箏 ②
弟の凪の話に僕はーーーーー
よくそんな真面な女の子が、あの当時の荒れっぷり〜実兄の目から見ても、どう贔屓目に見たとしても猛烈に喧嘩っ早くキレやすくて柄の悪い!
明けても暮れても、どつきあいばっかりで生傷の絶えない、凄まじい強烈な強面のお前とつき合おうと思ったよなあ〜……と。
僕はその彼女ーーー箏の勇気には何だか感心致しました。
僕からの指摘に、酔っ払いの凪はウンウンと神妙にコックリ頷いていました。
「ダヨなぁー……俺も奇跡が起きたと思った。
『好きだ好きだ』とアホみたくほざいてさ?
そのくせ実際に友達として許可いただいて付き合うまで、全然なーんも考え無しで、本当の意味では興味すら持って無かったって事だろ?
マジで心の底から超恥ずかしい男だったよ。
ーーー実は箏に母親がおらず、そんな大事な事も全然知らなくってさ、無責任すぎてクッソみたいだろ?
だからさぁーーー彼女が幼い兄弟と家の事を、すべて几帳面に目を通して切り盛りしていることを。
ビックリするような事実を、友人としてやっと何とか打ち解けて、深く立ち入った内情まで親しく互いに話すようになって初めて知って。
屑そのものの俺はサーーーメチャ腰が抜けそうになったんだ。
勿論、家事代行してくれるメイドさん達も何人もいた
ソリャいるさ!!
でも差配する『司令塔』が要るだろ?
シフト組む、重要な難しい仕事が未成年でまだ学生の彼女の役割なんだ。
正直ゲッと思ったよ……!
”それって何の罰ゲームだよっ” 大人は何やってんだって箏に言ったらなー
”自分で望んで父様に言い出した事なのよ” って不思議そうに言われてしまったんだ
箏はーーーー……
『父様は何度も再婚を勧められてるの。
”あの子達の面倒を誰が見るんだい?” って……!
でもねーーーー死んだ母様が今でも大好きなの。
好きでーーー愛した人が忘れられなくって。
だからねーー…!
私が家のことをしっかりしていれば、父様はずーっと母様の幸せで愉しい思い出を、心の中でいつまでも大切にしていられるの。
だから私頑張ってるんだーーー
好きな人を、ずっと好きでいられるだなんて、本当に最高で素敵でしょ?”
俺は
おれは
……箏のことをギュッと思わず抱き締めた。
余りにも健気すぎて見ちゃおれなかった。
だからそんなに頑張るのかよ? 父親って言ったって、いい年した大人ジャンか
他人事だろ?
……お前自身の孤独は、辛さとか面倒は誰が見るんだよ?
**************
「……凪?」
「友情の”ハグ”」
「そうなの?」
「友達だから〜お前が今後困ったら頼れよな?」
「うん」
「…どんな時もすぐに駆けつけるからな」
「ほんと?」
「絶対だからな?」
「わぁ嬉しいな〜〜〜」
「ーーっつ、わかってんのかよ?」
「うん」
「……ケッ〜嘘くさ」
「そんなこと無いよ?」
腕の中の彼女の髪から優しい香りがした。
今までだったら……すぐに女なんか押し倒してた。
でも箏にはしなかった。
うんーーー出来ないって言うか……まず嫌われたくなかった。
切なくってーーー
もどかしい気持ちが、本気で全力で好きな女の子に、これっぽっちも届かなくって、その晩泣きながら眠ったよ。
そんなこんなで〜お人好しすぎの箏は、だからーーー無駄に兎に角忙しい。
したたかな教師達に、いいように真面目さを利用され、本来自分達がするべき仕事を、奴隷の如くに押し付けられていた。
あれは今思い出してもちょっと酷い。
そんなの自分達の仕事だろっ! ”無料の体のいい小間使い”
ムラムラ腹立つような〜教員のパシリ状態の彼女を、何度もそう言う場面に遭遇したんだ。
だからさ……!
