僕が見届けよう、君の果てしなき旅路を(11)
※東征の刻→午前3時
危険を顧みず谷底まで降下してくれた飼い竜への労いの言葉もそこそこに肉塊を背に乗せ、次いでヴィルツ本人も鞍へと飛び乗り無我夢中で離脱を図った。
そうしてバルクラント地方の空を彗星の如く飛翔する。
既に日が落ちて久しく、天空は漆黒の帳で覆われている。
夜空を飛ぶ肌寒さも気にならないほど、ヴィルツ・ウォーラフは必死だった。
[ ロンデル地方 ~ 王都圏 上空 ]
「やっぱり王都まで戻らないと間に合わないか……」
手綱を操りながら飛び続けること二刻。バルクラント地方との端境を越えてロンデル地方へと入り、更に一直線に王都圏を突き抜ける。
途中で少し大きめの街に立ち寄り、救護院の門を叩いてアルビトラの治療を願い出たのだが専属の治癒術師からは首を横に振られてしまった。
「申し訳ございません。私共の力では、その御方を癒す事は出来ません」
ヴィルツが治療費に糸目は付けないと、つまり賄賂でも何でも支払うと言っても承諾はしてくれなかった。
純粋にアルビトラの症状が重過ぎる余り、彼等の手には負えなかったのだ。
救護院とは、各地の都市や村々に建てられたコーデリオ教団所縁の施設である。 そこでは治療用の魔法や魔術を修めた『治癒術師』と呼ばれる聖職者達が働いている。
いわば癒し手達の最前線であり、そのような場所で見放された患者は最早どうしようもないのであった。
しかし希望は残されている。救護院は大きな都市になるにつれて高位の治癒術師が所属している事が多く、王都ならばアルビトラを癒せる可能性があるのだ。
「……コイツがこんな事になるなんてな」
手綱を操りながら、ちらっと背後を見やる。
応急処置として患部に治療用の魔具を巻き付けたアルビトラの身体は……いつもより小さかった。
左腕と右脚が喪われ、左脚もぐちゃぐちゃに潰れている。
顔の左半分も無惨に潰れ、左目の眼球は破裂。特徴的だった狐耳のうち左側は千切れて無くなっていた。
無事だった箇所は、最後まで粋然刀を握り締めていた右腕くらいのものである。
「ぅっ……うぅ……」
苦悶の呻き声が零れる。呼吸もどんどん弱々しくなっていく。
四肢や頭部の欠損だけではない、恐らく折れた肋骨が臓腑に刺さっているのだろう。最悪の場合は内臓の一部が破裂しているかもしれない。
口元からは未だに鮮血が粟立ちながら噴き出ているではないか。
本来なら飼い竜に乗せて夜間飛行など以ての外だ。
一刻も早く清潔な寝台の上に寝かせて安静にしなければならなかった。
「どうにか堪えてくれよ。
最高峰の治癒術師だったら千切れた手足をくっ付ける事が出来る筈なんだ……」
不幸中の幸いと云うべきか、彼女の左腕と右脚は辛うじて原型を留めたまま近くに転がっていたので、回収して魔具で保護してある。
「だが幾ら王都の治癒術師といったって限界があるんだ。
時間の経過と共に治療の成功率はどんどん落ちる……だから」
無茶をしてでも急がねばならない。最も腕の立つ癒し手達に診せるために。
「くそっ、僕があの時 倒れていなければ!」
しかし同時に、アルビトラですら敵わなかったあの巨漢の武人を相手に、自分が居たところで何が出来たというのか? という葛藤が押し寄せる。
むしろヴィルツが絶妙な時期に駆け付けた事でアルビトラは一命を取り留めた。そう考えれば必要以上に己の非を責めても意味がない。
「(……詭弁だな、今はコイツを助ける事だけに集中しないと)」
手綱を握り締める力が余りにも強くなり過ぎて、掌より薄っすらと血が滲み始めた。アルビトラと旅した日数は丁度 片手の指で納まるくらいだが、一時でも同行したのなら彼にとっては仲間なのである。
「絶対に何とかしてやるからな! 絶対にだ」
ヴィルツは雪国の、それも大陸最北端の出身である。
