いちにちめ
演習当日、空は雲一つない快晴。
明け方の集合地点には、総勢百名を超える候補生と教師、そして傭兵団『山猫』に所属する傭兵たちが集まっていた。
演習地は大陸内でも名山の呼び声高いアンバー山。そのアンバー山と周囲の連峰を巡る『縦走演習』は三十年前から続けられ、王国騎士を目指す候補生であれば誰もが一度は通る通過儀礼なのだという。
例年であれば天候が安定する初夏に行われていたのだが、今年は建国二百周年の大式典と予定が重なった結果、演習の時期が一ヶ月ほど前へとずれ込んでいた。
「去年は暑さで三部隊が棄権したらしいからな」
「毎年この時期にすればいいんだよ。荷物も少なくなるんだし」
漏れ聞こえてくる会話から察するに、従来よりも涼しい時期に行われるとあってか、候補生たちはそれを喜んで受け入れている様子だった。
十に分かれた各分隊には傭兵が二人ずつ、候補生たちの演習の補佐に就く。
その中の一人がアニー。同世代の傭兵たちはみな屯所で留守番をしているが、彼女は山岳を越えてきた経験を買われて選出されていた。そんな彼女が割り振られたのは第二分隊。相棒は副団長のゴードンだ。
分隊長のジュリアン・リュシエルが率いるこの隊は、王都の有力貴族の子息ばかりで構成されていた。ジュリアン自身も国の中枢を担う名門貴族の子息である。教官とガイドも含めると総勢十六名にも及ぶ大所帯となった。
「おい、平民。お前たちの役割は我ら高貴なる未来の騎士たちの足元を支えることだ。栄誉ある仕事だと分を弁えて、精々荷物持ちの役目を全うしろ」
出発の直前、ジュリアンは金糸の刺繍が施された無駄に豪奢な登山服の襟を正しながら、見下すような視線をゴードンとアニーに投げつけた。アニーたちの纏う油の臭いが染み込んだ団服の外套を一瞥し、「貧乏くさい服だ」と鼻で笑いながら。
彼らは他の一団が険しい『氷牙ルート』や『天蓋ルート』を喘ぎながら登っているのを尻目に、最も緩やかな『羊の背ルート』を悠々と進んでいた。ルートを決めるクジなどあってないようなものだ。現に、ジュリアンの引いた当たりの白クジは先端が引きちぎられていた。
「ハッ! おい、傭兵のオッサン。ずいぶんと身体を鍛えているようだが、俺のスピードについてこられるか? その筋肉は飾りじゃないよな?」
隊の先頭を歩くエリックが挑発するように振り返る。彼は自慢の体力を誇示するように、やや先行気味に斜面を駆け上がっていった。
ゴードンは共用の荷物が詰まった巨大なザックに加え、ジュリアンたちの予備の私物まで背負わされていたが、一定のペースを崩さずに土を踏みしめている。
「……ねぇ、あなた大丈夫? さっき転んでたでしょう?」
最後尾近くでアニーの様子を気にかけて歩調を合わせてくれたのは、男のような装いをした女候補生のシュリーだった。一つ目の山を登っている最中、頂が見えたことに浮かれた候補生に突き飛ばされて、転倒したアニーは左足を挫いていたのだ。
どちらかといえば空気のような扱いを受けていた中で、気遣う声には純粋な親切心が滲んでいる。
「問題ない。貰っている報酬分の働きはする」
「そ、そう……。あなた、まだ子どもなのかと思ったけれども本当にしっかりしてるのね」
アニーが淡々と答えると、シュリーは感心したように息を吐いた。それからも和やかに彼女は話しかけてきたが、前方でマルクとブルーノがこちらを見ながら薄ら笑いでささやき合っているのを目にした瞬間、シュリーの表情は一変して凍りつく。
「……ったく、シュリーも普段からあれくらい愛想よくしてりゃあいいのにな。リアナを見習えってんだよ」
「昔はもう少し可愛げがあったんだがな。ま、女だてらに騎士を目指しているんだ。妙な方向に気張っているんだろうさ」
二人はわざと聞かせるような大声で、どこそこの隊の女はあばずれだの、下級生に胸の大きな女がいただのと下世話な話題に花を咲かせている。
「……ほんっと、最低。あんな奴らが将来の王国騎士だなんて、反吐が出る」
シュリーは拳をきつく握り締め、刺々しい殺気を男たちの背中に向けて吐き捨てた。
同じ分隊の仲間であるはずなのに、一致団結という言葉とは無縁の集団。
それでも方々からの忖度の結果、彼らは順調に行程を進めていた。
「……見事なものですね、皆様。予定より二時間も早い到着です」
山岳ガイドのロッソが山小屋を目前にして、おべっか混じりの笑みを浮かべてジュリアンに声をかける。
事実、彼らは最速で一日目の行程を終えてこの山小屋へと到着した。それも当然だ。自分たちの荷物の一部をゴードンや巨漢の生徒に背負わせ、難所には演習前に固定ロープを張らせていたのだから。
――この学院は血筋や身分に関係なく、実力ある者が等しく騎士を目指せる理想の場。
なんとも空虚な言葉だと、山間に沈む夕日を眺めながらアニーは思う。
燃えるような赤い落日は息をのむほど美しかったが、頬を撫でる風は、先ほどから妙に生暖かく湿り気を帯び始めている。
アニーは無言のまま左足の足首をさすり、明日超えるべき主峰アンバーの黒い影を見つめていた。
※人物紹介は、1話目の「騎士候補生アンバー山遭難事故 概要」内に移しました




