王宮の「もったいない」を整理整頓、そして涙のぽかぽか温活
異世界にやってきて、三日目の朝。
私は、ふかふかの天蓋付きベッドの中で目を覚ました。
「……うん、やっぱり、ちょっと腰が重いわね」
ごろんと寝返りを打ちながら、私は自分の体と対話する。
この世界の私――王太后マリエルの肉体は、前世の五十代後半だった私に比べれば、肌に張りもあるし、髪も豊かだ。見た目は四十代前半くらいに見えなくもない。けれど、中身(魂)がしっかりと五十代主婦のままスライドしてしまっているせいか、あるいは王太后としての緊張のせいか、朝の目覚めには特有の「よっこらしょ」という気怠さが伴う。
五十を過ぎると、人間は自分の体の「トリセツ(取扱説明書)」を嫌でも理解するようになる。
どこをどう動かせば関節が鳴るか、どの季節にどこが冷えるか。私の場合は、とにかく「冷え」と「肩こり」が天敵だった。日本の我が家では、毎朝白湯を飲み、夏でも腹巻きを欠かさず、お風呂上がりには入念にストレッチをするのが日課だったのだ。
「失礼いたします、王太后様。お目覚めでございますか」
トントン、と控えめなノックの音とともに、侍女長のガブリエラさんが入ってきた。
昨日の「染み抜き作戦」以来、彼女の私を見る目は、ただの『気難しい主人の母親』から『信仰の対象』へと完全に変わってしまっている。差し出されるお着替えのドレスを持つ手も、どこか恭しい。
「おはよう、ガブリエラさん。……あら? あなた、なんだか顔色が優れないわね。目の下にクマがあるわよ」
ドレスに袖を通しながら彼女の顔を覗き込むと、ガブリエラさんはハッとしたように俯き、慌ててお白粉の乱れを気にするように頬に手を当てた。
「いえ……お恥ずかしい限りです。少々、夜風が冷え込みましたようで、節々が痛むのでございます。宮廷の侍女たるもの、自己管理を怠るなど言語道断なのですが……申し訳ありません」
「何を言っているの。この国のドレスって、いくら上質な生地だからって、デコルテが大きく開いていて、腕もレース一枚でしょう? こんなに天井が高くて広いお城よ、下から冷気が這い上がってくるに決まっているわ。あなた、足元が冷え切っているんじゃない?」
「え……? は、はい。実は、冬場はもちろんのこと、この季節でも夜間の見回りの後は、足先が氷のように冷たくなってしまい、なかなか寝付けないことが多く……」
ガブリエラさんは、驚いたように目を見開いた。どうやら、この世界の貴族社会では「冷え性」という概念があまり一般的ではなく、「ただの体調不良」や「自己管理不足」として片付けられてしまうらしい。なんて恐ろしいのかしら。
「冷えは万病の元よ、ガブリエラさん。特に私たちくらいの年齢になったら、内臓を温めるのが何よりの薬なんだから。我慢なんて一番ダメ、以ての外」
私はガブリエラさんの手をそっと握った。やはり、指先がひんやりと冷たい。
「ちょっと待っていなさいね」と言って、私は部屋のクローゼット(のような巨大な衣装棚)を思い出した。マリエルの記憶を辿ると、この王宮には使われていない古い部屋や、物資が詰め込まれた「開かずの倉庫」がいくつも、いくつもあるはずだ。
「ガブリエラさん。今日のご予定を少し変更して、王宮の地下倉庫の点検に行きましょう」
「地下倉庫、でございますか? あそこは、先代の王の時代からの古い調度品や、使い道のなくなった寄贈品などが山積みになっておりまして、埃っぽいばかりで何もございませんが……」
「いいえ、宝の山のはずよ。行きましょう」
私は、長年培った「掘り出し物を探す主婦の勘」を働かせ、ガブリエラさんを伴って地下へと向かった。
王宮の地下倉庫は、私の予想を遥かに超えた「混沌」の空間だった。
「……うわあ。これは、なかなかの強敵ね」
重い鉄の扉を開けた瞬間、私は思わず口元を袖で覆った。
広大な地下室には、金銀細工の燭台、色褪せたタペストリー、足を骨折した豪華な椅子、さらには何の儀式に使うのか分からない奇妙な彫像などが、脈絡もなく詰め込まれていた。通路すら満足に確保されていない。
(これ、実家の片付けの時に見た光景とそっくりだわ……)
前世で実家を終活のために断捨離した時の、あの目眩がするような感覚が蘇る。
「いつか使うかもしれない」「高かったから勿体ない」――そんな人間の執着が、埃を被って具現化したような場所。それがこの倉庫だった。
そこへ、偶然にも、息子のライナルト王と、困り顔の財務大臣・ハルバート伯爵(こちらも新顔の、白髪交じりの真面目そうな男性だ)が噂を聞きつけ通りかかった。
「母上、一体何をされているのですか?」
「ライナルト。ちょうどいいところに。ハルバート伯爵もご一緒ね」
私は二人を招き入れ、混沌とした倉庫を指差した。