俺がギロッと小ずるい大人達を睨みつけると、悪さのアテが外れた奴らは、一応は悪そうな顔をしてソソクサと箏の前から退散した。
まぁそんな感じで、頼みやすくて人が良すぎの箏からセッセと追っ払った。
ぁあそうだ……!
自分達が実は本心では『やりたくない』〜
ながーーーい自宅練習必至の合唱部との付き合い
行事ごとの、失敗が許されない一際目立つピアノ伴奏
それやこれやが、教師達に一言、”頼むね~~~!” で全部任されていたのさ。
それなりにキッチリ計画的に練習しなければならないのにさーーー
解るだろ? ソロ演奏と伴奏は全くの別物だ。
俺には兄貴達の苦労を見ていたからソイツが直でわかった。
演奏法の立ち位置が全く違うのは、お兄も知ってるだろ?」
だから「そうだよなあーーー」
一応は専門家として僕は返事を返しました。
少し自分もアルコールの酔いが回り、いつの間にやらフワフワ明るい気分になっていました。
で、何となく自由奔放な凪に同調し始めていました。
「伴奏のほうが、他人を引き立たせるのが前提だからね〜主役を自分には出来ないからなあ……
うん、だからかといって骨のない、芯に一本筋が通っていないと奏者としてグダグダになるし、譜面のコードの理念も全く違うし。
ーーー裏方としての責任のしばりがあるし。
人の心や……歌手の呼吸、ピークに向かおうとする、高ぶる感情の動きが読めない人には難しいと感じるよ」
その様にプロとして答えました
「だけどーーー箏にそんな高度に工夫する時間の余裕は一切なかったんだ。
流石に後ろめたい学校は〜学年トップの成績を取る事も、重ねて都合良く大人の期待を押し付けていた箏に『配慮』し。
昼休み……『特別』に、学校自慢『音楽室のグランドピアノ』を彼女だけに『特別に解放』していたんだよ。
ーーー全ての真実、取り巻く事情を知った時……申し訳なくてたまらなかった。
貴重な二度と無い時間を自分は潰してしまったんだ、ホンットいたたまれないよ。
せめて家令というか、専属執事??
俺はサー、プロフェッショナルの彼女の……疲れを癒やす、役だって実になる”何か手伝いをしよう”と、バイトのない日はいつも時間を割くようになった。
男だから力仕事は楽勝で得意さーーー
箏にキラッキラの目で感心されて、俺はすっかり有頂天に舞い上がった。
俺は彼女と一緒に、屋敷内勤のメイドさん達がどうすれば働きやすいかの希望をとり、あーでもこーでもないとパッドを睨め付けてシフト表の製作を手伝った。
それとーーー家事の最短の効率化の実験、どうすれば最小の手間で最大の効果が上げられるか?
そんだったら〜箏にとっての心安まる自由時間も楽々捻出出来るだろ?
てーーーの?
”外部からの視点” 新しい風が不可欠だって、その時知ったんだ。
それとメイドさん達が病欠やデートなんかの、様々な事情で欠勤の時、俺も積極的に彼女の家の仕事の手伝いに入った。
古いピアノのあるリビング……
学校にある様なピカピカの指紋すらない真新しい物では無くって、マジ骨董品。
デカイはデカいけどスッゲ見るからに年代物!ってオンボロな感じだったのが驚きだった。
ーーーなんだけど……
音が何とも言えず深みがある、不思議で優しいまろやかな音が出るグランドピアノでさ? 特に低音部の重厚な響きが美しかったよ。
鍵盤のタッチも信じられない程滑らかだったから……え???って思った。
見たこと無い、一見ボロい変なピアノ
オマケに有り得なくないか?
〜片端にどうしてか? まとめて真っ黒の黒鍵まで幾つかくっついていた。
俺はその正体不明の、ワケワカラン素性のピアノの音が好きになった。
ボディ右側下方に結構デッカく、魔法みたいなどっかの外国の飾り文字が刻まれてた。
??ナンダコリャ?
