僕が見届けよう、君の果てしなき旅路を(12)
王都に帰還してから三日目となる夕暮れ時。
西区の街路上にて一機の気球が急に降下して来たために、周辺を出歩く旅人や冒険者達を大いに驚かせる珍事が起こった。
「兵士達が乗ってる気球か? 何だってこんな場所に……」
「外の魔物騒動は一段落したんじゃなかったのかしら?」
「おっ、誰か飛び降りようとしているぞ! 命知らずな奴だな~」
徐々に高度を下げる気球から距離を取り、遠巻きに眺めながら野次馬達が口々に所感を零す。この珍事を酒の肴にしているようだ。
「貴方達はこのまま百花橋の発着場に戻り、夜番と交代して下さい」
「はっ! レギ様の方もどうかご自愛を」
「ここ数日の間は、特に魔物の襲撃が激しかったですからな」
「有難う、ゆっくりと羽根を伸ばさせてもらいます!」
同席していた配下の兵士達と軽いやり取りを交えた後に、青紫色の髪を棚引かせた青年が気球の搭乗籠より一挙に飛び降りる。
青年が街路に着地するより先に二人の兵士達はリップラインを操作して球皮のバルブを閉じ、再び空気を溜めて高度を上昇させていった。
[ 王都アンバーハイヴ ~ 西区 『ウテルの弦亭』 ]
「アルビトラさん! ヴィルツ!」
硬い靴底が廊下を踏み鳴らす足音が響いた直後に部屋の扉が勢いよく開かれた。
「あっ、副団長さんだー」
「レギ! 外が騒がしいと思ったら お前だったのかよ」
「ごめん。やっと戦いが一段落したから空から直行したんだ。
本当はもっと早くヴィルツからの連絡に応えたかった……」
今の今まで王都防衛のために働いていたのか、身に纏う騎士衣を泥と煤で汚したレギが申し訳なさそうに入室する。
衣装の節々に戦いの痕が刻まれており、下部の鎖帷子が見え隠れしていた。
レギ自身、相当の疲労が滲み出ているためか普段の精彩さを欠いている様子だ。 特に目の下には、大きな隈が浮かび上がっている。
「アルビトラさんが重症を負ったと聞いた。救急治療が必要だとも」
二人に向けて頭を下げた後に改めて様子を伺うと、そこには寝台の上で大量の食事を平らげている狐人の姿があった。
尚、ヴィルツはその隣で椅子に座りながら縫物をしている。
「……けれど思っていたより元気そうで安心したよ」
「うん、でも一時はけっこう危なかったかなー」
のほほんと語る彼女の現状は、顔面の左半分と左腕を包帯で巻かれているものの自力で食事が可能な程度には回復しているようであった。
下半身は布団の中にあるので分からないが、彼女の落ち着いた様子からして深刻な事態ではなさそうだ。
むしろ今この瞬間に於いては、レギの方がよっぽど休養が必要だと錯覚する。
「悪いなぁ、レギ。何か……こう、何とかなっちまったわ。
正直なところ俺様もちょっと言葉が出ねぇ」
何とも言えない表情を浮かべながら溜息を吐くヴィルツ。
「ともあれ、コイツの怪我はもう心配なさそうだ。
明日には歩けるようになりそうだってよ」
「えへへー」
「そ、それなら良かったよ……。
もしアルビトラさんに何かあったら姫様もきっと心を痛めただろうね」
安堵したレギであったが、アルビトラに此処までの深手を負わせた者が存在する事実に気付いて再び気を引き締めた。
「いったいバルクム・イルド渓谷で何があったんだい?」
「そうだな。依頼主様に報告はしておいた方が良い」
「えーっとね。どこから話そうかな……」
一旦 食事の手を止めて、ここ数日間の出来事をゆっくりと語り始めた――
「……謎の少女に巨漢の武人か、たしか渓谷の入口付近を見張っている兵士から、
そんな人物達が谷底に降りて行ったと報告が挙がっていた気がする」
朧気な記憶を辿るように視線を宙空に漂わせつつ。
「それと蟲人の部族の介入……かなり複雑な事態になっていたんだね」
「うん、依頼された剣自体は発見したんだけど……。
今頃はきっと、あの二人が持って行っちゃったかも」
今度はアルビトラの方が申し訳なさそうに しゅんとする。
「仕方ないだろう。アレはどう足掻いても勝てるわけがない。
俺様なんて、間近で視ただけで足が竦みそうだった」
