過換気症候群とパニック障害について
クリストファーの『1人で耐える』様子が心細さげで、流石の強気な信繁ですら胸を掻きむしられそうな程痛ましく見えた。
『そんなにーーー俺の前でそこまで無理をしなくていいのに〜な……』
信繁は頭の中で切なく思った
「当時私の許嫁だったキャシー~
キャサリン王太子妃が、何も言わずに何も聞かず誠心誠意……
〜至らぬ私を支えてくれました。
それでなかったら……!
とても予定の大学卒業まで無事、留学を継続することは不可能でした。
彼女……ーーー
キャシーの心の細やかさと思いやり
ーーー静かな優しさを、僕は心の底から溺れるように夢中で愛しました。
必死にプロポーズーーー!
”僕と結婚して下さい”と、何度もお願いしました
賢くしっかりした彼女の目から見て、私が相当男として頼りなかったからでしょう。
でも、もっともな話です。
情けない僕はーーー中々ーーー
彼女から結婚の承諾の言葉が貰えませんでした」
目にボゥッと涙がにじむ
「……僕の外見は髪と肌に、ほぼ色素は無い為、全体的に奇妙な……白っぽい不自然な感じです。
キモチワルイーーーーでしょ?
髪はプラチナブロンド〜……肌は真っ白。
両目は、瞳は水っぽいパープルです。
ーーー変なヴァイオレットの時もあります」
「あのなぁクリス様
そんな、自分を卑下する言い方をするな」
信繁はハーーーーッと眉を下げ困り顔で溜息をついた
「変なって言うけどさ〜ジャパンでは、その色……!
……クリス様の瞳のような色を『菫色』って言うんだよ?
可愛くて、女の子達がキャーキャー喜ぶお洒落な言い回しだ。
『ヴァイオレット』はジャパンで大昔ーーーーイコール菫色だったんだよ?
菫色の語源の『スミレ』〜は、とても愛されている小さく繊細で可憐な花だ。
スミレの花のような〜の形容は、品が良くって可憐で優しい、佇まいが密やかで綺麗な人に対する最高の褒め言葉なんだよ。
ああ、決してーーー悪口じゃない…
それにだ、紫ーーーパープルは色彩の中でも大変稀少で高貴な色とされている。
貝紫って言う、おそろしく高価な、天然染色の表現もあるくらいだ。
菫色もパープルも、神秘的な君に馴染んで素晴らしく似合ってるよ」
信繁がそう返すと、力ない悲しげな微笑みをクリストファーは浮かべた。
「信繁さんーーーー貴方は優しい方ですね
でも有り難うございます……慰めてくれて
でもーーーーとにかく変で、故郷でそんな人間は当然のようにおらず。
何もかもが……異質で異様に目立ってーーー!
子どもの頃からそれが嫌で嫌で、化け物のように感じていました。
だから私のプライベートルームには、鏡が1枚もありませんでした。
髪もーーー出来るだけ目立たぬようにタイトに短く切りそろえ深く帽子をかぶっていました。
母が嫌がったから、全部刈り上げることは出来ませんでしたが、残念ながら。
ーーーベリーショートの女の子みたいな感じでした」
「そうーーーか、じゃぁ済まなかった。
君自身が受け入れられなければ、傍目にはどんなに美しくとも全く意味が無いな
妹も君とよく似たことを言っていたよ?」
自嘲気味に信繁は昏く嗤った。
「ーーーキャシーは、そんな私に対し、地球で何度もーーーー口癖の様に
『変では無いどころかそこが私は好きです』って
自分の見かけに縛られて怒って嫌がる私に、優しく諭してくれました。
何の見返りも求めずに心より愛されるとーーー今度は、誰かを。
逆に、満たす様に初めて愛し返せることが出来ると、私はキャシーから教えて貰いました。
それなのに私は心配をかけるばかりで。
結局彼女にーーーー何もしてあげられませんでした。
ひどい男です
」
「そんなことは無いと思うぜ。
気持ちも体も疲労困憊で、錯乱混乱している今。
結論を先走りさせて、あまりネガティブな方面の考えすぎは良くない。
不毛なだけだ」
「ーーーーー」
信繁は腕組みをした腕をやや解き顎に手をやり、何かをーーーー
深く考え込んでいる表情をしていた。
「それらも、クリス様の親友は全部知ってるんだろ?
