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11 調査2人目

 家の中は、静かすぎた。

 窓は開いているのに、空気が動かない。

 薄い光が差し込んでいるだけで、部屋はどこか冷えている。


 私たちは40代半ばほどに見える女性と卓を挟んで向かいに座っていた。

 出された茶は、すでに湯気を失っている。


 『ほんまに失礼やけど、このお茶って安全なんか?』


 紗奈の呟きにギクリとした。

 これまでの調査で水から原因物質は出てきていない。

 感染者の使った物を共有しても感染はしないとも聞いている。

 それでもどうしても不安が拭えない。


 飲むか、飲まないか。

 迷って──

 コップを手に取れなかった。


 「お母上のご容体について、順を追ってお聞きしてもよろしいでしょうか」


 ヴァルターさんの声は落ち着いている。

 女性は一度、静かにうなずいた。


 「最初はね、箸をよく落とすようになったんよ」


 淡々としている。

 泣いていない声。

 お母さんを失った喪失感をまだ抱えているように見えるのに、そう見えないように振る舞っている、と感じる。


 「歳のせいだって、みんなで笑ってた。うちの母も“年だからね”なんて言ってさ」


 指先が、コップの縁をなぞる。


 「でもね、だんだん箸だけじゃなくて、いろんな物が持ちづらくなって。力が入らないみたいで」


 ヴァルターさんは手帳に書き込む。


 「しびれや痛みはありましたか」

 「しびれる、とは言ってた。指先が自分のものじゃないみたいだって」


 私は思わず顔を上げる。

 指先。

 さっきの青年と、同じ。

 年齢は違うのに、症状が重なる。


 「歩行は」

 「まっすぐ歩いてるつもりなのに、壁にぶつかってた。あれは、ちょっと怖かった」


 声がほんの少しだけ細くなる。


 「庭の石につまずいて転んでさ。それから外に出るのを嫌がるようになったんべ」

 「咳や発熱は」

 「いいや、ねぇな。熱も出なかった」


 病らしい派手さがない。

 なのに、確実に削られていく。


 「味がおかしい、とも言ってたな」


 女性は小さく息をつく。


 「味が変だって。塩が強いとか、何も感じないとか。私が薄く作ってるみたいだべ?」


 苦笑。

 その奥に、少しだけ後悔が滲む。

 あのとき、怒らなければよかったのかもしれない、と考えているのだろうか。


 「発症から亡くなるまで、どれほどの期間が」

 「およそ3年だな」


 3年。


 私は長いと思った。

 でもその3年を生きた本人にとっては、どうだったのだろう。


 「聖女の治療は」

 「受けた。悪くなるのは止まった」


 女性は苦しそうに表情を歪ませる。


 「でも、良くはなんなかった。うちでは聖魔法を何度もかけてもらうためのお金も工面できねぇから……」


 部屋の温度が、さらに一段下がった気がした。


 「視覚の異常は」

 「最後の方は、目がほとんど見えてなかった」


 女性が絞り出すような声で言った。


 「視野の端が欠けて、筒の中から覗いてるみたいだって……」


 1人目の青年は「端がぼやける」と言った。この女性の母親は「端が欠けた」。

 年齢も、職業も違う。

 なのに、同じような症状が「内側に向かって」進行している。


 『視界の狭窄(きょうさく)、末梢神経の麻痺、味覚異常……』


 紗奈の声が、怒りか恐怖か、震えているのがわかった。


 『セレナ、これ「病気」やない。「毒」や。それも、じわじわと細胞を殺していくタイプの……!』


 「どうした。顔色が悪いぞ」


 ヴァルターさんの冷静な声に引き戻される。

 私は女性の手を見る。その手もまた、コップを持つ指先が微かに震えていた。


 (まだ「自覚症状」がないだけで、この人も……!!)