「それ程までの遣い手だったのかい?」
「ああ、考えたくはないけどよ。たぶん、ユベリウスより強いと思うぜ……」
「……ッ!?」
ヴィルツが挙げた名を聞き、レギは大きく目を見開いて驚愕を露わにした。
「(ユベリウスって誰だろ?)」
アルビトラには聞き覚えのない名であったが、どうやら彼等にとっては最も危険な存在として深々と刻まれていた恐怖の象徴であるらしい。
それと比較してもゾガルディア単体の方が脅威であるとヴィルツは明言した。
「はっきり言うぞ? 俺様が谷底での戦いに参加していたとしても
どうにか死なないように逃げ回るのが精一杯だったと思う」
「君だって今でも十分に戦えるだろうに」
「レギ、仮にお前が完全武装で挑めば……まあ最低限の戦力には成れるかもな」
聖槍騎士団 副団長にして"北方の勇者"の二つ名を持つレギは、祖国だけではなく現在のロンデルバルク王国に於いても最高峰の武力を誇ると云われている。
そんな彼ですら万全の状態でやっと戦いの舞台に登れる……。
アルビトラとゾガルディアの戦いが如何に常理の埒外にあるのかが伺い知れた。
「……ヴィルツの観察眼は絶対だ。
君がそこまで言い切るのなら僕は信じるよ」
幼馴染にして元相棒の判断力を誰よりも信頼しているレギは、彼の目算を素直に受け入れる。同時に、立ちはだかる者達の強大さを再認識させられた。
「大剣を求めている二人組の実力の高さは理解したよ。
幸い、そのヒト達が渓谷から出たという報せは受けていない」
「へぇ? つまり奴等は何等かの理由で谷底に留まっているわけか」
「姿を消してこっそりと抜け出していたら流石に気付けないけどね」
「姿隠しの術式は魔術でも魔法でも、魔具でも普及しているからなぁ。
蟲人達との戦いで魔力が尽きててくれりゃ良いんだが」
ヴィルツを背に乗せて谷底まで運んでくれた代表者の面貌を思い出す。
彼等には彼等の思惑があっての事だが、それでも一時の協力関係を築いた者達の奮戦と無事を密かに願った。
その後、幾つかの付帯的な情報を交えて王都へ帰還するまでの経緯を話した。
一方のレギは、機密に抵触しない範囲でここ数日間の魔物の大群との交戦状況をアルビトラとヴィルツに伝えてくれた。
魔物達は王都圏の北東と北西の丘陵地帯を集結地点としており、一定の数が揃い次第、王都を目指して南下しているとのこと。
エルドスヴァンスを始めとした強力な種族も混在しており、やはりレギが先頭に立たなければ全てを防ぎ切るのは難しいようだ。
「集結場所が分かってるのに、何でそこを叩きに行かないの?」
「ああ、それはね。丘陵の地下に大規模な未開の洞窟が広がっていて
昔からヒトが近寄れないような魔物の棲み処になっていたんだ。
その洞窟を利用してロンデルバルクの各地から集っているらしい」
「なるほどー……迂闊に攻め込んで兵士さん達を死なせたらダメだもんね」
「妙な話だぜ、何かの天災の前触れか? それにしては、なあ?」
変事が起きた際に野生動物の群れが大移動を行うという事例は珍しくはない。
しかし移動だけではなく揃って王都へ侵攻するのは聊か不自然に感じた。
「ヴィルツの疑問は尤もだと思う。現に団長や王国軍の司令部も、
何者かが意図的に魔物を誘導しているんじゃないかって調査を進めている」
「そいつは何よりだ。王都が不穏だと商売なんてやってられないからな。
で、お前は大丈夫なのか? かなりの間 戦いっ放しだったみたいじゃないか」
椅子の背凭れに体重を預けながら、疲弊した幼馴染の顔色を伺う。
冒険者として共に旅を続けていた頃には、もっと深刻な状態に陥った彼を何度も目にした事があった。それよりはマシだからといって心配しない理由などはない。
「有難う、僕なら大丈夫だよ。
明日から三日間、前線から離れて後方待機を言い付けられたんだ。
丘陵に魔物が再集結するのに数日は掛かるから、今のうちに休めってね」
「実質的な臨時休暇ってわけか。そりゃあ何よりだぜ」
「まあ何もしないわけには行かないし、午後から軽い鍛錬くらいはするけど」
