よっかめ、あさ
すべてを語り終えたコールソンは、「私のせいだ……」と最後に呟いた後、そのまま口を閉ざした。
死んだかと思ったが、胸から伝わる脈拍は一定の間隔を保っている。気を失ったのだろう。
つまり、この一連の遭難事故はコールソンによる復讐劇だったということなのか。
そんな考えもよぎったが、アニーはすぐに打ち消した。不確定要素が多すぎる。それに、コールソンは学院に入ったは良いものの、キャシーの事件には緘口令が敷かれていたと言った。今日のこの日までキャシーを襲った輩には辿り着いていなかったのだろう。見当はつけていたかもしれないが。
風の音が、弱まってきた気がする。
うとうとと急激な眠気が襲ってくる。
『寝られるときは寝ておけ、アニー。この世界は極限の状況でも寝られる奴が生き延びられるんだ』
そんなことを、いつか彼が言っていた気がする。
「……ゴードン……」
生きているかもしれないという希望はとうに捨てている。
だからこそ、もしも彼を殺した連中が目の前に現れたら自分だってどうなるか分からない。
風の音は、いつの間にか止んでいた。
*
四日目の朝、アンバー山を包んでいた濃霧と激しい雨は、嘘のように綺麗さっぱりと消え去っていた。
岩の隙間から這い出たアニーの目に飛び込んできたのは、どこまでも青く晴れ渡った空と、穏やかな朝の光に照らされた美しい山肌。なんて皮肉な光景なのだろう。昨日までの嵐が幻であったかと思わせるほどの静けさが広がっている。
「先生、生きているか」
「……ああ。死に損なった」
「私の目的は下山することだ。先生はどうする」
――復讐を、果たすつもりか。
そう目で確認すると、彼は地面に目線を落として、緩やかに首を振った。
「私の目的は、教官として見届けることだ。救助を求めるためにもまずは下山しよう。生存者がいるかもしれない」
アニーとコールソンは残された饅頭を分け合って口にし、最低限の気力を回復させるとすぐに下山を開始した。
道中、ジュリアンたちの乱れた足跡を辿るように斜面を下りていく途中で、アニーは大きな岩が転がる中から一つの塊を見つけた。
「ドリス、か……」
彼は大きな岩に覆いかぶさるようにして息絶えていた。その手の中には、傷だらけの懐中時計が固く握りしめられている。すっかり冷たくなった身体はゴードンの服を纏っていた。
どこかで休んでいればまた違った結果が待っていたかもしれないのに、彼はどうしても刻限までに王都に帰りたかったのだろう。コールソンは位置だけ確認して亡骸はそのままにした。
やがて傾斜が緩やかになり、麓へと続く沢に差し掛かったとき、大粒の砂利の中で這いつくばる人影が見えた。
裏地に上質な獣皮が仕込まれた見覚えのある外套。その切れ端を身に纏い、ガタガタと全身を激しく震わせている男は――ジュリアンだ。足を滑らせて沢にでも落ちたのか、彼は全身を濡らしていた。
アニーは無言で歩み寄ると、ジュリアンの横腹を容赦なく蹴り上げる。地面に顔を伏せていたジュリアンは、カハッ、と浅い呼吸を漏らしながら、濁った目でアニーを見上げてきた。
辛うじて生きてはいるものの、その息は荒く、浅い。
「平民ごときが……この私を、蹴るとは何事だ……。命令だ。早く私を背負って下山しろ……。リュシエル家から、いくらでも褒賞を出してやる……」
思ったよりも元気そうだ。ゴードンから奪った外套のおかげだろうと思うと、なんとも形容しがたいどろりとした感情がアニーの胸の奥に湧きあがる。
「ゴードンを殺したのは、お前か」
アニーの問いかけにジュリアンは焦点の合わない目を彷徨わせ、嫌そうに顔を顰めて言い放った。
「あれは事故だ。あの平民が、勝手に崖から落ちたのだ……」
「そうか。勝手に落ちたゴードンが、お前のために服を残してくれたのか」
「……」
乾いた笑いが込み上げる。傭兵を殺したことへの罪悪感など、彼らの中には最初から存在していなかったのだ。
そのジュリアンの頭上にまた別の影が落ちた。フードを深く被ったコールソンだ。
砂利を踏みしめて歩み寄ってきた彼を目にしたジュリアンは、救いを求めるように震える手を伸ばした。
「先生……! 助けてくれ、この傭兵の小娘が、不敬な真似を……。いや、そんなことよりも早く、私を病院へ……」
「それを決めるのは、話を聞かせてもらってからにしようか。……ジュリアン。お前は、キャシーという下級生の娘を知っているか」
核心を突く質問であった。
ジュリアンは苛立たしげに顔を歪め、地面を殴りつけながら怒鳴りちらす。
「誰だそれは! そんなことはどうでもいいから早く私を助けろ……! 私が誰だか分かっていないのか!」
その言葉を聞いた瞬間、コールソンの瞳から僅かに残っていた光が完全に消え失せた。怒るでもなく、悲しむでもない。ただ目の前で這いつくばる男から完全に興味を失ったかのような横顔だった。
そしてそれは、アニーも同様だった。
コールソンは何も言わずにゆっくりとアニーの方へ振り返ると、乾いた声で告げる。
「アニー。ここには、誰もいないな」
「……ああ。生存者はここにはいないようだ」
「よし、行くぞ」
二人は身を翻し、再び麓へと向かって歩き始めた。
「待て……! 何故だ、私を置いていくな! 金ならいくらでもくれてやるから……!」
背後から無様な叫び声が響く。しかし、アニーもコールソンも振り返ることはなかった。
晴れ渡った美しい青空の下、ただ一人の候補生の喚き声だけが遠ざかり、それもやがて聞こえなくなった。




