演習前
国を跨いで新しく拠点を移したばかりの傭兵団『山猫』。戦火の及ばないこの国ではまだ仕事にありつけておらず、団員たちは駐屯所内で暇を持て余していた。
使い古しの机の上には年季の入った短剣が並び、床には空いたばかりの酒の瓶が転がっている。
酒に酔った男たちの怒鳴り立てる声が響く室内で、十五歳になったばかりのアニーは淡々と自分の装備を点検していた。
戦場で拾われる形で入団してからそれなりの月日が経っている。他者を頑なに寄せ付けようとしないアニーの態度には古参の傭兵たちもすっかり慣れきっている様子で、かつてのように無闇に話しかけてくる者もいない。
「アニー。今日の昼飯はちゃんと食ったのか。お前は少し線が細すぎる」
……いや、例外はいた。岩のような体躯を誇るベテランの傭兵、ゴードンだ。
「……余計なお世話だ。動く分には問題ない」
不愛想に返すアニーにゴードンは気を悪くする風でもなく、フッと髭面の頬を緩めた。彼は副団長という立場であり、この傭兵団の要と言える存在なのだとアニーは理解している。その実力も折り紙付きで、密かに敬意を払っていたからこそあからさまに邪険に扱うこともしなかった。
「おい、お前ら! 景気のいい話を持ってきたぞ、集まりな!」
屯所の重い扉を蹴り開いて団長が大きな羊皮紙を掲げながら入ってきた。この国――カーマイン王国に拠点を移してからの栄えある初仕事だ。
「カーマインが誇る、騎士養成学院の『登頂演習』の補佐だ。王室直属の学院だからな、仕事をこなせば俺たちにとって箔になる。……まぁ学院のお偉いさん方は俺たちの足元を見て、ずいぶんと報酬を値切ってきやがったがな」
団長が苦笑交じりの愚痴をこぼすと、ゴードンが地図を覗き込みながら、わずかに眉をひそめた。
「山登りか。戦場ならともかく、登山なんてまともにやったことがないぞ」
「仕事内容は荷物持ちがメインだ、問題ないさ。あとはお坊ちゃまたちの子守とご機嫌取りくらいだろ」
傭兵団からは二十名ほどが派遣されることになったらしい。団長が一人ずつメンバーを指名する中で、磨き上げたナイフを光にかざすように傾けていたアニーの名が最後に呼ばれた。
「お前は山岳地帯を越えてこっちに来たんだろ? 登山もお手の物なんじゃないか?」
肯定を示すように短く頷く。確かにアニーは故郷を離れる際にいくつかの山を越えてきた。海沿い育ちの彼らよりは経験があると言えるかもしれない。
「ほう、それは頼もしいな。それなら俺の相棒はお前さんに任せるとしようか」
ゴードンはそう言ってアニーの肩を叩く。
「相手は貴族のお坊ちゃんたちだ。お行儀良くしろとまでは言わねぇが、揉めるような真似はするんじゃねぇぞ。あと、面倒事を押し付けられたら追加料金を要求しとけよ!」
そう嘯く団長につられるように団員たちがドッと笑う。
貴族なんて見たこともなければ碌な礼儀作法も学んでこなかった。とはいえ、傭兵なのだから仕事をこなせば文句を言われる筋合いもないだろう。
そう算段をつけたアニーは、愛用のナイフを鞘に納めた。
*
演習の数日前。アニーとゴードンは団長に連れられ、学院の上層部や引率の教官との顔合わせに臨んでいた。
豪奢な応接室の机を挟んで座ったのは、煌びやかな正装を身に纏った男。こちらは偉そうな態度で副学院長だと名乗った。そして隣に並んでいた軍服の男がコールソン。彼は騎士を退役したばかりで、最近この学院の教官に就任したのだという。
「三十名、と聞いていたのだが」
眉間に皺を寄せて資料を眺めたコールソンが傭兵の数を指摘すると、団長は肩を竦めてみせた。
「あんだけ値切ってくれたんだ。こっちからは二十名しか出せませんよ」
「今年度から分隊の構成を見直した結果だ。傭兵の人数を揃えたところで遊ばせることも多かったからな」
隣に座る副学院長の説明にコールソンは胡乱な目を向けたが、ひとつため息を吐くだけでそれ以上は追及しなかった。その代わりに、資料から外された視線がアニーに向けられる。
「……こんな幼い娘まで連れていくつもりなのか」
「こいつはナリはこんなんだが、既に実績も出している。……おい、アニー。フードは外しとけ」
不作法を咎められて不承不承フードを外す。――と、コールソンの皺の刻まれた目が微かに見開かれた。
子どもと侮られては堪らない。姿勢を正すと、コールソンもすぐに厳格な教官の顔に戻した。事務手続きが進められるなかで、副学院長が朗々と学院の理念を語り始める。
「知っての通り、この学院は血筋や身分に関係なく、実力ある者が等しく騎士を目指せる場だ。今回の演習では、登頂するための体力、仲間同士で協力する姿勢、いかなる状況でも冷静に判断する力を見るためのものとなる。その他にも傭兵の使い方も学んでもらうため、君たちの力を貸してほしい」
特に戦場ともなれば傭兵の力は付き物だ。適切な指示を飛ばせるか、統率を取るための指揮能力を備えているか。この演習ではそれらの能力を見定める意図もあるのだという。
「安全管理の観点から各隊には教師も同行する。基本的には分隊長の方針に口出しはしないが、何かあれば彼らと調整してほしい」
同行者の一人なのか、コールソンが無言で頷いた。
「それと、現地のガイドもそれぞれの隊に手配する。登頂ルートは当日割り振られるが、どのルートになるかは……クジで決める。運も実力というからな。身分に関わらず、機会は等しくあるべきということだ」
その言葉はひどく高潔な志のように語られたが、アニーの胸には全く響かなかった。理想を説くだけなら誰にでもできる。むしろ空虚さを飾り立てているだけのようにも思えて、その後に続く教育論は右から左に聞き流した。
――時折感じる視線も、同じようにして。




