17 夜の語らい
夕刻を告げる鳥──カレドリスの鳴き声も、とっくに途絶えていた。
山の端に沈みかけていた陽は、いつの間にか完全に姿を消し、空には淡い藍色が広がっている。
私とヴァルターさんは、陽が落ちるぎりぎりまで村を歩き、聞き取りを続けた。
その後、村長の家に戻る。
囲炉裏の火が、静かに揺れていた。
夕食は質素だったが、どれも滋味深いものばかりだった。
炊きたての麦飯に、塩で軽く味付けされた焼き魚。
山で採れたという山菜の煮物は、ほろ苦くも優しい味がした。
椀に盛られた汁には、根菜と野草がたっぷりと入っている。
派手さはない。
けれど、不思議と体に染みる味だった。
入浴も済ませ、用意された客間のベッドに身を沈める。
木の香りが、かすかに漂っていた。
(……疲れた)
目を閉じれば、そのまま眠れそうだった。
けれど。
ふと、隣の部屋に意識が向く。
……ヴァルターさん。
物音は、何も聞こえない。
(もう、寝たのかしら)
ここ数日、ずっと一緒に行動しているのに。
交わした言葉は、必要最低限。
打ち解けた、とは到底言えない距離。
(……もっと話してみる?)
なぜか、そうしてみたいと思った。
このままでは、ずっとこの距離のまま終わってしまう。
それはもったいない気がした。
身体はまだ重い。
疲労感もある。
それでも私は、ゆっくりと身を起こした。
床に足を下ろし、そっと立ち上がる。
廊下を歩いて数歩。隣の扉の前に立つ。
小さく、息を吸う。
──こつ、こつ。
控えめにノックする。
「はい」
すぐに、返事があった。
「……セレナです。入ってもいいですか?」
私の問いに、ヴァルターさんは逡巡するような間を置いてから諾と返事があった。
部屋の中は、卓上ランプの柔らかな光に照らされていた。
ヴァルターさんは机に向かい、書き物をしている。
ペン先が紙を滑る音だけが、静かに響いていた。
(やっぱり起きてた)
今日の調査結果の整理か、報告書の草稿だろう。
「何かあったのか」
彼は振り向かないまま、問う。
私は少し迷ってから、口を開いた。
「……ごめんなさい」
自分でも、理由が曖昧だと思う。
「なんだか、誰かと話したくなって」
本当は“誰か”じゃない。
でも、こちらを見ずに作業を続けている様子を見て、それをそのまま言う勇気は出なかった。
「不安になったか?」
淡々とした声。
「王都育ちの、正真正銘の公爵家のお嬢様だからな」
揶揄いの色はない。ただ事実を並べただけの言い方。
だからこそ、少しだけ悔しい。
「……ヴァルターさんは王都やここ以外にも、行ったことがあるんですか?」
ペンの走る音がわずかに止まる。
「そう言われると、あまりないな」
考えるような間のあと、答える。
「地方の領地と王都。それと、家族で避暑地に行ったことがあるくらいだ」
「そうなんですね」
少し意外だった。
「領地ってことは、ヴァルターさんも貴族の出だったんですね」
「ああ。末席だがな」
あっさりとした肯定。
「意外です」
素直に言うと、彼はわずかに眉を動かした。
「貴族には見えないか?」
「いいえ。よく見れば、所作も綺麗ですし、言葉遣いだって……」
言いながら、少し言葉を探す。
「そうじゃなくて。貴族で研究をしている方って、珍しいじゃないですか」
「あぁ」
短く頷く。
「次男の兄は軍に入った。既定路線通りにな」
「じゃあ……三男?」
「そうなるな」
兄弟は多くも少なくもないらしい。
「どうして研究の道に?」
ペンが、再び動き出す。
「昔から、勉強は得意だったし嫌いではなかった」
静かな声。
「知らないことを知るのは、面白い」
声に少し明るさが滲む。
「だが、研究だけで食っていくのは難しい。だから官僚になった。研究三昧とはいかないが、やりがいはある」
さらりと言う。
「今のように、な」
私は小さく笑う。
「確かに。今の状況は、まさにそうですね」
「君もそうだろう」
不意に、矛先がこちらに向く。
「え?」
「知識量もそうだが、調査に加わっているのは探究心からではないのか」
思わず、言葉に詰まる。
(探究心……?)
そんなふうに考えたことはなかった。
紗奈の影響だろうか?
『あんたって、勉強好きやったん?』
『ううん、そんなことは考えたことも……』
「私は……女学校を卒業したらお見合いをして、誰かと結婚して、子供を産んで……そんな未来だけを考えていました。学ぶことは結婚するのに必要だから、それくらいの認識でした」
子供みたいな私の言葉にもヴァルターさんはバカにするでもなく、
「結婚は決まったのか? いや、決まっていたら今頃花嫁修行で忙しいか」
「えぇ、全滅中ですよ。私の魔力量が疎まれて」
「もったいないな」
ドキリとした。
もしかしてヴァルターさんは私のことを──
「あの魔力は便利なのに。解析だけではない、その魔力があれば研究で様々なことに使えるだろう」
ガックリ。
この人は研究のことしか頭にないのか。
そんな彼と私がここにいる理由。
答えは、ひとつだった。
私はゆっくりと口を開く。
「……私がここにいるのは、死にたくなかったからです」
ペンが止まり、ヴァルターさんがこちらを振り返った。
静寂が落ちる。
私は視線を落としたまま、続けた。
予知夢のこと。
刺される未来。
その断片。
できるだけ見た通り、正確に言葉にする。
話し終えたとき、部屋は静まり返っていた。
やがて。
「……なるほどな」
低い声。
「死ぬ未来を変えるために、原因を突き止める必要がある、ということか」
「えぇ……多分」
自分でも曖昧な答え。
けれど、彼はそれ以上は問わなかった。
「だとしても、やることは変わらない」
きっぱりと言う。
「我々は、全力で調査に当たるだけだ」
その言葉は、あまりにもいつも通りで。
だからこそ、妙に安心した。
私の事情がどうであれ。
この人は変わらない。
それが、心強かった。
気づけばこびりつくような頭痛も倦怠感も薄れていた。
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