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騎士候補生アンバー山遭難事故 ――なぜ彼らは破滅に至ったのか  作者: Mel


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8/13

みっかめ、あさ①

 ――アニーが目を覚ましたとき、床はすっかり冷え切っていた。

 挫いた左足にはまだ違和感が残っていたが、締め直した布越しに確認するに動かす分には支障はなさそうだ。

 隣では、ゴードンが壁に背を預けてぼんやりと虚空を眺めていた。アニーが無言で目線を送る。すぐに気付いた彼はゆっくりと頷いた。


「……交代だ、ゴードン。少しでも横になった方がいい」

「そうさせてもらおうか。……まだ少し、頭が重いな」


 ゴードンは短く答えると、どこか精彩さを欠いた動きで寝袋へ沈んだ。

 熟練の傭兵である彼をここまで弱らせるのは山の希薄な空気のせいか、それともお坊ちゃんたちの相手をすることに辟易としているのか。どちらにせよ、これまでにあまり目にしたことのない不調な姿だった。


 アニーは窓の外を見た。空の端がわずかに白み始めている。

 予定では日の出と共に出発するはずだったが――もちろん定刻通りに起きている者もいたものの、小屋の中に響いているのは昨夜の乱痴気騒ぎを彷彿とさせるいびきと酒臭い息ばかりだった。


「時間だ。起きろ」


 アニーがジュリアンに声をかけるも反応はない。高級そうな寝袋に軽く蹴りを入れると、彼は「あと一刻、待て……」と怠惰な声を漏らし、再び寝袋の奥へと頭を潜り込ませた。

 アニーは冷めた目でその丸まった背中を見つめ、傍らに立っていたコールソンと視線を合わせる。彼はロッソと何やら話し合うと、一時間の猶予を与えることを決めた。

 

 本来であれば教官が怒鳴りつけてでも叩き起こす場面では、と思ったのだが、この演習の主役はあくまでも候補生。彼らが出発の時間を遅めると決めたのだから、それに従う心づもりなのだろう。


 アニーは声に出さずに溜息を吐いた。

 この一時間の遅れが後にどんな影響を及ぼすかもわからないのに、貴族のお遊びに付き合わされて全く合理的ではない。

 とはいえ、雇い主に逆らうわけにもいかない。ジュリアンの隣で寝ていたブルーノの寝袋を腹いせのように無言で蹴とばして、アニーは素知らぬ顔で炊事場へと向かった。


 *


 一時間後。


 ようやく候補生たちが三々五々に動き始めた。アニーは自分の荷物の点検を念入りに行いながら、密かに彼らの動向に注意を払っていた。

 