「ははっ、相変わらず大真面目な奴だ……」
「あっ、それなら副団長さんに一つお願いしてもいいかな?」
それまで二人のやり取りをぼんやりと眺めていたアルビトラが、急に右腕を大袈裟に掲げて挙手をする。
「私、たぶん明日には動けるようになる気がするから。
副団長さんと手合わせしてみたいなー」
「えっ……」
「馬鹿か! 幾らアンタが特殊な体質だからって
手足がくっ付いた端から いきなり摸擬戦だなんて正気じゃないぜ!」
「でも、早く元通りの動きが出来るようにしていかないと
あの二人に谷底の剣を持って行かれちゃうよ?」
つまるところ彼女は、敗北を喫しても依頼を投げる気が無いのだ。
一日でも早く復帰して再戦を挑む……そのことだけを考えている。
ヴィルツの眉間が険しさを増し、猜疑と叱咤に塗れた視線へと移り変わる。
「……昨日は途中で切り上げたが、やっぱり俺様は賛成できない。
レギや王女様には悪いが、この依頼は降りるべきだと思う」
昨晩、激昂した頭を冷やすために彼は一旦 退いてくれた。
そうして考え抜いた末に再び宿屋に戻って来ているのだが、彼の方針や流儀が変わる事はなかったのである。
部屋内の空気が、一瞬で冷たく張り詰めた。
「あの大男に再び挑めばアンタは死ぬ。次は、確実にな。
死出の旅路だと分かり切っているのに行かせるわけにはいかない」
「……」
渋面を浮かべて胸中を吐露するヴィルツの横顔をレギは黙って見詰めている。
彼とアルビトラの話が纏まるまで口出しをしない心積もりだ。
「そもそもアンタがこの依頼に執着する理由なんて無い筈だろう?
生きる事より戦いが好きな戦闘狂でもあるまいし……」
「んー……」
「納得できる理由を言わない限り、俺様はこの場で依頼放棄を進言するぜ?」
険しい視線でアルビトラを見据える。
彼女の顔面の左半分は幾重にも包帯が巻かれており、仮に手足が動かせるようになったとしても先日の戦い以上のパフォーマンスを発揮できるわけがないのだ。
「……私もね、昨日からちょっと考えてたんだー」
僅かな沈黙を挟んでから、限りなく普段通りの口調で言葉が紡がれる。
「私って産まれた時の記憶が一切なくて、ずっと自分の秘密を探しているの。
唯一の手掛かりは目覚めた時から一緒に居てくれた、あの子だけ」
部屋内の収納棚に立て掛けられていた粋然刀に視線を傾ける。
アルビトラの無二の相棒、銘を『アガネソーラ』という。
「今までどれだけ旅を続けても、あの子のような武器は見付からなかった。
私と同じで、どこへ行っても最後は必ず独りぼっち」
「……」
「だけど、あの二人が持っていた武器とか。谷底に刺さっていた剣とか。
細かい部分は違うけど、この子と似た感じだったんだよ」
敵対した少女、ギラが発していた言葉を鵜呑みにしても良いのなら、真紅の光粒を発する武器は『霊滓綺装』という兵器群であるらしい。
「あの二人は私よりもずっと、この子について詳しいみたいだったし。
谷底の剣の事も知っているみたいだった。
だから、あの二人を倒して剣を手に入れて……もっと詳しい事を知りたいの!」
そうすれば、不明だった自身の出自について何かが分かるかもしれない。
特異な生命体と特異な武器。
斯様な異物が偶然 揃う筈は無い。何かしらの因果が必ず潜んでいる筈なのだ。
白紙化された真実の究明。その第一歩。僅かに捉えた過去の残滓。
彼女にとって、それは死出の旅路へ挑む理由に値する。
「ああ、そうかい」
「貴方にとって絶対に避けるわけにはいかない冒険なんだね」
決して凄味を利かせた喋り声ではなかったが、この場に居合わせたヴィルツとレギは滔々と語るアルビトラの言葉の節々から真摯な想いを汲み取った。
「理由は……分かった。そりゃ誰だって自分の出生は気になるもんだよな。
やっと目の前に手掛かりが現れたのなら、見逃せる筈もない」
積み上げたものが白紙へと戻るアルビトラであれば尚更の事であろう。
それでもヴィルツは納得と抵抗の間で揺れ動いていた。
「だけどよ、現実問題として あいつらに勝てると思うのか?
