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13 調査3人目

 2軒目の家からしばらく歩いたところに、その家はあった。


 『村の全世帯がやられてるわけやないんやな……』


 紗奈の呟きに、私は心の中でうなずく。

 遠くで牛が鳴き、ザックザックと畑を耕す音が、乾いた風に乗って届いていた。


 次に訪れた家も、外から見れば何の変哲もない。


 「あんたたち誰だい?」


 背後から声をかけられ、振り返る。

 近くの家の女だった。


 「ここの家も“例のアレ”にやられたんだよ。あんま近づかない方がいいよ。感染ったらしまいなんだから」


 言い切って、そのまま立ち去る。


 悪意ではない。

 けれど、だからこそ重い。


 私は思わずヴァルターさんを見る。

 彼は何も言わず、戸を叩いた。


 「はいよ」


 すぐに扉が開く。


 現れたのは、四十がらみの男だった。

 日に焼けた肌。穏やかな目。

 どこにでもいる、ありふれた農民の顔。


 「調査の方々だべ?」


 柔らかく笑う。


 「少しお話を伺ってもよろしいですか」

 「もちろん。中へどうぞ」


 家の中は簡素だが、きちんと整っていた。

 生活の匂いが、静かに積み重なっている。


 男は慣れた手つきで水を注ぐ。


 そのとき──


 キラリ、と光るものが視界に入った。


 指輪。


 既製品とは違う。

 蔦のような、絡みつくような意匠。


 なぜか、少しだけ目を引いた。


 「最近、体調を崩されたと伺っています」


 ヴァルターさんが切り出す。


 「いやあ、崩したってほどじゃねえんだけどな」


 男は軽く笑う。


 「ちょっと手がしびれるくらいでさ。歳かなって思ってた」


 また、指先。


 「発症はいつ頃から」

 「1年くらい前かね」

 「進行は」

 「ちょっとずつ悪くなってる気もするけど、仕事はできてる」


 落ち着いた、受け入れきれていない声。


 「畑仕事が中心ですか」

 「ああ。ここらは土があんま良くねえからさ。手をかけんと取れねえんだ」


 肩をすくめる。


 「最近は便利なもんもあるしな」


 私は少し身を乗り出す。


 「便利なもの、というと」

 「魔法肥料だべ」


 喉の奥が、ひりつく。


 「使い始めたのは」

 「3年くらい前だな。収穫量が全然違う」


 『なぁ、肥料っていつから使われてるんやろ……?』


 「あの、魔法肥料はいつから使われているんでしょうか?」


 紗奈の疑問を代わって尋ねる。


 「そうさなぁ……、10年、15年くらい前からだな。畑で促進栽培魔法が使われ始めた当初は魔法肥料はなかったらしい」


 初めて聞く話だ。


 「魔法肥料の使用頻度は」

 「月に1、2度くらいかな」

 「手袋は」

 「してねえな」


 あっさりと。


 「そんな危ねえもんじゃねえよ」


 笑う。

 気負いのない笑い。


 「他に同様の症状の方は」

 「いるな。一緒にこの辺りの畑をやってる連中にも、そうじゃないやつらにもちらほら」


 空気が、少しだけ重くなる。


 「水はどちらを」

 「裏の井戸だ。ここらはみんなそうだべ」


 どこも同じ。

 どこにも決定打がない。


 私は視線をさまよわせて──

 さっきの指輪に、もう一度目が留まる。


 「あの……その指輪、綺麗ですね」


 男の目が、ほんの一瞬だけ落ちた。

 それから、すぐに笑う。


 「これか?」


 指を軽く掲げる。

 光が、蔦の意匠に沿って細く走る。


 その瞬間、なぜか胸の奥が、わずかにざわついた。


 (……冷たい?)


 距離があるはずなのに、空気がひやりとするような違和感。

 気のせい、と切り捨てるには、ほんの少しだけ引っかかる。


 「親戚に細工師がいてな。作ってもらったんだ」


 男は気にした様子もなく続ける。


 「カミさんの名前を元にしてな。シンシアの木の葉っぱのイメージだべ」

 「素敵ですね」


 自然に言葉は出たのに、視線が、ほんのわずかに逸らせなかった。


 (……なんでこんなに気になるの)