「あなたたち、この倉庫の維持管理に、どれだけの予算(国費)が使われているか知っている?」
財務大臣のハルバート伯爵が、ギクリとしたように片眼鏡を押し上げた。
「は、はい……。実は、この王宮内にはこうした『使われていない倉庫』が確認できているだけでも五つほどございまして、カビや虫がつかないよう、魔導具による温度管理や、定期的な清掃の人員を配置しており、年間でかなりの銀貨が消費されております。ライナルト陛下にも、この予算を削れないかとご相談していたところでして……」
「やっぱりね」
私は深く頷いた。
「家計も国家も同じよ。使っていないものを維持するために、毎月お金を払い続けるなんて、一番の無駄遣いだわ。……ハルバート伯爵、この倉庫のものを全て『整理整頓』して、不要なものを処分(売却)すれば、管理費はどれくらい浮くかしら?」
「えっ? 処分、でございますか? しかし、これらは先代の王が集められたものや、他国からの贈り物も多く、勝手に捨てるわけには……」
「『捨てる』んじゃないわ。価値のあるものはバザー……じゃなくて、市で売却して国庫の足しにするの。壊れているものや売れないものは直して使うか、素材として再利用する。そして、完全に使えないものだけを処分する。これを『断捨離』、いえ、『聖なる整理』と呼びましょう」
私の言葉に、ライナルト王の目がキラリと輝いた。
「聖なる整理……! 流石は母上、無駄を削ぎ落とし、国庫を潤すための新たな知恵ですね! ハルバート、すぐに母上の指示に従い、人員を手配せよ!」
「は、ははっ! 承知いたしました!」
こうして、王宮の人員を巻き込んだ「断捨離作戦」が始まった。
私は指揮官として、倉庫の前に三つの大きなスペースを作らせた。
「いいですか、みなさん。集まったものを、【今使っている・必要なもの(一軍)】、【価値はあるが使っていないもの(保留・売却)】、【完全に使えないもの(処分)】の三つに分けるのよ。迷ったら、とりあえず『保留』に入れて、一年間使わなかったら売却! これが鉄則です!」
主婦お馴染みの「全出し仕分け術」である。
メイドたちや近衛兵たちが、私の指示に従ってキビキビと動き、物で溢れかえっていた倉庫が、見る見るうちに整理されていく。その様子は、見ているだけでも胸がすくような快感があった。皆さん真面目で助かるわ。
そんな仕分けの最中、私は「保留(売却)」の山の中から、二つの素晴らしいものを見つけた。
一つは、大量の「高級な羊毛の端切れ(はぎれ)」。ドレスを仕立てた際に出た余り布らしく、手触りが最高に良い。
もう一つは、麻の袋に詰められた、大量の「乾燥した粒々」
「ハルバート伯爵、この袋の中身は何かしら?」
「ああ、それは『ロロの種』でございます。数年前に南方から飢饉対策の備蓄作物として輸入したのですが、独特の苦味があって誰も食べず、家畜すら吐き出し、こうして倉庫に眠ったまま、時期を見て……その、いずれ廃棄する予定でした」
私は袋を開け、その種を手に取ってみた。
少し小ぶりで、色はあずき色。触ると、かすかにひんやりとしている。
(……あずき色。そして、この絶妙な粒の大きさと重さ。これって、もしかして……)
前世の私が、冬の夜に愛用していた「小豆の温熱ピロー」が脳裏をよぎった。
小豆は水分を多く含んでいるため、電子レンジ(この世界なら熱の魔法)で温めると、天然の蒸気を含んだ温熱がじわじわと放出され、体の芯まで温めてくれるのだ。
「これよ……! ハルバート伯爵、このロロの種、廃棄するなら全て私がもらいます。それから、さっきの羊毛の端切れも何枚か分けて頂戴」
「はあ、それは構いませんが……一体何にお使いで?」
「宮廷の女性たちを救う、最高の『魔道具』を作るのよ」
私はンフフと笑った。
その日の午後、私は自室にガブリエラさんをはじめ、手の空いた侍女たちを集めた。
テーブルの上には、私がハサミで四角く切り出し、周りを丁寧に縫い合わせた羊毛の小さな袋が並んでいる。その中には、さっきの「ロロの種」がぎっしりと詰められていた。
「さあ、兵士さん。この袋を、焦げない程度に、人肌より少し熱いくらいに温めてもらうわ」
「はい」と、若い近衛兵の一人が進み出て、袋に手をかざした。
「『微熱』」
小さな魔法の光が袋を包むと、中のロロの種がじんわりと温まり、どこか香ばしい、お砂糖を焦がしたような甘い香りが部屋の中に漂い始めた。
「よし、いいわ。ガブリエラさん、ちょっと椅子に座って、襟元を緩めてちょうだい」
「は、はい……?」
戸惑うガブリエラさんの肩に、私は温まった「ロロのぬくぬく袋」を、ぽんと乗せた。
「……っ!?」
ガブリエラさんの体が、びくんと震えた。
「王太后様、これは……これは、一体……っ!」
「どう? 気持ちいいでしょう」