……ムリ 読めねーし
全然わかんねーからしょうが無く箏に聞いたらこれで ”○ーゼンドルファー”と読むんだと教えてくれたんだ。
子どもの頃からずーーっとピアノを教えてくれたコロニー在住〜ドイツ系の、生涯独身で過ごした身寄りの無い芸術家、音楽教師の形見の遺品。
教え子というか一番弟子の箏に、直々に遺言で託された楽器だそうだ。
先生にとっても彼女にとっても魂の片割れ、心の片方、最早親友の如くな、本当に大切なピアノだった。
俺と箏は、その骨董品の前の椅子にふたりしてギュウギュウ座って、毎度オチのない取り留めのない話をした。
ぅん……いっぱいしたよ?
そんで箏は時々話ながらも手を動かして、頼まれもんの伴奏の練習をしていた
ーーーなかなかいいもんだった。
目の前で左右に動く、ピアノを弾く美しい滑らかな白い指の動き。
次々生まれる奇跡みたいな音の調べ。
心の底まで音の輝きに満たされて、目を閉じてうっとり響きに包まれた。
ーーーーもう最高だった。
後ーー……は 俺達は、良く洗い込まれて柔らかくなった明らかに手編みの〜
真珠みたいに真っ白なレースが超絶格好いい、随分大型のテーブルクロスの上にさ〜
ぁあ『ソイツ』、黒々と……!
これまたしっかり磨かれた頑丈なテーブルに麗々しく被せられてたんだよな。
〜で、2人で仲良く洗濯物の処理、こんもり山盛りの一家全員分の、乾燥機で乾いた服やらタオルやらをセッセセッセ!
ダラダラくっちゃべりながらもキチンと手を動かし、高速で畳んでは積み上げていったんだ。
ピアノもテーブルもレースも全て丁寧に使いこまれていい色で、何とも言えずに過ごしやすい落ちついた空間だった。
そんな部屋でいつも俺は箏の手伝いをした。
大型楽器演奏で両手両指を常に習慣的に動かしているせいなのか、箏はなにもかも半端なく器用な女の子だった。
サクサクと進む彼女の手際の良い流れる手さばき
〜まるで ”仕掛けのない手品” 〜
驚きと共に見るようで何よりも楽しかったよ?
今思い返しても幸せで穏やかで、あの日々は本当に充実していたなあ……
彼女は驚くことにソーイングも上手で、簡単な衣装やまだ小さい年下の兄弟用の子供服など布を買ってきて、ほぼ1日でサクサク器用に作ってしまうのは驚いた
手作りなんてホント凄いだろ?? 今時なんだって買えばあるのにさ……!
マジ尊敬の一言に尽きたよ」
弟の凪は誇らしそうにウットリと、ぼぅっと恋する夢見心地の表情で僕に語りました。
ですのでその時初めて……!
『そうか!
そうした実体験を伴う経験が今の弟のキャリアに直結しているんだな…』
僕は恥ずかしながらーーー初めて、凪の隠された努力の日々の事を知りました。
兄の目から見てーーーー……
弟は確かに歌唱力こそ普通でしたが、後は目を見張る素晴らしきオールラウンダーでしたので
今まではただ
『世の中こういう才に恵まれた人間もいるんだなぁ』
そうとしか全く思っていませんでした
『一体何を見ていたんだろう』
僕は……鈍感な自分をとても恥ずかしく思いました。
弟はその後も幸せそうに得々と話し続けました。
「箏はサーーー『凄い!!』連発して吼える俺があまりに可笑しかったのか……
家庭用ソーイングマシンの扱い方と、マグカップを入れたり出来る”使いやすい巾着袋”の作り方。
〜同じ型紙で他の袋にする応用、要するにサイズ替えなどの、アレンジ方法の縫い方をも教えてくれたんだ。
”案外よく使うでしょ?” ってね、
俺達はまだ学生だったからな、ブツは何でもかんでも大小様々な袋に突っ込んでいた。
心優しい箏は、俺が不器用に、ブチブチ針を折ったり糸を絡ませたり切ってしまって、何度マシンを止めて失敗しても
”よく有る事だから” って根気よく、ジックリ丁寧につき合ってくれたんだよ
ーーーーめちゃ嬉しかった
それに俺の顔のすぐ隣に、真面目さが堪んない、魅力的な真剣な眼差しや極上の笑顔が添えられるんだぜ?
