16 山間の村
ヴァルターさんはこれまでの聞き取り調査の結果を報告書にまとめて王都の調査団長に送るため、山間部への出発は2日後となった。
私はその間ひたすらに休養に努めた。しかし倒れた直後ほどではないにしても、出発するその朝まで倦怠感と軽い頭痛は残った。
(これって、奇病じゃない、わよね……? うん違う違う! だってお医者様も魔力暴走のせいだって言ってたし。……でもじゃあなぜこんなに長引いているの……?)
不安に思いながらもお兄様にも相談はできなかった。
心配させたくなかったし、王都から調査のために無理を言って来させてもらったのに罹ってしまった、なんて情けないこと言えない。
それに、領地に蔓延する謎の病気は感染には時間がかかると結論も出ている。
やっぱりこれは奇病とは関係ない。
そう言い聞かせて、私はヴァルターさんと予定通り山間部の村へ向かった。
屋敷を発ってから、半日。
馬車は南部の平地を抜け、やがてゆるやかな坂を登り始めた。
窓の外の景色が、少しずつ変わっていく。
広く均された農地は減り、代わりに木々の密度が増していく。
遠くに見えていた山が、いつの間にかすぐそこにあった。
「空気が……」
思わず、呟く。
胸いっぱいに吸い込んだそれは、南部の村で感じた重さがない。
すっと肺の奥まで通る、軽い空気。
「違うな」
隣でヴァルターさんが言う。
「え?」
「平地と山間では、環境条件が大きく異なる。湿度、気流、水源……当然だ」
理屈で返される。
けれど。
「……そうですね」
それでも私は、どこかほっとしていた。
まるで、知らないうちに浅くしていた呼吸が、元に戻るみたいに。
(森の空気が美味しいのは当たり前だけど、なにか違うような……。体調のせい……?)
もう少しで掴めそうな“何か”が何か分からなかった。
山間の村は、小さかった。
家屋は築100年は経っていそうな趣で、簡素だが手入れが行き届いている。
軒先には薪が積まれ、干した野菜が風に揺れる
そんな家々が点在していた。
畑もあるが、南部のような大規模なものではない。
斜面に沿って、小さく区切られている。
子どもが、坂道を駆け下りていく。
転びそうになりながらも、笑い声を上げている。
その足取りは、軽い。
私は思わず、その背を目で追った。
到着し最初に訪ねたのは村長の家だった。
ここまで来るのに半日かかるので効率的な調査のため、今日は村長の家に泊めてもらい、2日がかりで行うのだ。
ヴァルターさんは挨拶もそこそこに、さっそく質問を始めた。
「前に来た時は発症者はいなかったが、変わりはないか?」
村長は頷く。
「ないね。南の方はどんどん増えてんべか?」
あっけらかんとした口調。
恐れも、警戒もない。
「増えている、というほど急激な変化はないが……。こちらでは病気の症状は一切?」
「ねえなあ。年寄りはそりゃあ弱るが、そんな妙なもんじゃねえべな」
ヴァルターさんは頷き、手帳に書き込む。
「水源を見せてもらえますか」
「おう、こっちだ」
案内されたのは、村の奥。
岩肌の間から滔々と透明な水が湧き出していた。
流れ出た水は小さな川を作り、下流まで流れていっているようだ。
私は思わず、しゃがみ込む。
手を伸ばし、水に触れた。
さらさらとした流れを感じる。
冷たい。
澄んでいる。
(……普通、だ)
ヴァルターさんが水をすくい、光にかざす。
「生活用水はすべてここから?」
「ああ。昔からずっとな」
「下流の川は使わない?」
「使わねえよ。わざわざ遠いとこから引く理由もねえし」
分かりやすく合理的な答えだ。
その後も、数軒を回った。
話はどこも似ていた。
「肥料? そんなもんあんま使わねえな」
「山の土はそのままでもそこそこ育つしよ」
「たまに灰を混ぜるくらいだな」
魔法肥料の使用は、ほぼない。
「そもそもあれ、高えんだろ?」と笑う者もいた。
食事は、自家栽培と狩り。
水はすべて湧き水。
そして──
「体がしびれる? 聞いたことねえなあ」
同じ答えが、繰り返される。
村を出て、少し歩いたところで。
ヴァルターさんが足を止めた。
「明確だな」
低く言う。
私は頷く。
「はい……南部とは、条件が違いすぎます」
「水源、土壌、農法」
一つずつ、指折り数える。
「そして、接触している“何か”の有無」
風が、森の木々を揺らす。
葉の擦れる音が、やけに鮮明に聞こえた。
「南部に限定された要因がある。やはり魔法肥料に何かがありそうだ」
静かな確信。
私はその横顔を見る。
その時、ふと。
視界が、わずかに揺れた。
「……っ」
こめかみに、鈍い痛み。
ほんの一瞬。
けれど、確かに。
私は反射的に額に手を当てる。
「どうした」
すぐに気づかれる。
「い、いえ……少し、疲れただけです」
咄嗟にそう答える。
ヴァルターさんは一瞬だけ私を見て、何も言わなかった。
けれど。
その沈黙が、逆に重い。
(大丈夫、大丈夫)
自分に言い聞かせる。
これは、魔力暴走の後遺症。