なのに何故ーーーー??
解らないなぁ、どうも、さっきからおかしい。
何かがーーー明らかに噛み合っていない。」
それは落ちついた声だった。
「確かに〜そこまでの深い絆がある人間に対して、その親友とやらが積極的にクリス様に最悪の暴力行為
自ら手を下したのは何か不自然な感じだよな?
さっきは言い過ぎたーーーー済まなかった」
信繁はすっと長い手を伸ばし、真顔でクリストファーの今は長い髪を撫でた。
大きな掌で、ガッシリ長い指が項垂れそうな小さな頭部に添えられる。
しなやかに指が〜スッと掌を引く微かに一瞬、耳の縁に指先が触った。
くすぐったくーーーー何だか幸せで何も憂いがない。
ーーー幸せな子ども時代へ戻った気がした。
クリストファーは目を閉じる。
信繁からの柔らかな、優しい思いやりの気持ちがこもったスキンシップ。
思わずポロッと また涙が出そうになった。
孤独で悲しくてーーーー
けれど……
誰かに頼りたくとも自分はD−01を代表する王家の後継者で無闇に甘えるだなんて出来ない立場
『羨ましいなーーー』
こんなに大きな優しい手で心を込めて大切に守られている彼の妹は、何て幸運に恵まれてるんだろうか?
『本当に羨ましい』
思わず嫉妬しそうになってしまう。
『え?』
ハッ!と、ブルッと頭を振る
『イケナイイケナイ!!』何考えてるんだっ自分!!
だけどきっと、もう現在かなり成長しているだろうなぁ
『僕には兄が居ないから、かも知れないけど、もしもだけど自分に、こんな兄がいたら凄い自慢だなぁ〜!
いいなぁ〜本当に羨ましい!!
何て贅沢なことだろう』
「あのぅ……妹様は、今どうされているんですか?」
「あぁ
ーーーみどりーーーか」
「?」
???ーーー
何故か急に信繁の表情が曇ったのが意外だった。
暫く眉をひそめ何も言わない。
信繁は漸く口を開くと ツラツラ……抑揚も感情も含まれない声で、ゆったりと話し始めた。
『何となくーーー変な感じだ』
不思議に生気の無い、今までとは随分違う口調だったからである。
「『みどり』ーーーは 俺の妹の名前です。
『王』、『白』、『石』ーーーという3つの文字を2段に重ね、1文字にまとめた表記です」
信繁は宙に指で、”文字らしき物”を書く。
それは「碧」と見えた
「元々、ジャパンの古代人の漢字表記には、色彩を現す言葉が無かったんです。
まず太陽の光りありきーーー僅か『4文字』だけで
意味的に〜『明るい』『暗い』『微かな光り』『ちょっと暗い』
それだけでしたーーー合理的ですね」
「確かにそれで事足りますね、狩猟と農耕牧畜で、力強く生きてゆくのに」
クリストファーも神妙な顔つきで同意した。
「『明るい』ーーーが赤、『暗い』ーーー…が黒。
『微かな光り』ーーーが白。
『ちょっと暗い』が青。
後にそうなったそうで……
で……
……『みどり』は
『王に白に石』ーーーー碧
王の持つ微かに光る石ーー〜
そういう意味の漢字表記をあてます
要するに、綺麗な宝石の事です。
多分古代中国で最上級とされた純白の、濡れたようにしっとりと輝く白玉……
チャイナのホータン出土の『玉』〜か、王しか所持が認められなかった、もし発覚したら『死罪』という翡翠
強欲な墓泥棒ですら…やむを得ず、陵墓の石室内に、命がけで侵入したその場に泣く泣く置き去りにしたという貴重な宝石を指したんでしょう。
翡翠は緑色、ロウカンという深く透き通るグリーンが最上級といわれますからね
『みどり』は『グリーン』の事です」
そこまで言うと再び口を閉じて信繁は黙り込んだ。
極めて重い沈黙が広がる。
『妹様、体調を崩して療養中なのかな?』
前振りの不穏さが明らかに奇妙だった。
不思議そうに、心配げに首を傾げるクリストファーに信繁は ゆっくりと口を開いた。
静かで厳粛な口調だった
「碧はお妃様と同じ国にいます」
「え……??」
『ーーー 一体、どういう事?!』
「妹は、俺が高校3年の時に天に召されました」
「そんなーーーーーー!!」
「でも一人では逝っていません。
俺を除く飼い犬含む家人全員、或る夜、強盗に襲撃されました。
実家は証拠隠滅で全焼しています」
心臓がドキンと跳ねた。
ドクドクドク……
激しく脈をうちだす
ヒュッッッ!!
