スポンジ剣とふんわり蘇生魔法
「……急に風が冷たくなってきたわねえ」
暴風竜(台風)の季節が過ぎ去り、ソルディス王国には一気に初秋の冷たい風が吹き込み始めていた。
朝晩の冷え込みが厳しくなり、そろそろ冬用の暖かい服を出さなければならない、いわゆる「衣替え」の時期である。
「王太后様……。うっ、ひぐっ……」
サロンの隅で、侍女長のガブリエラさんが、自分の手にある一着の冬用カーディガンを見つめながら、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「ちょっとガブリエラさん、どうしたの? そんなに泣いて」
「これ……昨年、王太后様から頂いた、最高級の羊毛で編まれたカーディガンなのです。とても温かくて大切にしていたのに……いざ木箱から出してみたら、この有様で……」
ガブリエラさんが広げて見せたカーディガンは、確かに悲惨な状態だった。
あちこちに小さな穴が空いているだけでなく、表面の至る所に、無数のゴツゴツとした「丸い塊」がこびりついており、さらに子供用かと思うほど全体がギュッと縮んでしまっていたのだ。
「王宮の倉庫に、【衣食い魔】が侵入したに違いありません! 服に穴を開け、さらにはこの忌まわしき『呪いのイボ』を付着させ、服の命まで縮めてしまう恐ろしい魔物の仕業です……!」
そこへ、お決まりのようにバンッ!とサロンの扉が開かれた。
「ははうえぇぇっ!! た、大変ですぞぉぉっ!」
「我が国の危機でございます! おおお、何たる絶望……!」
息子のライナルト王とハルバート財務大臣が、自分たちの冬用外套やセーターを抱き抱えながら、血相を変えて飛び込んできた。その後ろからは、近衛騎士団長のゴードンさんも青ざめた顔で続いている。
「母上! 軍の倉庫に保管していた兵士たちの冬用防寒着が、全滅いたしました! すべてに【衣食い魔】の呪いのイボがビッシリとこびりつき、みすぼらしいことこの上ありません!」
「イボだけではありません! 新兵たちに配るはずのセーターが、妖精用かというほど小さく縮んでしまっているのです! これでは使い物にならぬ……。冬服をすべて新調するとなれば、我が国の国家予算が吹き飛びますぞ!」
(衣食い魔の呪いって……。ただの『虫食い』と『毛玉』と『洗濯の失敗による縮み』じゃないの!)
私は大きなため息をついて、三人の前に立った。
「いい? 魔物の仕業でもなんでもないわ。まず、そのイボは『毛玉』よ。服が擦れ合って繊維が絡まっただけ。そして穴は『虫食い』、縮んだのは『洗い方が悪かった』せいよ! 私が全部直してあげるから、バルトを呼んできなさい!」
数分後、厨房のバルト料理長が不思議そうな顔でサロンにやってきた。
「バルトさん、厨房で焦げ落としに使っている『裏側がザラザラした硬いスポンジ(海綿)』の、新品のものはない?」
「ザラザラした海綿ですか? ありますが……王太后様、まさかそのイボイボの服を、鍋のようにゴシゴシと洗うおつもりで!?」
バルトさんが持ってきたのは、片面が柔らかく、もう片面が硬い不織布(ナイロンのたわしのような素材)でできている、見慣れた台所用スポンジだった。
私はそのスポンジを受け取ると、ガブリエラさんの毛玉だらけのカーディガンをテーブルの上に平らに広げた。
「いいこと? 毛玉を指で無理やりむしり取ったら、生地が傷んで余計に毛玉ができやすくなるの。ハサミで切るのも、生地を切りそうで危ないわ。そこで……このスポンジの『硬い面』の出番よ」
私はスポンジのザラザラした面を下にし、カーディガンの表面を、上から下へと「一定方向」に優しく撫でるように滑らせた。
サーッ、サーッ、と軽い音が鳴る。
「……ああっ!?」
ガブリエラさんが悲鳴のような歓声を上げた。
スポンジが通った後の生地からは、まるで魔法のように毛玉が消え去り、スポンジのザラザラした裏面には、絡め取られた毛玉がごっそりとくっついていたのだ。
「おおおっ!! 呪いのイボが、あの小さな四角い武器に吸い取られていく!」
ライナルトが目をひん剥いた。
「ただ撫でているだけだぞ!? 騎士たちが剣で一つずつ削り落とそうとして、服に大穴を開けていたあの忌まわしきイボが、いとも簡単に……!」
ゴードン団長も、信じられないものを見る目でスポンジを見つめている。
「スポンジの硬い繊維が、毛玉だけをうまく引っ掛けて絡め取ってくれるのよ。やりすぎると生地が毛羽立つから、優しく一定方向に撫でるのがコツね」
