キャシー
――それは激しい雨の降る卒業式典の夜のことだった。
キャシーの母親は、かつて王都を沸かせた東方の美しい踊り子だった。王国騎士だったコールソンとは深く愛し合っていたが、身分差という絶対的な壁によって二人の仲は引き裂かれた。
それでもコールソンは密かに彼女たちを援助し続けてくれた。娘であるキャシーにも惜しみない愛情を注いでくれた。
キャシーもそんな父を慕い、父のような騎士になるのだと幼い頃からずっと夢見ていた。それに、一つの目論見もあったのだ。同じ騎士という立場でなら、表立って娘だとは名乗れずとも父のそばに堂々といられるのではないか――と。
だから血の滲むような努力を重ね、平民の身分でありながら見事に名門の騎士養成学院への入学の権利をその手にしたのである。
「この学院は血筋や身分に関係なく、実力ある者が等しく騎士を目指せる理想の場」
キャシーは学院が掲げるその理念を誰よりも純粋に信じ切っていた。実際に同級生には平民出身の優秀な生徒も数多くおり、彼らと共に競い合って成長していく日々に彼女は確かな未来と希望を抱いていた。
毎日が充実していた。
こんなにも素晴らしい世界があるのだと。
旧態依然としている上級生たちは身分を振りかざすことも多かったが、それも彼らがいなくなるまでの辛抱だ、と。
学院で行われる卒業式典の夜。キャシーは仕事上がりの父親と、久しぶりに二人だけで食事をする約束をしていた。
とはいえ、キャシーの存在がコールソンの生家の耳に入れば、またどんな横槍を入れられるか分かったものではない。この関係性も黙認されているだけかもしれず、それならなおさら表立って会うわけにはいかない。
だから二人は中心街に人が集中する日をあえて選び、キャシーは下町の寂れた食堂そこへ向かうために薄暗い裏路地を歩いていた。
――それが悲劇を招くことになるなんて、思いもしないで。
雨が降り出してきた。少しでも早く着くように選んだ裏道を小走りに駆けていくと、向かいから談笑しながら歩いてくる若い男たちの姿が見えて、キャシーは思わず足を止めた。その男たちの顔に見覚えがあったからだ。
ジュリアン、ブルーノ、マルク。学年は違えど彼らのことはよく知っていた。遠目に見て、なんて煌びやかな人たちなのだろうと嘆息したこともある。
キャシーは知る由もなかったが、彼らは先輩たちの卒業式典の帰りに浴びるように酒を飲み、酷く泥酔していた。それでも学院のすぐ近くで騒ぐのは不味いとなけなしの理性が働いて、わざわざ下町の酒場通りまで足を伸ばしていたのだ。
「……おい、見ろよ。あんな所に立ちんぼがいるぞ」
最初に声をかけてきたのは、赤ら顔で目をぎらつかせたマルクだった。下劣な笑みを浮かべ、キャシーの行く手を塞ぐようにして立ちはだかる。
「うん……? その黒髪は東方育ちか? いくらだ、今夜一晩買ってやるよ」
ブルーノが下品にからかい、ジュリアンが酒臭い息を吐きながら笑う。あまりにも理不尽な侮辱に、キャシーは恐怖するよりも先に激しい怒りが胸に込み上げた。
彼女は学院の理念を信じていた。騎士とは弱きを助け、礼節を弁え、高潔であるべき存在だと信じ切っていたのだ。
だからこそ上級生の横柄な態度に日頃から不満を抱えていた彼女は、真っ向から反論してしまった。
「なんて失礼な人たちなの……! こんな人たちが同じ学院の未来の騎士だなんて信じられない。どうせ家柄だけで入れたような人たちなんでしょうけれどね!」
「貴様……! 売女の分際でこの私に向かって何という口を利くか!」
ジュリアンが顔を真っ赤にして怒り、キャシーの頬を力任せに殴りつけた。激しい衝撃と共に水たまりを作る地面へと転倒し、キャシーの頭の中は一瞬で恐怖と混乱に染まる。
助けを求めようと辺りを見渡しても元々ひと気の少ない場所だ。誰の姿もない。
「思い出した。こいつは不正入学したって噂の女じゃないか」
「ああ……なるほど。こんなところにいたくらいだ。親子で身体を売って学費を払ってるっていう話もあながち嘘じゃなかったということだ」
「騎士の風上にも置けない女だな。自分の立場というものを思い出させてやろうじゃないか」
逃げようとするキャシーの黒髪をマルクが強引に掴み、ブルーノがその衣服を容赦なく引き裂いた。
彼女の悲鳴は激しい雨の音にかき消され、誰の耳にも届かない。暗い裏路地の泥水の中で、キャシーの志と肢体は徹底的に蹂躙された。
欲望を満たしたジュリアンたちは、泣き叫ぶ気力すら失ったキャシーをゴミのように路地裏に捨て置いて、笑いながら去っていった。激しい暴行の最中に誰かと目が合った気もしたけれど、その気配もすぐに消えてしまった。
冷たい雨は容赦なく激しさを増していく。かろうじて残された衣服は完全に冷水を吸い込み、路地の隙間を吹き抜ける冷気が、むき出しになったキャシーの肌から体温を奪っていった。
指先がかじかみ、四肢が痙攣するように震える。耳鳴りがするなかで、じわじわと意識が遠のいていく。
視界が完全に白く濁り、生命の灯が消えかけようとしたその最期。
裏路地の向こうから、必死に自分の名前を叫びながら走ってくる、最愛の父親の姿が微かに映った。
「……おとうさん……」
キャシーは満足そうにか細く呟くと、冷たい雨に打たれながら静かに息絶えた。
捜査はすぐに打ち切られた。
母親も後を追うようにして死んだ。
そして彼女の死は、最悪な形に捻じ曲げられて学院の生徒たちに伝えられた。
不良生徒が身を売り、酔客と金銭のことで揉めた挙句に殺されたのだと。
「ああ、キャシー……すまない……私が、私の力が及ばなかったばかりに……」
嘆きの声は誰にも届かない。
その後、コールソンは怪我を理由に早期退役し、伝手をたどって学院の教官服に袖を通した。
彼の深く窪んだ瞳が何を映すようになったのかなんて、誰も知る由もないままに。