 理由は分からない。

 けれど、その指輪だけが──この家の中で、わずかに“浮いて”見えた。


 ヴァルターさんが、再び問診に話を戻した。


 「ご家族の体調はいかがですか」


 男は少しだけ目を細めた。


 「……ああ。一人息子がいる」


 声は変わらない。穏やかなまま。


 「最近は、床に臥せってる時間が長くなってな」


 私は息をのむ。


 「症状は」

 「最初は物を落とすようになった。それから、手に力が入らねえって」


 やはり、同じだ。


 「今じゃ、外にもあんまり出なくなったな」


 コップに伸ばす手がほんのわずかにぶれる。


 「医者には」

 「診てもらった。でも原因は分からねえってさ」


 淡々としている。


 「聖女の治療は」

 「受けた」


 短く。


 「進行は止まった気がする。けどな……」


 言葉が切れる。


 「良くはならねえ」


 静かに落ちるその一言。

 男は少しだけ笑った。


 「まあ、そのうち良くなんべ。若いしな」


 その笑みは、祈りに近かった。


 ヴァルターさんは、何も言わない。

 ただ、静かに記録を閉じる。


 「ご協力、感謝します」

 「いや、役に立てたならいいけどよ」



 外に出る。


 風が強くなっていた。

 土の匂いが、少し濃く重い。


 しばらく歩いてから、私は口を開く。


 「今の方……」


 続きが出てこない。


 こんなに症状がはっきり出ているのに、具体的な病名には結びつかない。

 紗奈も知らないようだ。


 ヴァルターさんは答えない。

 ただ一度、手帳を開き、短く書きつけて閉じた。



 その後も、私たちは南部の集落を一軒ずつ回った。


 湿った土の匂い。

 風に揺れる麦。

 一見すれば、どこにでもある穏やかな農村風景だった。


 けれど、その奥に異様な静けさがある。


 窓を閉め切った家。

 外に出てこない老人。

 道端に座り込み、虚ろな目をした男。


 病は、確かにここにある。


 「最近、身体がだるくてねぇ……歳のせいだと思ってたんだけど」


 農家の老婆は、痩せた手で湯呑みを包みながら笑った。

 だがその咳は深く、長い。


 別の家では、若い男が壁にもたれたまま息を切らしていた。


 「去年までは普通に畑出てたんだ。急に疲れやすくなって……最近は鍬も持てねぇ」


 ヴァルターさんが静かに筆を走らせる。


 発症年齢。

 居住歴。

 水源。

 食事内容。

 職業。


 一つ一つは、ただの生活だ。

 だが積み重なるほど、“偏り”が見えてくる。


 元気そうな若い母親は、不思議そうに首を傾げた。


 「ここに来てまだ1年も経ってないんです。今のところは、何も」


 その足元を、小さな男の子が元気よく駆け抜けていく。

 私は思わず、その子を目で追った。

 発症していない。


 ──まだ。


 胸の奥に、冷たいものが落ちる。


 記録が積み重なるにつれ、ぼやけていた輪郭が、少しずつ形になっていく。


 南部の農地に近い家ほど、症状が多い。

 だが農作業従事者だけに限定されない。

 家にいる時間の長い子供や老人ほど進行が早い。


 そして。


 長く住んでいる者ほど、重症化している。


 ──時間。


 その言葉が、胸の奥に重く沈んだ。


 さらに別の農家でも、似た証言が続く。


 「肥料はみんな同じだよ。農業社のやつ」

 「効きがいいからなぁ。収穫量が全然違う」

 「手袋? してねえな、そんなもん」

 「昔はこんなんじゃなかったんだけどな……」


 “昔は”。


 その言葉が、何度も繰り返される。


 私は無意識に、20年前という数字を思い出していた。


 魔法農法が普及し始めた時期。


 断片が、少しずつ繋がっていく。


 水は井戸か川。

 食事は領内で採れた作物がほとんど。


 “この土地のものを、この土地で食べ続けている”。


 それが共通していた。


 一方で、山間部の集落では空気がまるで違った。

 風は冷たいが澄んでいて、水の匂いも違う。


 「うちは上流の湧き水使ってるからねぇ」


 老夫婦は笑いながら桶を見せてくれた。


 「腹壊したことなんか一回もないよ」


 日に焼けた手は節くれ立っているが、力強い。

 足取りもしっかりしている。

 同じ領地なのに、まるで別世界だった。


 ヴァルターさんは歩きながら、何度も手帳をめくっていた。


 立ち止まり、

 見比べ、

 何かを書き足す。


 その横顔は、朝よりも明らかに鋭い。

 情報が、繋がり始めている。


 やがて彼は、不意に足を止めた。


 「……なるほどな」


 低い呟き。

 私は顔を上げる。


 「何がです?」


 ヴァルターさんは手帳の一ページを指で叩いた。


 「発症地域は南部に集中している。だが、水源は一致しない」


 ページをめくる。


 「川を使っている家もあれば、井戸水の家もある」


 さらに別のページ。


 「農作業従事者だけでもない。なら土壌接触単独でも説明できない」


 独り言のように整理していく。


 「だが発症者は皆、長期間この土地の作物を食べている」


 彼は核心に迫りつつある。

 そんな予感がした。


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