重要な手掛かりを得たとしても死んじまったら意味が無いぜ」
「うーん、それはちょっと……やってみないとだねぃ。
もちろん作戦はきっちり練るよ! よ!」
「奇策でどうにかなる相手じゃないだろ。
万全に近い状態でアンタは敗けたんだ。援軍も見込めない」
途方も無い難敵に挑むのなら信頼できる仲間と協力して挑むのが定石だ。
しかしアルビトラとゾガルディアの戦いに付いて行ける者など殆ど存在しない。
唯一、僅かながら可能性があるレギは王都から動けない……。
「ん、それでもだよ! それでも、私一人できっと何とかしてみせるから」
「くっ……」
無理やり笑顔を浮かべながら普段通りの口調で返事をするアルビトラ。
一切 退く気がない彼女の姿に耐えきれなくなったのか、とうとうヴィルツは匙を投げるかのように縫い掛けの衣服を抱えて椅子から立ち上がった。
「お兄さん?」
「俺様には、これ以上アンタを止める言葉は浮かんでこない。
そこまで理由と覚悟を決めているのなら、後は冒険者の自由だ」
その面貌は、一層と苦渋に満ちたものであった。
「悪いがアンタとは此処までだな。
当初の護衛の依頼だって、とっくに期限は切れているわけだし」
「うん」
「アンタが無事に生き延びれるよう祈っておく……じゃあな」
目一杯、瞼を閉じ、幾多の葛藤を胸中で巡らせる。
そして静かな足取りで部屋の入口へと歩き出し、扉を潜る間際にレギへ視線を送ると意図を汲み取った彼は黙って頷いていた。
そうして商人の青年は、王都の人混みの中へと消えていく――
「ヴィルツ……」
「最後まで優しいヒトだったねぃ」
「アルビトラさん、これで良かったのかい?」
「うん、お兄さんにはこのまま自分の路を安全に進んで行ってほしいよ。
王都でお店を開く方法は他にもきっとある筈だし!」
ヴィルツにはヴィルツの目的と大望、そして帰るべき家があるのだ。
アルビトラに協力し続けて生命を落とすわけにはいかない。
彼はもうアルビトラを留める言葉と理由を持ち合わせていない。
であれば、一人で静かに引き退がる以外に選択肢が無かった。
部屋を出る直前に彼が見せた葛藤は、力不足を承知でアルビトラと共に再び谷底へ向かうという選択肢。ゾガルディアという難敵に共に立ち向かう未来だった。
しかし、その選択肢を選ぶわけにはいかない。選んではいけないのだ。
アルビトラも、レギも、そしてヴィルツ本人もその事を痛いほど承知していた。
「お兄さんはもう冒険者じゃないからねぃ。
マッキリーで暮らしているっていう奥さんを一番大事にしないといけないもん」
「そうだね。ヴィルツに何かあれば、僕はユングフラウに申し訳が立たない。
だけどアルビトラさん、貴方にも死んでほしくはない。
せめて僕が同行する事が出来るのものなら……!」
依頼を達成するために越えるべき壁が想像を遥かに凌駕するものであった以上、責任感の強いレギとしても忸怩たる思いである。
「いいよ、いいよ。気にしないで、私が自分で決めた冒険だから!
それよりも明日、せっかくの休暇中になっちゃうけど副団長さんは大丈夫?」
「あ、ああ……それは勿論。むしろ僕としても有難いくらいさ。
全く身体を動かさないと、いざという時に咄嗟に動けなくなるからね」
少し困ったような笑顔を浮かべながらレギは快く引き受けてくれた。
「それでは明日の東角の刻に、第一演習場まで来て下さい」
「はーい!」
「貴方の冒険に加わる事が出来ない分、それ以外の面での協力は惜しまない」
「えへへー、前に見た時より副団長さんがどれくらい強くなっているのか
ちょっと楽しみにだったんだよねぃ」
話し合いが纏まると、寝台の上に居座ったままレギを見送った。
その後はなるべく大人しく日中を過ごし、用意された食事を目一杯 平らげる。
「……短い間だったけど楽しかったねぃ」
眠りに着く前、今日の出来事を冊子に綴り終えてから ふと独り言を零す。
少し前にも同じような言葉を口にした。
だが今回は共に旅をした者が死なずにいてくれた。それで充分だ。
いずれ記憶が薄れていくにしろ、死に別れるよりはずっと良い。
僅かな寂寥を味わいながら、彼女は冊子を閉じて蝋燭の火を消した。
夜になっても、次の朝を迎えても、ヴィルツが戻って来ることはなかった。
・第2話の12節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・前回と併せてヴィルツの人情味が少しでも綴れていたら幸いです。
・次回は"北方の勇者"レギ・ゼオとのリハビリを兼ねた摸擬戦。
どのような形になっていくのか、こうご期待下さい。




