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二度目の人生は王太后。前世の知識や捨てたはずの主婦の知恵が、王国を救うきっかけとなりました。  作者: 逆立ちハムスター


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「……んんっ、こほっ。なんだか、喉の奥がイガイガするわねえ」


底冷えする真冬の朝。

私はベッドの中で目を覚ますなり、カサカサに乾いた自分の喉と、パリパリに突っ張る顔の皮膚に気づいて顔をしかめた。


異世界の冬は厳しい。ソルディス王宮では、各部屋に「火の魔石」を組み込んだ暖炉のような魔導具が置かれており、室内は常にポカポカと暖かく保たれている。

しかし、五十代の主婦にとって、この「ただ温めるだけの暖房」は非常に厄介な代物だった。


(部屋の空気が、砂漠みたいにカラカラじゃないの……!)


前世の日本の冬も乾燥との戦いだったが、加湿器という便利な家電がないこの世界では、暖房を効かせれば効かせるほど、空気中の水分が根こそぎ奪われていく。

結果として何が起こるか。肌はカサカサになり、髪は静電気でバチバチと広がり、そして最も恐ろしいのが、喉の粘膜が乾燥して「冬の風邪」を引き起こすことだ。


「お、おはよう……ゴホッ! ございます、王太后様……ケホッ、ケホッ」


部屋に入ってきた侍女長のガブリエラさんが、手で口元を覆いながら苦しそうに咳き込んでいる。見れば、彼女の目は充血し、声はすっかり枯れ果てていた。


「ガブリエラさん、酷い咳じゃない。無理して仕事に出ちゃダメよ」

「い、いえ……ゲホッ! 私だけではございません。現在、王宮内の侍女も文官も、半分近くがこの『謎の咳病』に倒れておりまして……」


そこへ、またしてもバンッ!と勢いよく扉が開いた。


「ははうえ! ゴホッ、ゴッホォォッ!! た、大変で……ゲホッ!」

「へいか、無理にお声を……ゴホッ、ゴホッ! あああ、喉が千切れそうですぞ……ケホッ!」


入ってきたのは、息子のライナルト王とハルバート財務大臣だった。

しかし、いつもは元気いっぱいに大声を張り上げる二人も、今日は顔を真っ赤にして、胸を押さえながら猛烈に咳き込んでいる。


その後ろから、偏屈医官のロベルト先生が、青ざめた顔でついてきた。


「王太后様! 一大事です! 王宮に【乾魔かんまの呪い】が蔓延しております! 特効の回復薬ポーションを処方しているのですが、一時的に咳が治まっても、数時間後にはまたぶり返し、薬の在庫が底を突きかけております……!」


(乾魔の呪いって……。ただの『空気の乾燥による風邪の大流行』じゃないの)


私は大きなため息をついた。

喉の粘膜は、ウイルスや菌の侵入を防ぐバリアだ。それが乾燥でカラカラになれば、防御力はゼロになる。いくら高い魔法薬を飲んでも、砂漠のように乾燥した部屋にずっといれば、治るものも治らない。


「ロベルト先生。薬を飲ませる前に、まずはこの部屋の『環境』を直しなさい。ガブリエラさん、咳をしていて辛いところ悪いけれど、洗い立ての清潔なタオルと、水を張った洗面器をいくつか持ってきてちょうだい。あと、部屋の四隅に紐を張ってね」


「ひ、紐と水、でございますか? ゴホッ」


数分後。

私はガブリエラさんが持ってきたタオルを水で濡らし、手でポタポタと水が垂れない程度に軽く絞った。そして、部屋の中に張った紐に、その濡れタオルを何枚も等間隔に干していった。

いわゆる、究極の加湿器代わり――【濡れタオルの部屋干し】である。


「王太后様……? なぜ、王族の寝室に洗濯物を干すような真似を……?」

ロベルト先生が呆気にとられている。


「いいから、黙ってそこに座って深呼吸していなさい」


十分ほど経った頃だろうか。

火の魔石の熱によって濡れタオルの水分が蒸発し、カラカラだった室内に、じんわりとした心地よい「湿り気」が満ち始めた。


「……あ、あれ?」

最初に変化に気づいたのは、ライナルトだった。


「息が……吸いやすい? さっきまで、息を吸うたびに喉の奥がヤスリで削られるように痛かったのに……空気が、とても柔らかく感じます! ゴホッ……咳も、少し落ち着いてきたような……」


「本当です……! パリパリに乾いていた目の奥や、肌のつっぱりまで消えていくのがわかります……!」

ハルバート大臣も、驚いたように自分の頬を触っている。


ロベルト先生は、干された濡れタオルと火の魔石を交互に見比べ、ハッと息を呑んだ。


「な、なんという理にかなった手法……! 熱源の近くに水分を含んだ布を配置することで、強制的に空気中に微細な水滴マナ・ミストを拡散させ、呼吸器の粘膜を保護しているというのか! これなら、高価な水属性の魔石などなくとも、空間の湿度を自在に操れる……!」


「そうよ。空気が乾燥している時は、こうして濡れタオルを干すか、お湯を沸かして湯気を立てるのが一番なのよ」


私はふんぞり返りそうになるのを堪えながら、本命の準備に取り掛かった。


「さて、部屋の湿度が上がってバリアが復活したところで、次はすでに傷ついてしまった喉の炎症を治す『特効薬』を作るわよ。厨房へ行きましょう」


---


厨房へ移動すると、バルト料理長もまた「ゲホッ、ゴホッ」と咳き込みながら、マスク代わりの布を口元に巻いて作業をしていた。


「バルトさん、あれはあるかしら。根菜の『シロネ(大根に似た白い野菜)』よ」


「シ、シロネですか? ゴホッ! ありますが……あれは辛味が強いうえに、煮込んでも水っぽくて味が染み込まず、もっぱら魔獣の餌や、下働きの賄い汁に少し入れる程度のクズ野菜でございますが……」