 リアナとテッドは並んでスープを啜っている。二人の距離は演習の同行者というよりは、平原でピクニックを楽しむ恋人たちのそれだった。


「テッド、顔色が良くないわ。この薬湯を飲んで」

「ああ、ありがとうリアナ。君がいてくれて本当に助かるよ」


 二人の間に流れる甘い空気。誰かがヒュウと口笛を吹き、シュリーが嫌そうに顔を顰めている。


「――なぁルゥ、知ってるか。この辺りには『穴持たず』が出るんだぜ」

「穴持たず……も、もしかして、人食い熊、ですか?」

「ああ。冬眠に失敗して、夏でも飢えて彷徨っているって噂だよ。沢は水飲み場だから気をつけろよ? ……ガサッと音がしたら、もう背後に立ってるかもしれないぜ」

「そ、そんな……!」


 カップを両手で包んでいたルゥは、顔から血の気を引かせた。


「ハハッ、そんなに怖いなら早くお家に帰ってママのミルクでも飲まないとなぁ」

「よせよ、ゲイル。あんまり子どもをいじめるな」

「こ、子どもじゃないですよ。失礼なことを言わないでください」


 口を挟んだのはヒックスだった。彼はジュリアンの取り巻きとは一線を引いている様子で、少し離れた場所で自分の装備を点検している。


「先生、いい加減にそいつらを叩き起こした方がいいんじゃないか。ドリスがさっきからうるさくてかなわん」


 ヒックスが指さした先では、ドリスがそわそわと窓の外と時計を交互に見ていた。


「間に合うよな……? 明日なんだ。一番前の席が用意されているんだから、いないとすぐにバレちまう」

「ピアノの発表会だなんて、そんな退屈なものすっぽかしちまえばいいじゃないか」

「ミニスの初舞台なんだぞ? 婚約者の俺が見に行かなくてどうするんだよ」


 着替えを終えたエリックは、使い終わった寝袋と自分の荷物から予備の毛布を取り出すや小屋の隅へ放り投げた。コールソンがすかさず注意を飛ばす。


「おい、エリック。何をしている」

「重いんですよ、これ。昨日だって汗ばむくらいだったじゃないですか」

「だからって置いていく気か。実戦でどうするつもりなんだ」

「そのときはちゃんと持っていきますよ。でもこれはあくまでも演習。荷を減らす判断力だって試されてるんじゃないですか?」


 それに、と言って彼は窓のカーテンを開けた。

 エリックが指さした窓の外。日の昇り始めたアンバー山は、雲一つない深い青に染まっていた。


「こんなに天気がいいんだ。もう泊りの予定もないのに毛布だなんて、もはやただの重りですよ。余計な荷物は減らした方がいいに決まってる」

「山を舐めるなと言ったはずだ。戻せ」

「……はいはい。じゃあ半分だけですよ」


 エリックは渋々といった様子で毛布一枚だけをザックに戻した。――が、アニーの目はしっかりと捉えていた。コールソンが目線を外したすきに、かさばる雨具を素早く小屋の隅の不要物の山の中に捻じ込んで隠したのを。

 用意された雨具は蜜蝋を塗った厚手の麻布だ。水を弾くが通気性は皆無で重い。それを嫌っての暴挙だろう。


 もはや告げ口をする気にもなれず、アニーは黙殺することにした。何かあって困るのは彼自身だ。それに小娘と侮られている自分が口出しをしたところで、素直に聞くような相手でもないだろう。


 さらに三十分が過ぎた。

 ようやく起き出したジュリアンとブルーノは慌てる様子もなく、リアナに用意させた温かな紅茶を優雅に啜っている。例の無駄にきらきらとした登山服に袖を通し、鏡で前髪を確認する始末だった。

 

 彼らが小屋の扉を開ける準備が整ったとき、予定時刻からはすでに二時間が経過していた。


「おい、そこの小娘」


 出発の間際、ザックを背負うアニーにマルクが声をかけてきた。彼はアニーの顔を――というよりは、その黒髪を舐めるような視線で眺めている。


「ここらでは見ない色だよな。……東から来たのか? それとも、どこぞの貴族の落とし子か」

「……親の顔も見たことがないから、知らない」


 アニーが事務的に答えると、マルクは低く笑い、懐から銀貨を一枚取り出してアニーの目の前で弄んだ。


「はぁん。それなら買い手はいないわけだ。……どうだ、この演習が終わったら銀貨五枚で俺に付いてこないか? もし具合が良かったらそのまま買ってやってもいいんだぜ」

「そこまでだ、マルク」


 コールソンの低く重い声がマルクの言葉を遮った。


「彼女は今回の演習における『山猫』からの大切な派遣員だ。貴様の玩具ではない。……行くぞ。女を買う暇があるなら成果のひとつでもあげることだな」


 マルクは不愉快そうに鼻を鳴らして銀貨を仕舞うと、ジュリアンの背中を追って外へ出た。


「……ほんっと、最低。ごめんなさいね、不愉快な思いをさせて」

「別に、気にしていない」

「こんな時にも盛るなんてどうかしてるとしか思えないわ。……いい? あいつらとは絶対に二人きりにならないでちょうだい。……黒い噂があるから」


 その噂の内容まで語るつもりはないのか、シュリーは「絶対よ」ともう一度念押しをして戸口へ向かった。彼女も騎士を目指しているようだが、わざわざ男装をしているくらいだ。女という立場故に嫌な思いをしたことがあるのかもしれない。


 ……どうでもいいことに頭を使ってしまった。切り替えるように首を振り、一歩、外へ踏み出した。

 朝日は眩しく、世界は黄金色に輝いている。

 これなら夕方にはこのくだらない仕事を終えて、明日には山猫の拠点に帰還できることだろう。


 そう目算を立てていたのだが、一陣の冷えた風が吹き抜けたとき、どうにも嫌な予感が胸をよぎった。

 

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― 新着の感想 ―
 エリックさんの防水処置済な麻雨具に関する残念行為と、アニーさんの忠告放棄が、今後にどう響くのでしょうかね。 未来崩壊への入念な下拵えじみた流れ、引力あります。
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