凍傷や魔物の襲撃によって四肢を喪った者達や、容易く生命を落とした同胞を大勢見てきた。故に、彼は仲間を見殺しにするという選択肢を持たないのである。
そうして彼等は一心不乱に飛び続け、王都への帰還を果たした。
[ 王都アンバーハイヴ ~ 東区 第一救護院 ]
王都の上空まで迫ったヴィルツは、ロンデ・タン盆地ではなく王都の中央広場に無理やり飼い竜を降下させる暴挙に出る。
これにより気球に乗った哨戒任務中の兵士達を大いに困惑させてしまった。
一応、救急患者を乗せていることを示す救難灯を点灯させていたので大きな騒ぎにはならなかったが、一歩間違えれば狙撃魔法で撃墜されていたところである。
ともあれ最速の手順で王都に入り、一直線に向かうのは救護院が密集している東区……即ち、教団関係者が集う大聖堂の一帯だ。
「何だって? 今は急患を受け付けられない?」
「は、はい……実は昼過ぎより魔物の大群が王都に押し寄せましてですね。
それで多数の兵士が傷を負い、どこも既に手一杯なんですよ」
「くっ、王女様やレギが言っていた件か……なんだってこんな時に!」
忸怩たる思いで項垂れるヴィルツ。
このまま無理やり頼み続けるという選択肢もあるが、恐らく彼の要求が通る可能性は低いだろう。
王都を守護する兵士達は防衛の要。最優先で治療しなければならない。
こういった場合、根無し草の冒険者達は後回しにされてしまうのだ。
元冒険者であるヴィルツはそういった事情を熟知していた。
故に、己の中で暴れ狂う激しい怒りを必死に抑え込むしかなかった。
「くそっ……くそぉぉ!!」
「心中お察しいたします……。せめて化膿止めと痛覚を遮断する薬だけでも
隣の製薬所より提供させていただきますので、どうかお引き取りを」
この治癒術師を怒鳴り付けても何一つとして好転はしない。
そのことを理解しているために、奥歯を噛み締めて彼の言う通り引き下がった。
[ 王都アンバーハイヴ ~ 西区 『ウテルの弦亭』]
その後、ヴィルツは他区の小規模な救護院も尋ねて回ったが、やはり受け入れる余地は無いとのこと。
困り果てた末に、結局は彼等が滞在していた宿へと戻るしかなかった。
既に時刻は西征の刻……深夜を越えて夜明けが近付いている頃合いだ。
「本当に済まない……こんなにも、何もかも上手くいかないなんて……」
寝台にアルビトラを寝かし、衣服を全て剥いで全身の血を拭う。
包帯代わりに捲いていた治療用の魔具を取り換え、傷口を清潔に整える。
改めて見渡すと本当に酷い惨状であり、生きているのが不思議なくらいだ。
「(昔の僕だったら治癒術師の胸倉を掴んで、脅してでも治療させたのにな)」
冒険者時代の、まだ十代の子供だった頃のヴィルツだったらそうしていた。
しかし今は違う。妻帯者であり、商人として世を渡る大人になった。
治癒術師側にも立場や優先基準があり、生活もある。
王都を護る兵士を最優先にしなければならないという事情も察して余りある。
故に、無理強いをすることが出来なかった。出来なくなってしまった……。
「……日が昇ったら必ずレギに掛け合って何とかしてみせる。
だからそれまで、死ぬんじゃないぞ」
痛覚遮断の刺薬を注入し、アルビトラが一時的に安定した寝息を立て始めたのを見届ける。一介の商人に出来る事はこれが限界か。
疲れ果てたヴィルツは、そのまま寝台の傍に腰掛けながら僅かな眠りに着いた。
[ 王都アンバーハイヴ ~ 西区 『ウテルの弦亭』 翌朝 ]
「っ! 今の時刻は?」
陽光が差し込み、その眩しさでヴィルツは目を覚ました。
寝台の傍から飛び起きて窓の外を見上げると、思った以上に陽が高い。
「うわ、寝過ぎた……って、何だ? 外が騒がしいな」
王都内、特に正門に最も近い西区の街並みは騒然としていた。
聞こえて来る喧噪から察するに、どうやら今日も魔物の大群による襲撃に遭っているらしく城壁の外では兵士達が懸命に抗っている。
