総括
それから数時間後、アニーとコールソンの二人はようやくアンバー山の登山口へと辿り着いた。
そこにはすでに演習本部の天幕が張られており、救助隊の準備が進められている。慌ただしく人々が行きかう中で、こちらに気付いた様子の騎士が「おお!」と声をあげた。
「コールソン殿、ご無事でしたか。ちょうど今、先遣隊を出したところだったんです」
王国軍の者だろうか、鎧を纏った騎士が駆け寄ってくる。毛布を広げた彼はコールソンにそれを手渡すと、「捜索範囲を絞りますから、状況について確認させてください」と天幕の中へ促した。
疲労の蓄積された足取りでコールソンが騎士についていく。彼は天幕に入る前にアニーへと振り返った。
「……アニー。すまないが、お前からも話を聞くことになるだろう」
「理解している」
ただの事故じゃない。将来有望な貴族の子息たちで編成された分隊だったのだ。詳細な聞き取りがなされることだろう。犠牲が出た以上は同行したアニーの証言も必要とされるはずだ。
アニーも別の天幕へと案内される。無造作に置かれた簡易椅子に腰掛けると、そこには先客がいた。
「おせーよ……遅すぎて、もう全員死んだかと思ったぜ」
スープの入ったカップを手に持って悪態をついたのは、ヒックスだった。
衣服こそ汚れているものの衰弱した様子は一切ない。それは、テッドとリアナを見捨てて一目散に下山した彼の利己的な判断こそが、この山においての唯一の正解だったのだと示しているようだった。登山口で待機していた職員に救援を要請したのも彼のようだ。
そのヒックスのすぐ隣ではガイドのロッソが地面にへたり込み、両手で頭を抱えながらガタガタと震えていた。どうやら彼はガイドとしては最悪であったが山登りの心得だけはあったようだ。その装備も質素ながらも、登山に適したものだったのだろう。
「私のせいじゃない、あの裏ルートに行こうと決めたのはジュリアン様なのに……。なのに、こんなことになるなんて……。ああ、巨額の賠償金なんて払えるわけがない、もうおしまいだぁ……」
ロッソは周囲の耳も気にせずに、ただみっともなく嘆き続けている。この様子だと最終的にはジュリアンすらも見捨てて真っ先に逃げ出してきたのだろう。
「皮肉なもんだよな。他の分隊は小屋に留まる選択をした連中ばかりだそうだ。もうじき、下りてくることだろうよ」
「それは……あの天候にも惑わされなかったということか」
少なくとも昨日の朝は快晴だった。だから第二分隊の候補生たちも何の懸念も抱かずに下山を始めたのだ。
他の分隊と何が違ったというのか。ただ純粋にその理由が知りたくて尋ねると、ヒックスは自嘲するように笑った。
「俺が他の分隊だったらこう言うだろうよ。『どうせ急いだところで第二分隊の勝利が確約されているんだ。だったらのんびり下りていこうぜ』……てな。それにあの雨だ。急ぐ理由もねぇんだから、どっかで大人しくやり過ごした方がいいに決まってんだろ」
なるほど、もっともだ。最優秀賞の体裁を整えるために第二分隊は何が何でも一番に麓に下りる必要があったが、他の分隊にはそれがなかった。焦る理由がなかったのだ。さぞかし冷静な判断が下せたことだろう。
忖度された結果、自滅を招いた。なんとも虚しい話だった。
「反対側のルートでは熊を見たって話も聞いた。だから余計に慎重に動いたんだろうな。なんとも優秀なこった。騎士団の未来は明るいな。……それで、他の連中はどうなった。お前のところの傭兵は?」
「ゴードンなら崖から落ちた。恐らくは生きていまい。第二分隊も、おそらくはほぼ全滅だ」
状況を鑑みて、アニーは事務的な声で答える。
ヒックスは一瞬だけ眉をぴくりと動かしたが、すぐに「そうか」とだけ呟いて、それ以上は何も聞いてこなかった。
アニーが外の空気を吸いに天幕から出ると、ちょうど下山に至った他分隊の候補生たちの姿が目に映った。