五十代主婦の、冬の定番裏技である。
「す、素晴らしい……! しかし王太后様、この『縮んでしまったサイズ』はどうにもならないのでは?」
ハルバート大臣が、カチカチに固まって子供サイズになったセーターを掲げた。
「お湯でゴシゴシもみ洗いしたでしょう? 羊毛はね、水の中で揉まれると繊維が絡み合って『フェルト化』して縮んでしまうのよ。でも大丈夫、ちゃんと『蘇生』できるわ」
私はガブリエラさんに指示を出し、洗面器に「三十度くらいのぬるま湯」を用意させた。そして、自分の私室から、お風呂で使っている『髪用の香油』を持ってきた。
「この髪用のトリートメントを、お湯に少しだけ溶かすの。そして、縮んだセーターを沈めて、三十分ほど漬け込んでおくわ」
三十分後。
私はお湯からセーターを取り出し、軽く水気を絞ってから、テーブルの上に広げたバスタオルの上に乗せた。
そして、セーターの上下左右を、両手でゆっくりと、均等に引っ張って伸ばしていく。
「あ……あっ!? 伸びる……! カチカチだった布が、まるで生き物のように柔らかく広がっていくぞ!」
ライナルトが叫んだ。
「トリートメントに入っている成分(シリコンの一種)が、絡み合ってガチガチになっていた羊毛の繊維をコーティングして、スルスルと滑りやすくほぐしてくれたのよ。人間の髪の毛の絡まりを直すのと同じ原理ね」
私が形を整えたセーターは、見事に元のゆったりとしたサイズを取り戻し、触り心地もフワフワに復活していた。
「そ、蘇生魔法だ……! 縮んで死んだはずの服の命が、完全に息を吹き返した……!」
ハルバート大臣が、感動のあまり分厚い眼鏡を涙で曇らせながら、床に崩れ落ちた。
「王太后様! この【魔法のスポンジ剣】と【蘇生の泉(トリートメント水)】があれば、軍の冬装備をすべて新品同様に復活させることができます! 何万ゴールドという予算が……予算が完全に浮きましたぞぉぉっ!」
「おおお! さすがは母上! まさに錬金術を超える奇跡の御業!」
ライナルトとハルバートが、抱き合って歓喜の舞を踊り始めた。
(だから、ただの毛玉取りと縮み直しだってば……)
「喜ぶのはまだ早いわよ!」
私は二人を一喝し、虫食いで穴が空いた服を指差した。
「一番の敵は『虫食い』よ! 服をしまう時に、皮脂汚れや食べこぼしが残ったままだと、それを餌にする虫が寄ってきて服を食べてしまうの! しまう前は必ず綺麗に洗うこと! そして、『防虫の結界』を張るのよ!」
私は、あらかじめ薬草園から摘んできて乾燥させておいた「クスノキ(樟脳の原料)」の木片と、厨房のバルトさんからもらっていた「乾燥させた柑橘の皮」や「丁子」を、小さな布袋に詰め込んだ。
「これを『防虫香』と言うの。虫は、こういう強いハーブやスパイスの匂いが大嫌いなのよ。これを木箱やクローゼットの引き出しに、服と一緒に忍ばせておくの」
ガブリエラさんがその布袋の匂いを嗅ぐと、「まあ、森の奥深くのような、とてもスッキリとした良い香りですわ」と微笑んだ。
「人間にとっては良い香りでも、虫にとっては猛毒のバリアになるのよ。これでもう、来年の秋に泣くことはないわ」
「完璧だ……!」
ゴードン団長が、感極まった顔で敬礼をした。
「敵(虫)の侵入を【香りの結界】で防ぎ、万が一ダメージを受けても【スポンジ剣】と【蘇生の泉】で直ちに前線に復帰させる! 兵站の維持において、これほど完璧な防衛システムがあろうか! 直ちに、全騎士に台所用スポンジの携行を義務付けます!」
「うむ! そして兵舎のすべての木箱に【防虫の結界】を設置せよ!」
こうして、その日から数日間、ソルディス王宮の至る所で、屈強な騎士たちや文官たちが、真剣な顔で自分のセーターをスポンジで「サーッ、サーッ」と撫でるという、ひたすらシュールな光景が繰り広げられることになった。
「王太后様……。私のお気に入りのカーディガンが、またこんなにフワフワに着られるなんて。本当にありがとうございます」
ガブリエラさんが、復活したカーディガンを胸に抱きしめて、心底嬉しそうに微笑んだ。
「物を大切にするのは、主婦の基本中の基本よ。これで今年の冬も、温かく過ごせるわね」
私は、窓の外の少し色づき始めた木々を眺めながら、温かい紅茶を一口飲んだ。
新しい服を買うのも良いけれど、手をかけて蘇らせた服には、また格別の愛着が湧くものだ。五十代主婦の「ケチケチ……いえ、エコな知恵」は、異世界の国家予算とみんなの笑顔を、今日も見事に守り抜いたのである。