袋の程よい重みが、凝り固まったガブリエラさんの肩にぴったりとフィットしている。そして、羊毛の柔らかい肌触りと共に、ロロの種から放出される「湿り気を帯びた温熱」が、衣服を通り抜けて、彼女のガチガチだった僧帽筋(肩の筋肉)へと、じわじわと染み込んでいく。
「あ……あああ……」
いつも鉄の仮面のように無表情なガブリエラさんの顔が、見る見るうちに、とろけるように弛緩していく。
「温かい……。ただ温かいだけではございません。まるで、お湯に浸かっているかのように、熱が、体の奥の、一番痛むところにまで届いてまいります……。それに、この香ばしい香り……心が、すうっと軽くなるようです……」
ガブリエラさんの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「私……毎晩、冷えと痛みに耐えながら、これが侍女長の務めだと自分を律してまいりました。けれど……こんなに優しい温もりがあるなんて……」
「頑張りすぎていたのよ、ガブリエラさん。お疲れ様」
私が背中を優しくさすると、彼女は涙をそっと流した。
それを見ていた他の侍女たちも、「実は私も、腰が冷えて……」「私も、足先が痛くて眠れなくて……」と、次々と苦労や痛みを吐き出した。宮廷の華やかな舞台裏で、彼女たちがどれほど過酷な環境で耐えていたかが、痛いほど伝わってきた。
「みんな、泣かないで。この『ぬくぬく袋』は、倉庫にあったゴミになるはずの材料で作ったの。まだまだたくさんあるから、全員の分を作ってあげるわ。これからは、夜の見回りの時も、ベッドに入る時も、これを使いなさい」
「王太后様……! あなたは、私たちのような名もなき侍女の痛みまで、お分かりになってくださるのですね……!」
侍女たちは一斉に床に跪き、私に祈りを捧げ始めた。
いや、ただの主婦のアイディアグッズなんだけどな、と苦笑しつつも、彼女たちの冷え切った体が温まっていくのを見るのは、やはり嬉しかった。
さらに、私はもう一工夫加えることにした。
「外側から温めたら、次は内側からね」
私は厨房へ行き、バルト料理長に頼んで、この世界で「ただの雑草(または薬用だが苦い)」とされていた、地球の『生姜』にそっくりな【ジンジ根】という植物を持ってきてもらった。
「王太后様、ジンジ根は太古の時代から体に良いとされていますが、辛味が強すぎて、スープに入れても誰も飲みたがりませんが……」と心配するバルトさん。
「それは、使い方が悪いのよ。ジンジ根はね、薄くスライスして、たっぷりの砂糖(または蜂蜜)と一緒にコトコト煮詰めて『シロップ』にするの。それを、温かいミルクや、お茶で割って飲むのよ」
私は前世で毎年冬に作っていた「自家製ジンジャーシロップ」のレシピを再現した。
じっくり煮詰めることで、辛味成分が甘みと調和し、体を芯から温める最強のドリンクへと変貌する。
完成した【ジンジ・ミルクティー】を、部屋で待つ侍女たち、そして倉庫の整理を終えて戻ってきたライナルト王とハルバート伯爵に振る舞った。
「ほう……! これは、あのジンジ根ですか!? 信じられん、高貴な甘みの奥から、心地よい刺激がやってきて、お腹の底がポカポカと熱くなっていく……!」
ハルバート伯爵が、髭を震わせて感動している。
ライナルト王も、ぬくぬく袋を肩に乗せ、ジンジ・ミルクティーを飲みながら、至福の表情を浮かべていた。
「母上……。あなたは今日一日で、王宮の無駄な予算を三割も削減し、廃棄されるはずだったロロの種と羊毛を【聖なる温熱具】へと変え、さらに不評だったジンジ根を【至高の癒やし飲料】へと昇華させられた。……これは、ただの経済対策ではありません。我が国の民の『心と体』を救う、偉大なる御業です!」
「ハルバート、今すぐこの『ぬくぬく袋』と『ジンジシロップ』の作り方を、街の平民たちにも広めるのだ! 冬の寒さに凍える民たちとエネルギー問題(魔石)が、どれほど救われるか分からん!」
「御意にございます、陛下! 王太后マリエル様の名は、ソルディス王国の『慈愛の女神』として、永遠に歴史に刻まれるでしょう!」
「……?」
気がつけば、またしても私の「ズボラ温活&断捨離」が、国家規模の偉業になってしまっていた。
ただ、実家の片付けのノウハウと、冷え性対策の知恵を披露しただけなのに。
「ま、まあ……みんなが温まって、国庫も潤うなら、万々歳よね」
私は、自分の肩にも「ぬくぬく袋」を乗せ、ジンジ・ミルクティーを一口すすった。
温かい。
この温もりの中にいると、ふと、あの懐かしい面影が浮かぶ。
(健一……。あなたも、よく私の肩を揉んでくれたわね。)
窓の外、異世界の夕焼けは、前世で見た日本の夕暮れと同じように、優しく、そして少しだけ切ない色をしていた。
私の主婦の知恵袋は、まだまだ、この王国を驚かせ続けることになりそうだ。