『ーーーーーマズイッッ!』
ウッ!!ーーーーーッッーーーーッッッ……
急に息がつまり
喉がーーーー
喉が
鼻腔が
硬直する
突如呼吸が苦しくなった。
実際こう言う事は時々あった。
過呼吸とパニック障害が2つ同時に起きたのだ。
そうなるとどうなるか?
事実体験したものしかわからない強烈な感覚
世界がいきなりひっくり返るような恐怖
恐怖ーーー
恐怖
恐慌ーーーーパニック
怖い
怖い
恐い
喉が詰まる
心臓が硬くなる
見えない巨人に握りつぶされる
呼吸が止まる
息が止まる
……硬直
目の前がチカチカする
体が凍る
ヒュッと気が遠くなる
ーーー続く貧血状態?
恐い
絶望
招く強烈な感覚
ココで死ぬ
いきなりガタガタと細かい手の震えと痺れがクリストファーを襲った。
絶え間なく 激しい痙攣が体を襲う、どんどん酷くなる。
微かに視野に入る信繁の慌てた表情。
ギュウギュウ息が詰まる
ギュウギュウ
ぎゅうぎゅう
ギュウッと……
喉が塞がれた
僕は死ぬんだ
『死』ーーーー!!
突然脳裏にグワッっと襲撃される宇宙巡洋艦の残像が意識によみがえる
目の前が突然の記憶映像にふさがれる。
「〜〜〜〜〜〜〜ーーーー様ッツ!」
……どこかで
ボンヤリ
微かに
小さく聞こえる
自分を大きな声で必死に呼ぶ声……
叫び声が聞こえる。
ーーーーと同時にグイッと大きな手が頭に添えられ喉の気管が確保される
「パニック症状だ!」
信繁?
声が奇妙に小さく遠く聞こえた。
どこか遠くで響く声
天井がすぐ眼前でグルグル高速で回転する
視野狭窄
目が回る
気持ちが悪い
「まず落ちついて、そう息はいて。
吸って はいて吸って……」
信繁の声がした
無理
出来ない
息が出来ない!!
そんなの無理だよ
心臓、肺がギュウッっと石で出来ているみたいだ
ギリギリ押しつぶされる。
すーっと体が急に冷たく感じる。
視界が暗くなる。
「クリス様、ちょっと失礼します」
誰かの大きな体ですっぽり抱きしめられた。
温かく心地よかった。
「俺の声を聞いて下さい
いいですかー?
1度少し息を止めて
1,2,3,4,5,6,7,8,9,10ーーー
そうです、いいですよーーーー?
この袋を口に当てて、小さくゆっくり吸ってーーーーーはいて
もう1度はいてーーーーーー……
全部息を〜 はききって下さい
1度息を止めて……
もう1回小さく吸って
はいてーーーーはいてーーーーー
小さく吸って、はいて〜〜〜はいて〜〜全部ですよ?
