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10/17

10 聞き取り調査開始

 観光に来るような場所でもないこの領内には宿屋もなく、当然ヴァルターさんはエルンシュタインの屋敷に滞在している。


 昨日の話し合いから一夜明けて早朝。

 私は彼が運転する屋敷の車に乗り込み、聞き取り調査へ向かった。

 まだ朝霧が残っている。


 正直、少し気まずい。

 昨日、私はかなり突っ込んだ質問をした。

 紗奈に言われたまま口にしただけとはいえ、あれは明らかに素人の領域を越えていた。


 助手席で身を固くしていると、ヴァルターさんが前を見たまま言った。


 「揺れる。掴まれ」


 次の瞬間、車輪が土の道にできた段差に乗り上げて車体が揺れる。

 そんな気遣いはできるらしい。


 昨日はあまり意識しなかったが、こうして近くで見ると、腹が立つほど整った顔立ちの男性だった。

 高い鼻筋、整った輪郭、無駄のない横顔。

 社交界に出れば、きっと令嬢たちの視線を集めるのだろう。

 ただ、その冷たい物言いと視線のせいで、好きになれる気はまったくしなかった。


 「君は女学校の出だろう?」

 「えっ? えぇ、そうです」

 「卒業後は?」

 「花嫁修行をしていました。宮廷礼儀や社交作法、領地の帳簿の見方や慈善事業の手伝いなどを……それから、いくつかお見合いも」


 ハンドルを握る手は変わらない。

 けれど、わずかに間があった。


 「だとしたら、昨日のあれは父上あたりから教え込まれた付け焼き刃か」

 「昨日のあれ……?」

 「ああ」


 視線は道路のまま。


 「寄生虫、人獣共通感染症、水質汚染。複数の経路を想定した質問をしていた」


 淡々と、分析するように言う。


 「専門教育を受けた者の思考に近かった。女学校を出たあと、医学か衛生学でも学んだのかと思ったが」


 彼の視線は前に固定されている。


 「違うようだな」


 ため息。


 それは短いものだったけれど、失望という言葉がぴったりだった。


 さすがに、少しカチンとくる。

 図星なのが余計に悔しい。


 「では、私はなぜ調査の手伝いを?」


 思ったよりも、声が硬くなる。

 ヴァルターさんはあっさり答えた。


 「女性がいた方が、村人の口は多少軽くなる」


 それだけ。

 私自身への評価は、そこに含まれていなかった。


 「それなら私じゃなくてもいいではないですか。他の調査団の人はどこに? ヴァルターさんだけじゃ調査団じゃなくてただの調査員じゃないの」


 腹立ち紛れに言う。


 「他のメンバーは王都の研究所や患者が入院している病院で検査をしている」


 なんの役割もなくここにいるのは私だけなのだ。

 それに気づいたらもう苛立つのも間違いな気がして気持ちが沈んでいく。

 私はシートにもたれ、窓の外を見た。

 やがて車は、領地南部の村へ入った。



 畑はまだ冬の名残を抱えている。

 踏みしめると、湿った土が靴底に重たく絡みついた。


 最初に話を聞いたのは、畑で鍬を振るう青年だった。

 鍬を振り上げた瞬間、軌道がわずかにぶれる。

 刃先は狙いから外れ、浅く土を削った。

 青年は何事もない顔で振り直す。だがそのたび、ふっと小さく息を吐く。

 近づくと、指先が細かく震えているのが分かった。

 爪の色も、よく見れば少し悪い。


 「ちょっと、休まれた方がよろしいのでは」


 思わず口をついて出る。

 青年は手を止め、額の汗を袖で拭った。


 「それ、役人さんみんな言うんだべな」


 苦笑する。

 どこか乾いた笑いだ。


 「でもさ、俺が休んだら畑どうすんべ?」


 鍬を肩に担ぐ。


 「働かなきゃ給料出ねえし。子どももいるしさ。体が動くうちは動かねぇと」


 言い方は軽いけれど、彼の背負っているものは軽くない。


 「休んで治るなら、とっくにみんな寝てるって。実際さ、休んで良くなったやつ、まだ一人もいねえじゃん」


 言葉が詰まる。


 『生活知らん側の正論だわ、それ』


 紗奈の声が、静かに刺さる。


 「……失礼しました」


 青年は肩をすくめる。


 「いや、心配してくれてんのは分かるよ? ありがとね」


 その優しさが、逆に痛い。


 ヴァルターさんが一歩前に出る。


 「王都から派遣された調査官、セドリック・ヴァルターです。症状について詳しくお聞きしても?」

 「ああ、いいよ。作業しながらでいいならな。最近さ、動き鈍くて時間かかんだわ。余計な時間はちょっとキツい」

 「構いません。最初に体に異変を感じたのは?」


 青年は鍬を地面に立て、少し考えた。


 「2年くらい前かな。最初は指先がさ、なんか変だった。冷えたみたいに感覚鈍くて」


 掌を見せる。


 青年がそう言って笑いながら、地面に落ちた小さな小石を拾おうとした。

 だが、指が空を切る。2度、3度。

 まるで壊れた操り人形のように、指先が不自然な角度で|痙攣《けいれん〉している。


 『……これ、ただの体調不良やない。神経やってる感じがする……』


 紗奈の張り詰めた声が脳内に響く。


 青年は結局、小石を拾うのを諦め、土を蹴り上げた。


 「まあ、収穫は上がってるからさ。これで子供に腹いっぱい食わせられる。多少のガタは我慢せんとな」


 ヴァルターさんが手帳に書きつける。


 「他には?」

 「足元な。たまにふわっとする。地面まっすぐなのに、なんかズレてる感じすんの」


 実際に数歩歩いてみせるが、わずかに軌道が歪む。


 「あと味な。塩がやたら強く感じたり、逆に全然しなかったり。嫁に“味薄い”とか言って怒られたけどさ、あれ俺のせいだわ」


 短く笑う。

 だが目の奥は笑っていない。


 「夜になるとさ、頭の奥がざわざわすんだよ。光が妙にまぶしかったり、端っこがぼやけたり」


 熱はない。

 咳は時々。


 派手に倒れるわけでもなく、

 ただ少しずつ健康な体ではなくなっていっている。


 私は畑の端を見る。

 青と銀の紋章が入った肥料袋が積まれている。

 それにヴァルターさんも気づいた。


 「こちらはいつから?」

 「ああ、新しいやつ? 3年前くらいかな。収量は上がったから給料も上がったし。正直、助かってる」


 助かっている。

 でも、働いている人たちは農業者のせいでこの病気になっているんじゃないかと疑っている。

 助かっていると言っているけど、本心ではどう思っているのか。


 「仕事は長いのですか」

 「成人してすぐ入ったからさ、15、6年ってとこだべ」


 ヴァルターさんは水源、肥料、作付け、隣の畑との水路共有まで細かく尋ねる。

 青年は最初こそ面倒そうにしていたが、やがて観念したように答え続けた。


 「川の水引いてる。井戸は浅くて頼りないしさ」


 再び鍬を振るう。

 やはり、指先まで力が入りにくいようで一作業一作業が大変そうに見える。


 「まあでもさ」


 土を返しながら、青年が言う。


 「原因分かるなら、早めに頼むよ。俺まだ、倒れるわけにいかねえんだわ」


 その背中は、まだ若い。

 だがどこか、すでに少しだけ削れているように見えた。


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