続々と下りてくる彼らはまだ惨事を知らないのだろう。もしかしたら、道中の遺体は先遣隊によって速やかに収容されたのかもしれない。真摯に演習に取り組んだ彼らはみな互いの健闘を称え合い、誇らしげに胸を張っている。怪我をしている者もいるようだ。それを支える仲間の姿も見える。
貴族なんてどうしようもない連中ばかりだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
ただ、今はそれを上手に飲み込むことができなくて、アニーはアンバー山の頂を仰ぐ。
山は何事もなかったように、ただそこに鎮座していた。
*
その後、麓に到着した二人の詳細な目撃証言を起点として、軍部による大規模な捜索と検証が開始された。
そして晴れ渡ったアンバー山の各所で、候補生たちの凄惨な末路が次々と回収されていった。
コールソンが「岩陰に避難させてきた」と報告していた最初の脱落地点からは、衣服を濡らしたまま息絶えたマルクの遺体が発見された。彼にかけられたはずの毛布は近くの雑木に引っ掛かっているのが発見された。そのたった一枚で生死を分けたとは思えなかったが、強風で手放してしまったのだろうと結論付けられた。
あの倒木の手前では、アニーが貸した一枚の簡易毛布に包まれたテッドと、彼を抱きしめながら冷たくなったリアナの遺体が発見された。
愛に殉じた結果といえば聞こえは良かったが、微笑すら浮かべていたリアナとは対照的に、苦悶の表情のまま死んでいたテッドが何を思っていたのかは分からない。
ただ――。
「リアナも馬鹿な女だよな。……好きな女を道連れにして喜ぶ男なんていねぇのに」
そんなことをヒックスは皮肉げに呟いていた。
さらに中腹の奥深くで見つかった熊の巣穴からは、目を疑うような惨状が報告された。
外には衣服をすべて脱ぎ捨てて凍死したエリック。それだけでも不可解な状況であるとされたが、穴のなかには、ブルーノ、サム、ルゥたちの凄惨な死体の山が築かれていた。
その血の海の奥で唯一、シュリーだけが生き残っていた。
彼女は返り血にまみれた短剣を両手で固く握りしめ、極度のパニック状態で救助隊にも見境なく切りつけてきたという。
そして、沢に至る道中ではドリスが。アニーたちが意図的に何も報告しなかったあの沢は捜索が遅れたらしく、後に獣に全身を食い千切られたジュリアンの遺体が発見された。
ゴードンだけは、最後まで見つからなかった。崖下の捜索を強く要請したが、相手がただの傭兵だったこともあってか、熊による二次災害を防ぐことを理由に捜索は早々に打ち切られた。書類上は『行方不明』として呆気なく処理されたのだ。
誰が、どこで、どのように死んでいたか。
軍法会議の提出書類には、それらの事実が淡々と綴られていた。
演習中の遭難事故という未曾有の不祥事に対し、責任を追及する遺族の声は強かったらしい。
とはいえ、責任の所在は果たしてどこにあると言えるのか?
アンバー山の気候を甘く見て、十分な検証もないままに日程の変更を決めた学院か。
十分な傭兵の派遣を渋った傭兵団か。
危険なルートを提示したガイドのロッソか。
それとも、稚拙な指揮で第二分隊をほぼ全滅に追いやったジュリアンか。
国中の関心を集めたその事故は、ある意味予想通りの形で落着することとなった。
――第二分隊の責任者であり、学院でも教官という立場にあったコールソン。
すべての責任を負わされた彼は、一連の不手際を責め立てられ、身分剥奪の上での終身刑の判決が下された。
「彼らを正しく導けなかったのは、すべて私の不徳の致すところ。……私は何も守れなかったのだ。どのような罰も、甘んじて受け入れる」
上層部による尻尾切りだと糾弾する声も当然あったが、コールソンがすべての罪を背負うことで、世間の非難の声も徐々に沈静化することとなった。
どちらにせよアニーには関係のない話であり、聴取も終わった今、もはやこの事件には何の関わりもない。
数週間にわたり拘束されていた彼女もようやく解放されて、傭兵団の元へ帰ることができた。