「拙いな、この分だと今日も救護院は受け付けてくれないかもしれない」
深刻な面貌で吐き捨てるように呟き、次いで寝台の上のアルビトラの様子を伺うことにした。傷口も定期的に検めなければならない。
「……お兄さん、ここは?」
視線を落とすと、横たわるアルビトラと目が合った。
内臓がやられていたにも関わらず、普通に言葉を発している。
「目が覚めたのか、だが無理に喋るんじゃあない。
今は薬で痛みを退けているが、なるべく安静にしているんだ」
努めて平静に、能う限り優しい口調で語り掛ける。
アルビトラが現状を把握して発狂しないように……。
だが、当の本人はおかまいなしに言葉を紡ぎ続けた。
「そっか、私……あのおじさんにコテンパンにされちゃったんだねぃ。
それで お兄さんが助けてくれたんだ」
「だから喋るなって。
直ぐに治癒術師を連れて来てやるから、今は大人しくしているんだ」
「ん、ありがとね。でも私、もう一度あの谷底に行かないといけないの。
私の手と足、まだあるのかな?」
「…………ッ!!?」
何気なく言い出すアルビトラの言葉にヴィルツは心底驚愕した。
この娘は既に自分が置かれた状況を、欠損した四肢や顔面の事を把握している。
その上で、まだ戦うと言い出したのだ。
「左腕と右脚は拾ってある……だが、アンタは何を言っているんだ!
そんな状態で渓谷に行けるわけないだろう?!」
そもそも今こうしている間にも、彼女の肉体は死に近付いている筈なのだ。
困惑と呆れを通り越し、つい声を張り上げて激昂してしまった。
「大丈夫だよ。私なら大丈夫……手と足を拾ってくれて、むしろラッキーだよ」
のそのそと首を動かし、片方だけになった瞳で部屋を見渡すアルビトラ。
備え付けの机の上に丁重に置かれた己の手足を見咎めて、安堵の溜息を吐く。
その異様に落ち着いた振舞いに、ヴィルツは薄ら寒さを覚えた。
自分とはまるで異なる生き物。否、彼女は真っ当な生物なのか?
「お兄さん、この包帯みたいな魔具を一旦外してほしいの。
それから机の上の手足を引っ付けて、一緒に巻いてくれないかなー」
「何を……言って……」
「いいから、いいから! 私は今までそうやって生きて来たんだよぅ」
再起不能な重傷者である筈なのにアルビトラの眼差しは妙な迫力を秘めている。
困惑したヴィルツは息を呑み、言われた通りにするしかなかった。
ニ十分後。千切れた手足を密着させた上で慎重に魔具を巻き直し、いたたまれない気分になってしまった。
「こんな出鱈目な事をしたら、後で熟練の治癒術師に処方させたとしても
完全に治療できなくなるかもしれないんだぞ!」
「ん、私なら大丈夫だよ……でも暫くは動けそうにないかな。
お兄さんの護衛の依頼、あと一日あるのに ごめんなさい」
「馬鹿野郎、そんなの今 気にしてる場合じゃないだろう!」
再び口調を荒げながら、化膿止めと痛覚遮断の刺薬を施した。
「兎に角、僕はこれから各救護院の責任者やレギに会って来るから。
それまで変なことせずに寝ていろよ」
「はーい」
「…………」
異常なほどの冷静さを見せるなアルビトラに対して、それ以上は何も言葉を掛けることが出来ず、只管に王都内を駆け回るしかなかった。
しかし各救護院は相変わらず満員であり、頼みの綱のレギは魔物の防衛のために最前線で戦っているらしく面会すら適わない。
[ 王都アンバーハイヴ ~ 西区 『ウテルの弦亭』 夕方 ]
東角の刻を過ぎ、徐々に陽が落ち始めた時分。
何も成果を挙げられなかったヴィルツが項垂れながら宿屋に戻って来た。
どういう顔をしてアルビトラに会えば良いのか分からず、暗い顔で部屋に入る。
「お、おい……何やってんだよ」
「あっ、ほはえりー」
なんと彼女は寝台の上で上半身を起こし、もきゅもきゅとパンを頬張っている最中であった。
「……内臓やられて血を噴いていたよな?