キス出来そうな至近距離でさ!吐息だって耳にフッと後ろから〜かかるんだぜ?
近すぎて長い睫毛の数だって数えられたほどで、ドキドキドキドキ……
俺は心臓の鼓動が五月蠅いくらい高鳴ったんだぜ?
そりゃー毎回、思わずホッペにチュッとキスしたくなったさ。
いかがわしい煩悩とダダ漏れの妄想と戦うのがヘビーだったさ、
そんなーーーーある日、バイトまで少々時間がある時
聴衆は俺だけ。
たった一人の観客のためだけにコンサート……!
〜今や俺にとっても ”友達” みたいな楽器で
……ホラ男って気持ちを注ぎ込む愛車関係や、デカいそんなのに強く特別な感情を抱く生き物だろ?
毎日微細繊維でキュッキュ磨いたり掃除したり、たまーに下手くそながら遊びで箏と連弾したりしてたから、俺だって彼女の愛してるピアノに愛着ッツーか、仲間意識に近いーーー”友情”
特別な親しみを感じてた。
既に気持ちの中で、ポジション的にオンボロの骨董品扱いじゃ無かったよ
新しい楽しい仲間〜すっかり同志なピアノで、真心を込めて本格的な曲を演奏してくれたんだ。
”近すぎると音がよくないから気に入った場所で聞いてね”
なーーーんて恥ずかしげに言ってたけど?
そんなの男にしたら、好きな女の子の顔が見える場所が一番いいに決まってるよな??
俺だけの為に弾いてくれるんだぜ?
最高だろ?!
くぅぅ〜〜〜〜っだなんて……も〜〜う天にも昇る気持ちだったよ。
今までクラッシックのピアノ曲なんて俺にとっては骨董品
古くさい前世紀の遺物で化石、何でそんなのが好きなんだろうって不思議だった
て~んで興味がなかった
その日初めて
間近で聞く渾身の生の演奏にはゾクゾクと鳥肌が立った。
なんだこれは!!
生ぬるいイメージなんて欠片すらなかったよ
圧倒的なーーー……音の奔流
叩き付けるヘビーメタルのロック魂というのかさ?
もう嵐のような激しい、俺の概念を覆すに充分な凄い心臓をズガンと蹴飛ばされるような、信じられない炸裂する爆弾のような曲だった。
ピアノと彼女の格闘ーーーイイヤ共闘?
目の前で繰り広げられる真剣勝負の戦いだったんだ。
そうかと思うと癒やしの塊でさ…… 〜じゃないか!
和むとか癒やしとか、そんなありきたりの安っぽいレベルじゃない
魂の底から根底から揺すぶられるような可憐な音。
神々しい天使がふわふわ目の前に優しく舞い降りる優美なメロディーライン
どうやって音を出してんだ?と思うような、滑らかで優しい、羽根でふんわり頬を撫でられるような、くすぐられるような、今すぐ心が昇天する甘い高音部……
蕩けそうなハイトーン……
でも、どこか漂う切なさに気持ちが揺すぶられた。
勝手に目から涙がポトポト零れた。
……
ともかく俺は……ボーッとあっけにとられて、目を見開き演奏者の箏を最後まで呆然と眺めていたよ
俺だって常日頃、お兄達の練習風景や録音、レコーディング状況を見てる。
音なんて周囲にウンザリするくらいに溢れてるさ?
しかしだからこそーー……!
箏の繰り出す音色の圧倒的な凄さに呆然と、中空に魂をとばした。
なんだこりゃーーー……って!!
健気な深窓のお嬢様である箏の、最も得意とするその楽曲
実は、やわやわした可愛らしい曲じゃ無い
「楽聖」ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作 〜渾身の曲
ピアノソナタ、熱情 だったんだ」
凪は僕に歌うように、懐かしげに言いました。
ですから話を聞いた僕は驚きの余り興奮し、せき込んで問いただしました。
「それって本当なのか??」素直に凪はこくんと頷きました。
というのもベートーヴェンの「熱情」というピアノソナタは普通の曲ではない〜
ええーーー怪物の様な楽曲だからです」