そうその調子です……上手ですよ? クリス様
もう一度ですーーー出来ますよーーーーー
そうお上手です……」
優しい声が 耳の側で甘く語りかける
囁きと共に、トントンと優しく呼吸に合わせ、軽やかにリズミカルに優しく、信繁に背中がタップされる。
リズミカルな 指先から送られる振動ーーーーー
優しい心地よい接触
あれ程固かったと思われた心臓が急に痛くなる
痛覚が戻ってくる
「無理せずーーー……ゆっくり
呼吸を整えて
貴方なら出来ます
焦らないようにーーー……
ゆっくり
ゆっくり
もう1度カウントします……
いいですかー?
では1度少し息を止めて
今度は5カウント
1,2,3,4,5,ーーー……
吸ってーーー…
大きく吸ってーーーーー・・・・・ 」
『ーーーーーーー何だかわかんないけど
この人は本当に<出来る人>だなあ
とっさのーーー救命救急の初期対応にも
きっと何度も実際に応急の経験があるんだ
ーーーすごいや』
クリストファーのあれほど苦しげだった呼吸が次第に……
信繁のゆったりカウントする声に同調する。
ーーーーーシンクロする
荒れてーーーー……
もう駄目だと苦しげにか弱くハァハァ……
のたうつように 息も絶え絶え洩らす呼吸も安定し
それと時を同じくしてーーーー
錐でギリギリ心臓や肺を深く突き刺すような、ずしっと異常で異様な胸の痛みもスウッと何故だか静かにーーー
ゆっくり治まり始めたのだ
『なんで??』
全くの謎だった
クリストファー王太子の体から硬直と痙攣を伴うガチガチの緊張と硬い力が抜けていく
おこりのようなビリビリする痙攣も何故か治まった。
『奇跡みたいーーー……
信繁は素敵な魔法使いだ』
クリストファーは心の中でそっと呟いた
「ーーー少しお体にお熱があるようですね、脈拍が早い
今ので併発したのかーーー……?
元々お疲れで、体内の何かが切っ掛けでジクジク発熱していた事が、更に異常に急激に上がった体温が興奮状態を引き起こして
熱性痙攣…
”今の出来事”を引き起こしたのかも知れないですね
済まなかったです、不注意な自分の責任です」
耳の側で信繁に囁かれた。
「さっきからーーーークリス様に余計な事ばかり言って済まなかったですね」
『え??何で??』
どういう事??
クリストファーはキョトンと目をぱちくりした。
どうして信繁が謝るのか理解できなかったからだ
『えっとーーーどういうーーー事?』
「貴方の事情はーー……
ここに来る直前の状況はよくわかってたんですよ。
にもかかわらずーーーー俺に配慮が明らかに足らなかった
精神を刺激する事柄を話すことは無かったんですよ?
何でもかんでも、聞かれたら答えることがいいわけでは無いんです。
俺のーーー明らかな失態です。
無神経な対応で済まなかったと思います」
信繁は居住まいを元に戻しクリストファーの体から腕を放す。
優美そのものの動きで衣擦れの音も無くスラリと立ち上がった。
信繁は着席しているとそれ程……?という感じだが流石に背が高く大柄である。
一旦立ち上がると信じられない程背が高く、肩幅もあり上背が有り、本当に身体のバランスが良くスタイルが良いのが見て取れて……
『うわぁ…格好いいなぁ…!』
クリストファーは今更ながら信繁の水際だった美しい立ち姿に思わず見とれた。
思わず強く見とれてしまった、そんなクリストファーの目の前で
「誠に申し訳ございませんでした」
信繁は姿勢良くビシッッと体を曲げーーーーーー深々と頭を下げた。
「!!」
”自分があまりにも無神経だった”と詫びたのだ。
『・・・・・・』
サムライーーーー
伝説の古のモノノフみたいだとーーー驚いた。
唯々ビックリした
『元々は〜……弱っちょろい役立たずの僕のせいなのに!
むしろ突然の苦しみから必死に守ってくれたのに
それでもーーー自分に非があると、強い責任感から謝罪してくれた。
信じられないよ!!
こんな人居ないっ』
本当に…有り得ないほど 潔い真っ直ぐな人だ。
驚きと感動で胸がいっぱいになる。