そんな状態で固形物を食べたらどうなるか!!」
「んー、らいひょうふはよー」
「呑み込んでから喋れ!」
これまでの二人の間でよく交わしていた、のどかなやり取りが再演される。
普通に考えれば、もう彼女は二度と真っ当な食事が出来ないような状態である筈なのに……。
「ごくんっ! お腹の中はもう元通りになったから問題ないよ。
千切れちゃった手足が元通りになるのは、まだまだ時間が掛かりそうだけど」
「元通りって……吸血種だってそこまでの治癒力はないんだぞ」
この世界に不老不死の概念は無い。永遠を生きる存在等は成立しない。
名の挙がった種族とて高度な再生能力を有しているが、四肢欠損や内臓破裂の状態から独力で食事か可能な状態に至るまでには、半月以上は要するだろう。
超常の力や都合のいい奇跡などは、遥か太古の時代に喪われて 久しいのだ。
「んー、私はちょっと特殊な体質だからねぃ」
新たなパンを右掌で掴みながら、少し寂しそうな眼をして嘯く。
「私のために いっぱい頑張ってくれてありがとう、お兄さん。
そこまでしてくれるヒト、本当に久しぶりだよぅ」
「アルビトラ……」
そこでヴィルツは気付く。昼前に目覚めた時と比べてアルビトラの口調や意識が各段に明瞭さを取り戻している事実に。
「でも、もう良いんだよ。後はきっと、いつもみたいに何とかなる。
死なない限りは傷も、痛みも、私からは全部取り挙げられちゃうんだー」
「…………」
この娘が何を言っているのか、何を考えているのか、本当に分からなかった。
常理の埒外を生きる者とは、斯くも理解の及ばぬものなのか。
「本当に魔法や魔術で治療する必要はないのか?」
「うん、きちんと消毒とかもしてくれてるみたいだから。
まだまだ痛いのは続くけど、それもきっと無くなっていくよ」
「手足はまだしも左の目や耳はどうなんだ? そっちはもう……」
「それも大丈夫だよ。怪我する前の状態に巻き戻るだけだから」
「巻き戻る……? どういう事だ」
「んー、私もあんまり詳しいことは分からないんだけどねぃ」
ちょっとだけ困ったように微笑みながら、アルビトラが言葉を選ぶ。
どう説明したら良いのか……いや、それ以前に説明しても良いのか迷っている。
「他言はしない。約束する」
「お兄さんはそういうとこ、しっかりしてそうだもんね」
安易に自身の秘密を吐露すれば、アルビトラの特異体質を悪用しようとする輩が必ず現れる。或いは既に、そういう事態に陥った経験があった。
「(このヒトだったら、言っても大丈夫そうかな)」
一拍置いてから意を決し、言葉を紡ぎ続けることにした。
「私はね、怪我をしたり毒や呪いに掛かったり……苦しい思いをしたり。
色んな目に遭っても、いつの間にか元通りに戻っちゃう体質なの」
「単純に、肉体の治癒速度が異常に高いというわけじゃないのか?」
「たぶん違うと思う。治癒や再生じゃなくて元通り……逆行? なのかなぁ」
部屋の天井に視線を送り、その一点をぼんやりと見詰めながら。
「だから歳を重ねること自体が出来ないし、旅先で感じた心も消えていく。
積み上げたものが全部なくなっちゃう感じだねぃ」
「…………」
「唯一、ちゃんと残るのは練習して覚えた戦いの技や魔術くらいかな」
「……記憶はどうなんだ? 旅の最中に出会った奴の顔とか、名前とか」
「んー、怪我をして巻き戻ると、半分くらいは持っていかれてるかなぁ。
残った半分も時間が経つと、ゆっくりと薄れていっちゃう」
