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「……ふぅ。やっぱり、朝起きて最初の一杯はこれに限るわねえ」
少し肌寒くなってきた秋の気配を感じる朝。
私はサロンの窓辺で、湯気の立つマグカップを両手で包み込みながら、しみじみと息を吐いた。
「王太后様。本日は、南の国から献上された最高級の紅茶の葉がございますが……なぜ、そのような『ただのお湯』を好んでお飲みになるのですか?」
侍女長のガブリエラさんが、不思議そうな顔で私の手元を見つめている。
彼女の言う通り、私が今飲んでいるのは、茶葉もハーブも一切入っていない、ただの「お湯」だ。
「ガブリエラさん、これはただのお湯じゃないのよ。『白湯』と言ってね、立派な健康法の一つなの」
五十代主婦にとって、朝の白湯はもはや信仰に近い。
寝ている間に冷えてカラカラになった内臓に、人肌より少し熱いくらいの白湯をゆっくりと流し込む。すると、胃腸が「あ、朝ですね!」とポカポカ目覚め、血流が良くなり、基礎代謝がグンと上がるのだ。おまけに老廃物も流してくれる、まさに究極の「ゼロ円美容液」である。
「なるほど……。王太后様が仰るなら、その『サユ』という透明な霊薬には、計り知れない魔力が秘められているのでしょうね」
ガブリエラさんが、真剣な顔でメモ(のようなもの)を取り始めた。最近、彼女は私の行動をすべて「王太后の秘術録」として記録している節がある。やめてほしい。
そこへ、「失礼……いたします……」と、消え入りそうな声とともに、一人の青年がサロンに入ってきた。
「あら、あなたは……」
「……きゅ、宮廷魔術師長の、エリファスにございます……。ぶるぶるっ」
現れたのは、二十代半ばの、本来ならとても整った顔立ちをしているはずの青年だった。
しかし、その顔色は雪のように真っ白(というか青白い)で、目の下には深いクマがあり、何より異常だったのはその服装だ。
まだ秋口だというのに、分厚い毛皮のローブを三枚も重ね着し、ガチガチと歯の根を鳴らして震えているのである。
「エリファス殿! どうされたのですか、そのお姿は!」
ガブリエラさんが驚いて駆け寄る。
「……魔力が……足りないのです……」
エリファスは、ガクガクと震えながら長椅子にへたり込んだ。
「私は元々、生まれつき極端に体温が低く、常に【火の魔術】で自身の体を温め続けていないと、凍死してしまう体質でして……。しかし最近、魔導具の研究に没頭するあまり、徹夜で冷たい魔力回復薬ばかり飲んでいたせいで、体の芯まで冷え切ってしまい……ついに、体を温める魔力すら底をつきました……」
(ああ……なるほどね。これは完全に、現代病の『極度の冷え性』だわ)
私は心の中で大きく頷いた。
運動不足で筋肉量が少なく、そのくせ冷たい飲み物ばかりガブガブ飲んで内臓から冷やしていく。これでは血の巡りが悪くなり、体温が下がるのは当たり前だ。前世でも、夏場にクーラーの効いた部屋でアイスコーヒーばかり飲んでいる若いOLさんが、よくこんな青白い顔をしていたものだ。
「冷えは万病の元よ、エリファス。体を外側から魔法で温めても、内臓が冷え切っていたら何の意味もないわ」
私は立ち上がり、ガブリエラさんに指示を出した。
「厨房のバルトのところへ行って、『ジンガの根』を持ってきてちょうだい。それから、ハチミツと、柑橘の絞り汁もね」
数分後。
ガブリエラさんが持ってきたのは、ゴツゴツとした土色の根菜――地球でいうところの「生姜」によく似た植物だった。この世界では、肉の臭み消しに少し使う程度の、辛くて泥臭いハーブとして扱われているらしい。
「よし、これをよく洗って、皮ごと薄くスライスするわよ。生姜……じゃない、ジンガの根は、皮の近くに一番良い成分が詰まっているんだから」
私は小鍋を取り出し、スライスしたジンガの根とたっぷりのハチミツ、そして少量の水を入れ、火の魔法石でコトコトと煮詰め始めた。
やがて、部屋中にツンとしたスパイシーな香りと、ハチミツの甘い匂いが立ち込める。
「王太后様……。それは、どのような魔法薬の調合ですか……? なんだか、鼻の奥がツンと熱くなるような……」
エリファスが、毛皮のローブに包まりながら不思議そうに鼻をヒクつかせた。
「これは『生姜ハチミツシロップ』よ」