「いいから、一番大きくて瑞々しいのを持ってきて」


前世の地球における「大根」は、冬の食卓の主役だ。しかし、この異世界ではまだ品種改良が進んでいないのか、辛くて水っぽいハズレ野菜として扱われていた。

しかし、喉の痛みにおいて、この大根シロネほど頼りになる相棒はいない。


私はバルトさんが持ってきた丸太のように太いシロネの皮を剥き、包丁で一センチ角のサイコロ状に細かく刻んでいった。それを、煮沸消毒したガラスの空き瓶にゴロゴロと八分目まで詰め込む。


「そこに、純度の高い『ハチミツ』を、シロネが完全に被るくらいまでなみなみと注ぎ込むのよ」


とろりとした黄金のハチミツが、白い大根のキューブの隙間を縫って、瓶の底まで沈み込んでいく。


「王太后様。ただ野菜をハチミツに漬けただけでございますが……これを煮込むのですか?」

ロベルト先生が首を傾げた。


「煮込んじゃダメ。シロネの成分(酵素)は熱に弱いのよ。このまま蓋をして、常温で二、三時間置いておくだけ。実はね……」


私はニヤリと笑い、厨房の棚の奥から、今朝一番に私が仕込んでおいた「もう一つの瓶」を取り出した。


「三時間経ったものが、これよ」


「なっ……!?」

ロベルト先生とバルト料理長が、目を剥いた。


数時間前はドロドロに固かったハチミツが、まるで水のようにサラサラの液体に変化していたのだ。そして、瓶の中にぎっしり詰まっていたはずのシロネは、水分を完全に奪われてシワシワに縮み、瓶の上にプカプカと浮いている。


「ハ、ハチミツが水に変わっている!? 一体、瓶の中でどのような錬金術が……!」


「錬金術じゃなくて『浸透圧しんとうあつ』よ。ハチミツの濃い糖分が、シロネの中の水分を外に引っ張り出したの。そして、その水分と一緒に、シロネが持っている『炎症を抑える成分アリルイソチオシアネート』がたっぷりとハチミツに溶け出しているのよ」


これこそ、日本の冬の民間療法の王様、おばあちゃんの知恵袋の筆頭である『ハチミツ大根』のシロップである。


私はシワシワになったシロネをスプーンで取り除き(これは後でバルトさんに浅漬けにしてもらう)、サラサラになった黄金のシロップを、小さなカップに注いだ。


「さあ、ライナルト、ハルバート。それからガブリエラさんも。これをそのまま、ゆっくりと喉の奥に這わせるようにして飲んでみて」


三人は、半信半疑でカップを受け取り、黄金の液体を口に含んだ。


「……あまっ。でも、後からほんの少しだけ、爽やかなピリッとした刺激が……」

「飲み込んだ瞬間、喉の奥のチクチクした痛みが、分厚い絹のベールで包み込まれたように消えていきます……!」

「それに、なんだか胸の奥までスーッとして、息がしやすいですぞ……!」


三人の咳は、シロップを飲み干した数分後には、まるで魔法のようにピタリと治まっていた。


大根の消炎作用と、ハチミツの強力な殺菌・保湿作用。この二つが合わされば、初期の風邪や喉の痛みなど一撃である。


「す、凄い……! あれほど高価なポーションでも治らなかった激しい咳が、クズ野菜とハチミツだけで完全に鎮静化している……!」

ロベルト先生が、震える手でシロップの瓶を抱きしめた。

「熱を加えず、浸透圧の理を利用して薬効成分だけを完璧に抽出するとは……! 王太后様、あなたはやはり、薬草学の神に愛されたお方だ!」


「おおお! 声が! 我が覇気が完全に戻りましたぞ!」

ライナルト王が、ドーン!と大きな声で叫び、自らの胸を叩いた。

「母上! この【白根の聖蜜エルフ・ネクター】は奇跡の霊薬です! ハルバート! 直ちに国中のシロネを買い上げ、王宮の全職員にこの霊薬を配給せよ!」


「ははっ! それと同時に、全騎士団の兵舎および文官の執務室において、【聖なる濡れ布(加湿タオル)】の掲揚を義務付ける法案を布告いたします! これで、今年の冬は我が国の労働力が落ちることは決してありませぬ!」


(だから、濡れ布の掲揚って……。ただの部屋干しだってば)


大興奮で執務室へと駆けていく息子と大臣の後ろ姿を見送りながら、私は小さく息を吐いた。

喉のイガイガはすっかり消え、厨房は濡れタオルの効果でほどよく潤っている。


「王太后様、残ったこのシワシワのシロネはどうしましょう?」

バルト料理長が、取り出した大根のキューブを見て尋ねてきた。


「ああ、それはお醤油(のような調味料)と少しのお酢に漬け込んでおいて。パリパリして美味しいお漬物になるから。ご飯のお供に最高よ」


「……薬の絞りカスまで美味しく変えてしまうとは。主婦の錬金術には、無駄というものが一切ないのですね」


バルトさんが深い尊敬のまなざしを向けてくるので、私は照れ隠しにハチミツ大根のシロップをもう一口舐めた。


甘くて、優しくて、少しだけツンとする冬の味。

異世界での二度目の人生、私の「主婦の知恵袋」は、厳しい冬の乾燥からも、王宮のみんなをしっかりと守り抜いてくれそうだった。

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