数日や数ヶ月程度であるならまだしも、何十年、何百年と生き続けているのなら古い記憶は徐々に薄れていくのは至極当然である。
「百冊以上もメモを取った冊子があるのはそういうことか。
備忘録にしては、やけに念が籠っているとは感じていたが……」
コルディットの街でのやり取りを思い出す。
彼女にとって旅の出来事や思い出を記述するということは、それしか己という存在を確認する手段が無いのだろう。
他者を名前で呼ぼうとしないのも、いずれ必ず忘却してしまうから。
名前で呼び合った思い出も、関係性も、何もかも。総て白紙へと還るのだ。
「右手が無事で良かったよ。
筆が持てるなら、寝転びながらでも書いていけるもん」
「……アルビトラ」
ぱっぱっぱっ、とパン滓が付いた手を払い、代わりにザラ紙を束ねたボロボロの冊子を取り出してみせる。適当に開いた各頁には、これでもかというほど びっしりと旅の思い出が書き連ねられていた。
「谷底で戦った二人のこともしっかりと書いておくよ。
歩けるようになったら、もう一度 あの剣を取りに行くからね」
アルビトラに敗北を刻んだゾガルディアならば、例え五十人の蟲人達から襲われたとしても勝利は揺るがないだろう。
とはいえ奮闘ぶりにもよるが彼等が渓谷で発掘された大剣を手にするまでに僅かながら時間を取られる筈だ。
「ほんの少しだがアンタを打倒した大男を、僕も間近で視た。
……あんなに途方も無い威圧感を放つ生き物と出会ったのは初めてだ」
ヴィルツの声色に深刻さと、隠しきれぬ恐怖の色が滲み出る。
「アルビトラ、もう諦めよう。次に戦ったら今度こそ生命は無い」
肉体や精神が撒き戻る特異体質とはいえ、死に至って尚も適用されるという保証は何処にもないのである。
これ以上、取り返しがつかなくなる前に引き下がるのが優秀な冒険者なのだ。
「でも依頼を達成しないと、お兄さんは王都で店を出せないんでしょ?」
「ああ、だが出店するだけなら時間を掛ければ いつかは適うさ。
僕の都合のためだけにアンタを死なせたいとは思わない!!」
「んー……」
きっぱりと、強い口調で拒否するヴィルツ。
そんな彼の言葉と心情を正面から受け止めたアルビトラは、少し悩みながら曖昧な反応を返すのみ。
ヴィルツの目的を抜きにしても、この依頼を続ける理由と思惑が彼女の裡で芽生え始めているのかもしれない。
「悪い、また怒鳴ってしまった……。
僕も少し頭を冷やしてくるから、アンタは大人しく療養に専念してくれ」
居心地の悪そうな表情で謝りながら背を向ける。
そのまま壁伝いに歩いて部屋の窓を開けて換気を行ってから、彼は静かに廊下へと出て行った。
「ものすごく稀に見るくらい、いいヒトだよねぃ」
新鮮な空気と共に城壁の外より響く戦いの喧噪を聞き入れながら、満身創痍の狐人は柔らかい笑みを浮かべ、独りでぽつりと呟いた。
ヴィルツに救出された後、アルビトラは時折 意識を取り戻してはまた失うという半死半生の状態を繰り返していた。
全速力で飼い竜を駆り、片っ端から救護院を巡ってくれた彼の必死な形相と言葉の数々は、確かに彼女の耳と心に響いていたのである。
「(手と足を一緒に喪ったのなんて何年振りだろう……)」
記憶を幾ら遡ろうとしても、もう思い出せない。
ここ十年や二十年どころではなく、少なくとも百年以上はこれ程の重体に陥ったことは無い。
しかし、きっと遥か昔には体験している筈なのだ。だからこそ、手足を失ってもいずれ傷を負う前の状態に巻き戻る事を知っているのだから。