 「……っ、ヴァルターさん。次の家、急ぎましょう」


 私は、いても立ってもいられなくなった。


 答えを知るのが怖い。でも、一刻も早く「これ」を止めないと、この村の時間は、この静けさのまま止まってしまう。


 「最後は……」


 言葉が途切れる。


 「言葉がうまく出なくなって。舌が回らなくて。手も足も、ほとんど動かなくなって」


 卓の上で、女性の手がきゅっと握られる。


 「何だったんだべな」


 ぽつり。


 「母は、ずっと知りたがってた。自分が何に負けたのか」


 その問いが、部屋の真ん中に置かれる。

 ヴァルターさんが静かに尋ねる。


 「水は、どちらを使用されていましたか」


 「うちは裏の井戸だ。ここらへんは川からちょっと遠いから」

 「領外に出られたことは」

 「ねぇべ。外に親戚もいないし。庶民には旅行なんて、そうそう縁ないしよ」


 笑うでもなく、淡々と。


 ヴァルターさんは、井戸の深さや使用者、食事内容、同居家族の症状を一つずつ確認していく。


 女性はすべて答えた。

 そして最後に、視線をこちらへ向ける。


 「領主様も、国も……本気で助けようとしてくれてんだべな?」


 責めていない。

 ただ、確かめたいだけの声。


 私は言葉が出ない。

 そもそもこの場で素人の私が発言することは憚られた。

 代わりに現場責任者としてヴァルターさんが穏やかに答える。


 「私は国の調査団として原因を特定するために来ています。必ず、明らかにします」


 迷いのない断言。

 その横顔は揺れない。


 私は女性を見る。

 この人は答えを待っている。

 取り戻せない時間の、せめて理由だけでも。


 部屋は静かだ。

 泣き声も怒号もない。

 ただ、失われた3年の重みだけが、そこに座っていた。



 家を出ると、ようやく空気が動いた。

 ひと心地つく。

 それでも、閉じた部屋の重さから解放されたはずなのに、胸の奥は軽くならない。


 数歩、道を歩く。

 家から十分に離れたと思ったところで、私は声を落とした。


 「……あの」


 ヴァルターさんが足を止める。


 「なんだ?」


 少し迷ってから、私は言った。


 「あの家で出されたお茶、ヴァルターさんは飲みましたけど……大丈夫なんでしょうか」


 口にした瞬間、自分の言葉の拙さに気づく。

 家の中で母を看取った人の前で、私は「この水は安全なのか」と疑っていた。


 ヴァルターさんは、わずかに眉を動かした。


 「川水、井戸水ともに、現在までの検査では異常は検出されていない」


 声は冷静だ。


 「毒だとしても、少なくとも急性毒ではない」


 淡々とした補足。

 私は視線を落とす。

 それでも、口が勝手に動いた。


 「でも……魚の不審死とか、動物の異常行動とか、人の衰弱死とか……全部同じ原因だとしたら、病気というより、やっぱり口に入るものが原因なんじゃ……」

 「根拠は?」


 短い問い。


 「……ない、です」

 「憶測での発言は控えてもらおう」


 静かな声だった。

 けれど、はっきりと叱責だった。


 「調査をしている我々がそれを口にすれば、村人に伝わる。そうなれば患者やその家族が、最悪、村八分の扱いを受ける」


 ヴァルターさん淡々と言う。

 軽率な発言をした私へ叱責するでもなく。

 正面から相手をするまでもない小娘だと思われているからか。


 「それに、そういう疑いは態度にも出る」


 私はうつむく。


 「……ごめんなさい」


 ヴァルターさんは小さく息を吐いた。


 「恐怖は判断を急がせる。だが、我々は断定する立場ではない」


 風が吹いた。

 遠くで鍬の音が響く。


 「水源、土壌、食物。現時点で異常は確認されていない」


 手帳を軽く叩く。


 「発症は散発的。だが症状は共通している」


 そして結論のように言う。


 「だから生活歴を積み上げる。昨日もそう結論づけただろう」


 私はうなずく。

 けれど胸の奥のざわつきは消えない。

 井戸は異常なし。

 川も異常なし。

 それでも、人はゆっくり壊れていく。


 『検出されてないだけかもしれへんで』


 紗奈の声がリフレインする。

 私は顔を上げた。


 ヴァルターさんは、もう次の家へ向かって歩き出している。

 私も追いかけるように歩き出した。


ぜひ評価の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎&ブクマよろしくお願いします!!

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