。これを顔に塗ると、発酵乳に含まれる成分(フルーツ酸や乳酸)が、肌の古い角質を優しく取り除いてくれて、ハチミツが水分をギュッと閉じ込めてくれるのよ」


前世の私が、高級な美容液を買うお金がなかった頃、主婦雑誌の特集を見て試していた「ヨーグルトハチミツパック」である。身近な材料でできるのに、翌朝の肌のモチモチ感が高級パック並みになると、当時のママ友の間でも大流行したものだ。


「さあ、ガブリエラさん。あなたも一緒にやりましょう。顔を綺麗に洗って、髪を後ろでまとめてちょうだい」


「えっ!? わ、私もでございますか? しかし、食品を顔に塗るなど……」


「良いから良いから。お肌のケアに、立場なんて関係ないわよ」


私は戸惑うガブリエラさんの顔に、ひんやりとした白いペーストをヘラでたっぷりと塗っていった。目と口の周りを避けて、顔全体が真っ白になるように。

鏡を見ると、私とガブリエラさんの二人が、顔を真っ白に塗った不気味な姿で並んでいる。


「ふふ、なんだかスケキヨ……いえ、面白い顔ね」

「お、王太后様、これで本当に美しくなれるのでしょうか……。少し恥ずかしいですわ」


ガブリエラさんが真っ白な顔のまま、もじもじしている。

そこへ、調合の音を聞きつけたのか、前回の化粧水の一件以来、私の知恵に並々ならぬ興味を抱いている偏屈医官のロベルト先生が、部屋の扉をノックして入ってきた。


「王太后様、先日のルナ草の蒸留水の件で……って、うわあああっ!? な、何事ですか、そのお姿は!?」


部屋に入るなり、ロベルト先生は腰を抜かさんばかりに驚いて、持っていた薬草の束を落としそうになった。

真っ白な顔をした王太后と侍女長が、ソファに並んで座っているのだから、ホラー映画のワンシーンである。


「あら、ロベルト先生。ちょうどいいところに。これ、今お肌の『パック』をしているのよ。あと五分で洗い流すから、ちょっと待っていてね」


「パ、パック……? 食品を顔に塗りたくって、一体何をされているのですか。怪しげな呪術ですか!?」

先生は狼狽えていたが、私は時計(のような魔導具)を見ながら、「よし、十分経ったわね。ガブリエラさん、ぬるま湯できれいに洗い流しましょう」と立ち上がった。


洗面台で、白いペーストを優しく、こすらないように洗い流す。

そして、清潔なタオルで水分をポンポンと押さえるように拭き取り、鏡を見た。


「……まぁ!!」


隣で顔を洗ったガブリエラさんが、思わず甲高い悲鳴を上げた。

彼女は、自分の頬を何度も手のひらで触り、信じられないというように目を見開いている。


「な……なんということでしょう……! 肌が……肌が、吸い付くようにモチモチとしております! いつも洗顔の後は、砂漠のようにカサついて痛かったのに、まるで水をいっぱいに吸った果実のように、内側から押し返すような弾力がございますわ……!」


私も自分の顔を触ってみた。

(うん、大成功ね。ほうれい線の周りの乾燥小ジワが綺麗に消えて、肌のトーンがワントーン明るくなっているわ)


二人の様子を後ろから見ていたロベルト先生が、半信半疑のまま、ガブリエラさんの頬に恐る恐る触れた。医師としての実証検分だろう。


「……な、何だと……っ!?」

触れた瞬間、ロベルト先生の指が震えた。

「この肌の水分量……そして、古い角質が綺麗に除去され、皮膚の代謝が異常なほど活性化している……! 高価な魔獣の油を塗った時のギトギト感とは全く違う、皮膚そのものが生命力を取り戻したかのような、この瑞々しさは一体……!」


ロベルト先生は、テーブルに残されたヨーグルトペーストの器をひったくるようにして凝視した。

「発酵乳の持つ微弱な酸の力で皮膚を清め、ハチミツの糖分で水分を保持させる……。なんという、なんという完璧な医学的理にかなった調合だ……! 王太后様、あなたは宮廷のあらゆる高価な美容薬を過去のものにされてしまった!」


偏屈医官が、私の前で興奮のあまりハアハアと息を荒らげている。


その日の夕方。

目がシャキッとして仕事が捗ったライナルト王とハルバート伯爵が、再びサロンにやってきた。

二人は、私とガブリエラさんの顔を見るなり、またしてもその場に凍りついた。


「母上……。大変失礼ながら、なんだか……その、肌の輝きが、昼間とお止めを刺すほど違います。まるで、十年前の母上を見ているかのような、圧倒的な美しさと瑞々しさが……」


「ガブリエラ殿まで、まるで新婚の婦人のような艶やかな肌に……。一体、どのような神聖魔術をお使いになられたのですか!?」


ライナルトとハルバートが、驚愕の声を上げる。

すると、横からロベルト先生が、興奮した様子で一歩前に出た。


「陛下! ハルバート閣下! 王太后様が、厨房のありふれた材料から、お肌を劇的に若返らせる【聖なる白塗りの秘術ヨーグルト・パック】を開発されたのです! これは、我が国の全女性の美と健康、ひいては皮膚の病の予防にすら繋がる、偉大なる医学の発見にございます!」


「何だと……! またしても母上の知恵が、我が国の医療に革命を起こしたのか!」

ライナルトが、嬉しそうに拳を握りしめた。

「よし、この『目の温冷療法』と『聖なる白塗りパック』を、王宮の全侍女、そして街の民たちにも推奨せよ! 民の目が健やかになり、肌が美しくなれば、国全体が活気に満ちあふれるに違いない!」


「直ちに、布告の準備を進めます!」

ハルバート伯爵が、生き生きとした目でペンを走らせ始めた。


(……いやいやいや、ただの疲れ目対策と、残り物のヨーグルトパックなんだけどな)


私は、ツヤツヤになった自分の頬を人差し指で突っつきながら、内心で苦笑していた。

「聖なる白塗りの秘術」って、名前がちょっと不気味すぎるでしょうに。


でも、まあ……目がスッキリして、お肌がぷるぷるになれば、毎朝鏡を見るのが楽しくなる。五十代の女性にとって、それ以上の幸せはないわよね。


「おばあ様ー! お顔、ツルツル! 綺麗!」

「シアも、おばあ様みたいに綺麗になりたい!」


部屋に走ってきたレオンとシアを、私は最高の笑顔で迎え入れた。

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