十分ほど煮詰めて黄金色になったトロトロのシロップを、私はマグカップに大さじ一杯ほどすくい入れた。そして、そこへ朝の残りの「白湯」をたっぷりと注ぎ、最後に柑橘の汁を数滴絞って、スプーンでくるくると混ぜた。
「さあ、エリファス。冷めないうちに、ゆっくりと飲んでみなさい」
「こ、これを……? 魔力回復の素材など、何も入っていないようですが……」
疑心暗鬼になりながらも、エリファスは震える両手でマグカップを受け取った。そして、フーフーと息を吹きかけながら、黄金色の液体を一口、ごくりと飲み込んだ。
「…………っ!?」
エリファスの青白い顔が、一瞬でカッと見開かれた。
「な、なんですか、これは……! 口当たりはハチミツの甘さで優しいのに、喉を通った瞬間、まるで小さな炎の精霊が、胃袋の中で爆発したような……!」
「ジンガの根に含まれる辛味成分が、加熱されることで『ショウガオール』っていう、体の芯から燃やす成分に変化するのよ。それに白湯の温かさが加わって、内臓の温度を一気に引き上げているの」
主婦雑誌の『冬の温活特集』で得た知識が、異世界で炸裂する。
エリファスは、取り憑かれたようにマグカップを傾け、ゴクゴクと【特製・生姜ハチミツ白湯】を飲み干した。
三分後。
「あ……あつい……!」
エリファスが、額にじっとりと汗を浮かべ始めた。
彼はガバッと立ち上がると、着込んでいた分厚い毛皮のローブを一枚、二枚と、次々に床に脱ぎ捨てた。
「信じられない……! 魔力など一切使っていないのに、胃袋から指の先、足の爪先に至るまで、熱い血がドクドクと巡っていくのがわかります! それに、体の奥底で凍りついていた私の魔力の泉が、熱によってドロドロと溶け出し、全身に溢れ返っている……!」
先程まで死人のようだった顔には、健康的な赤みが差し、頬はピンク色に染まっている。
彼は、薄着のシャツ一枚になったというのに、全く寒がる様子もなく、むしろ有り余るエネルギーを持て余しているように見えた。
「おおおお! これなら、これなら徹夜で氷の魔獣の生態研究ができます! 王太后様、この【内なる業火の黄金水】は、我が魔術省の歴史を覆す大発明です!」
(ただの生姜湯なんだけどねえ……徹夜はダメよ、徹夜は)
私が心の中でツッコミを入れていると、いつものお約束の如く、バンッ!とサロンの扉が開かれた。
「母上! おや、エリファスではないか。なんだその、燃えたぎるような凄まじい魔力の放出は!?」
息子のライナルト王と、ハルバート財務大臣が、驚いた顔で入ってきた。
エリファスは、熱気にあふれた顔で国王の前に片膝をついた。
「陛下! 王太后様が、魔力を一切消費せずに、肉体の内側から半永久的に熱を生み出す【黄金のポーション】を与えてくださいました! これさえあれば、我々魔術師は、防寒のための魔力をすべて攻撃や防御に回すことができます!」
「何だと!? 母上、それは真ですか!?」
ライナルトが、ギラギラとした目で私を振り返る。
「冬場の辺境警備において、兵士たちの『寒さ』は最大の敵。もし、その【黄金のポーション】があれば、我が軍の生存率は飛躍的に高まり、暖炉の薪代も大幅に節約できるというわけですね!?」
「ハルバートも驚愕しております! すぐさま、その『ジンガの根』を国庫の予算で国中から買い占め、全兵士に支給する手配を整えましょう!」
二人はまたしても、私の「主婦の知恵」を国家の軍事・経済戦略へと見事にすり替えてしまった。
「……だから、買い占めちゃダメよ。ただの農作物なんだから。それに、ハチミツの代わりに黒砂糖で作っても美味しいわよ」
私が苦笑いしながら鍋の残りのシロップを指差すと、ライナルトとハルバート、そしてエリファスの三人は、群がるようにして自分たちのマグカップにお湯を注ぎ始めた。
「「「おおお……っ! 五臓六腑に染み渡る熱気……!」」」
三人の成人男性が、サロンの窓辺に並んで「はふぅ」と幸せそうに生姜湯をすする光景は、どこか平和で、少しおかしかった。
冷えは万病の元。
それは、地球の五十代主婦にとっても、異世界の魔法使いにとっても、変わらない真理らしい。
「ガブリエラさん。明日の朝は、あなたにもこの『生姜ハチミツ白湯』を作ってあげるわね」
私が微笑むと、ガブリエラさんは「あ、ありがとうございます……!」と、やはり真剣な顔で「王太后の秘術録」に猛烈な勢いでペンを走らせるのだった。
どうやら今年の冬は、王宮のみんなと一緒に、ぽかぽかと温かく過ごすことができそうである。