「このまま全部元通りに戻ったら、商人のお兄さんはどんな顔するかなぁ」
部屋を出ていく前の彼の反応から察するに、半信半疑といったところか。
重体から復調してしまうアルビトラの異常性を実際に目の当たりにした時、ヴィルツはどのように接してくるのだろうか? 少しだけ不安を覚えた。
[ バルクラント地方 ~ バルクム・イルド渓谷 深き地の底 ]
真紅の光粒の代わりに一帯を充満し尽くす夥しい鮮血の渦中。
一騎当千以上の猛者たる蟲人達の死骸が積み上がっていた。墓標の如く。
「いや~、終わった終わったぁ! 害虫駆除も楽じゃないよ、まったく」
「怨嗟で研いだ刃とはいえ、素晴らしい部族であった」
無傷に近しいギラとゾガルディアが、戦士達の屍に向けて所感を零す。
片方は嘲笑と愚痴、片方は敬意と弔意。正しく対照的な二人である。
「それじゃあ、お目当ての『霊滓綺装』を手に入れようじゃないか!
……ま、これを掘り起こすのはちょ~~~っと大変だけどさ」
「済まぬ」
周囲には見渡す限りの瓦礫で溢れていた。
大剣が突き刺さっていた断崖や、元々の地面、渓谷の岩塊などがゾガルディアの途方も無い斧撃によって打ち崩されて、陥没していた。
当然ながら彼女達が求める品も、瓦礫の中に埋もれてしまったというわけだ。
「あれくらいしないとケモミミくんは停まらなかっただろうしね♪
結局は逃げられちゃったけど」
「…………」
「気にしないでおくれよゾーガさん、僕も結構楽しめたし?
充分に痛めつけておいたんだから暫くは身動き出来ない筈さ」
小さな足で瓦礫の上を渡りながら、責任感の強い武人を労わる。
「気にせずに、ゆっくりと掘り返していこうじゃないか。
まずはこの辺から……って、あれれ?」
ギラの視界がぐにゃりと歪み、瓦礫を踏み締めていた脚から力が抜ける。
よろめき、倒れ込みそうになったところで横から図太い腕が伸びて来て彼女の身体を支えてくれた。
「あ、有難う……ゾーガさん」
「疲労の蓄積と魔力減衰の症状が重なったようだ」
「あちゃ~、ちょっと無理し過ぎたかな?」
「渓谷の踏破に加えての連戦、無理も無い」
類稀なる頭脳に、尋常ならざる知識量を誇る彼女だが、ギラの肉体はあくまで十一歳の少女でしかない。
むしろ身体の丈夫さや運動神経でいえば、同年代の子供達よりも見劣りする。
「近くに拠点を築き、数日は休息を試みるべし」
「とほほ、目前で立ち停まる事になるなんてツイてないや」
旅路に於いて歴戦の勇士であるゾガルディアの見立てと判断は絶対だ。
彼が休息を進言したからには、それに値する状態に自分が陥っていると弁える。
「ふふん。ケモミミくんが復活する前には、こっちも動き出したいもんだね~」
瓦礫の上で仰向けに寝かせてもらいながら、ギラ・レスティートは無様な肉塊と化して逃げ去ったアルビトラの姿を思い出していた。
・第2話の11節目をお読みくださり、ありがとうございました。
・激しい戦いの後の充電期間として成立していれば何よりでございます。
アルビトラ自身は表向きは漂々と振舞っていますが、これで案外と敗北のショックは大きいらしく、いつもより食欲がなくなっているのだと思います。
何だかんだで自分のために必死に奔走するヴィルツの姿に救われているのかもしれませんね。
・次回は再戦に向けた第一歩を描いていきたいと思います。
もしよければ、引き続きアルビトラを応援してやってくださいませ。