ただ、それだけ。
──そうでなければ、困る。
山の空気は、澄んでいるはずなのに。
胸の奥のざわつきだけが、消えなかった。
◇
村の中を歩くうちに、私は明確な違いに気づいた。
南部の村とも、王都とも違う。
ここには、どこか“古い時間”が流れている。
軒先では、火を起こす煙がゆらりと立ち上っていた。
その火種は魔法だ。
通りから見えた炊事場では、女性が魔法石を持って手を左右に振っている。
昔はそうやって魔法を使った後は魔力残滓を吸っていた、と祖母に聞いたことがある。
そうしないと体に悪影響が出たらしい。
魔法残滓があまり出ない魔法が主流になって魔力残滓を吸わせるのは廃れたやり方になった。
手間のかかる、昔ながらのやり方。
「どうして魔法石を使っているんですか?」
私は思わず炊事場の女性に話しかけた。
女性が突然話しかけてきた余所者の私にも気を悪くすることなくニコリと微笑み、腰に下げていた小さな石を軽く叩いた。
淡い光が、一瞬だけ揺らぐ。
「使ったら、ちゃんと“抜く”」
そう言って、火のそばに置かれた別の石を示す。
灰色に濁ったそれは、明らかに“何かを溜めた”色をしていた。
「それが大事なんじゃと母から教わったべ」
私は、思わず問いかける。
「……どうしてですか?」
女性はきょとんとした顔をして、それから少し困ったように笑った。
「さあなあ。理由までは知らんよ」
あっさりとした答え。
「でもな」
一度だけ、真面目な顔になる。
「やらんと、なんとなく“よくない気がする”んだ」
その言葉に、背筋がわずかに粟立つ。
時代遅れ、という言葉で片付けてはいけないような子がする。
王都では、魔法は使い放しが当たり前だ。
残るものなど、誰も気にしない。
“吸わせる”のは本当に必要なんだろうか?
『昔の人の教えって、実は大切な意味があったりするんよな』
私の疑問に紗奈がさらりと言う。
「昔からそうしてきたしな。変えたら、どうなるか分からんだろ」
理由はない。
理屈もない。
ただ、“続いているから続けている”。
それだけなのに──
(……正しい)
なぜか、そう思った。
畑は平地とは比べ物にならないほど一つ一つが狭かった。
個人が栽培して食べるだけの最低限の広さ。
だが、土は柔らかそうで、よく手が入っているのが分かる。
「肥料は、何を?」
ヴァルターさんが問う。
「大したもんじゃねえよ」
村人は肩をすくめる。
「家畜の糞やら、落ち葉やら、そういうのを混ぜて寝かせてるだけだ」
堆肥。
時間をかけて、土に還すやり方。
「魔法肥料は使わないんですか?」
私が口を挟む。
「便利でしょう? 収穫量も上がりますし」
村人は、ただ穏やかに笑みを浮かべた。
「便利だろうな」
否定はしない。
けれど、その声には距離があった。
「だが、よう分からんもんは、あんまり使いたくねえんだべ」
土を、足で軽く踏む。
「こいつはな、長いこと付き合ってきた土だ。急に変えたら、どうなるか分からん」
別の家でも、同じような話を聞いた。
「魔法をたくさん使えば楽だが、その分何かに皺寄せがあるような気がしてな」
「昔からのやり方なら、少なくともどうなるかは分かっとる」
「新しいもんは、良いことばかりじゃねぇべ」
どの言葉も、強い拒絶ではない。
ただ、静かな“選択”だった。
私は、たまらず口にする。
「どうして、続けるんですか?」
自分でも少し強いと思う声だった。
「便利な魔法肥料もありますし、魔力残滓だって……他では誰も気にしていません」
一歩、踏み込む。
「このままだと、差が開いてしまいます」
麓の村と。
他の領地と。
王都と。
言葉にしきれない焦りが湧いて出てきた。
村人は、少しだけ驚いたように私を見て、それからゆっくりと笑った。
「そうかもしれんな」
否定しない。
その上で、静かに言う。
「わしらはな、ずっとこうやって暮らしてきたんだべ」
遠くを見るような目
「何百年……いや、もっとかもしれん。よう分からんくらい長い間な」
風が、木々を揺らす。
「それを変えたら、何が起こるか分からん」
一呼吸。
「だから、変えんのよ」
あっさりとした言葉。
けれど、その奥にあるものは重い。
「生活を守るために、習慣を守る」
それだけだ、と言うように。
私は言葉を失う。
(でも……)
頭の中に浮かぶのは、王都の景色だった。
水道が通り、いつでも清潔な水が手に入る。
……川は汚いけれど。
魔道汽車が走り、人も物も速く遠く運ばれる。
……各地から物が流入する王都はゴミだらけだけど。
便利で、効率的。
どんどん発展していく世界。
(それなのに)
ここは、取り残されているように見える。
(それで、いいの……?)
胸の奥に、小さな疑問が沈む。
答えは出ない。
ただ、この村には、この村の“正しさ”があるのだと。
それだけは、確かだった。
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