第98話 コンシーラー
前回の続きです。
咲也には、まずどうにかしなければならない問題が残っていました。
ロッカールームに駆け込む。
幸い誰もいない。
そのままロッカーを開けて、鏡に首筋を映す。
「……まいったな」
左側。
襟足に近いところが、うっすら赤い。
派手ではない。
だが、さっきルシアンと黒崎は気付いた。
咲也はため息を吐いた。
「蒼井くん……」
気づかなかった自分も悪かったが、つけた相手に文句を言いたくもなる。
しかし、今更言っても仕方ない。
気を取り直して、対策に集中する。
とりあえず、ロッカーの中から小さな救急セットを取り出す。
絆創膏。
鏡の前で当ててみる。
微妙だ。
場所が悪い。
半分はみ出す。
剥がす。
今度はテーピングテープを取り出す。
貼ってみる。
「いや、余計目立つな……」
再び剥がした。
湿布なら全部隠れるが、どうしても独特の匂いがする。
どうしたものか。
考え込んでいた、その時だった。
「お困りですか?」
後ろから声がした。
思わず肩が跳ねる。
振り返る。
いつの間にいたのか。
そこに立っていたのは、作業着姿の男性だった。
五十代くらいだろうか。
見覚えがない。
「すみません。驚かせましたね」
柔らかな笑顔。
「施設管理課の中村と申します。
こんな歳ですが、この間入ったばかりの新人です」
「ああ、初めまして。ベルの高宮です」
咲也は軽く頭を下げた。
男は咲也の首元を見る。
そして手にしたテーピングテープを見た。
「ああ」
何か察したように頷く。
「隠したいんですね」
咲也は固まった。
「いえ、その……」
言葉に詰まる。
男は苦笑した。
「詮索するつもりはありませんよ」
そう言いながらポケットを探る。
小さなペンのようなものを取り出した。
「隠すなら、こちらの方が自然かもしれません」
「それは?」
「コンシーラーです」
咲也は思わず瞬きをした。
「コンシーラー?」
よく知らないが、確か化粧品の名前ではなかったか?
作業着姿の男から出てくる単語ではない。
男は笑った。
「子どもがね」
ケースをひらひら振る。
「シミを隠せって押し付けてきたんですよ。みっともないからって」
「はあ」
「失礼な話でしょう?」
言葉の内容とは裏腹に楽しそうだ。
「結局使わないまま持ち歩いてたんですが、お役に立ちそうですね」
咲也は少し迷った。
しかし背に腹は代えられない。
このままでは首筋が気になって仕事ができない。
「お願いできますか」
「もちろん」
中村はコンシーラーのキャップを外した。
「そのまま塗るんですか?」
咲也が聞く。
「ええ」
中村は頷く。
「さっと直接塗れるのが、ペンシル型のいいところですからね」
コンシーラーを軽く持ち上げる。
「嵩張りませんし、持ち運びにも便利です」
なんだか化粧品の販売員のようだと思った。
中村はやけに手慣れた様子で、
「失礼しますね」
と声をかけ、咲也の首筋へ軽く触れる。
赤みの上をなぞる。
まるで鉛筆で線を引くような自然さで。
「後は指で軽く叩いて馴染ませます」
ぽんぽんと境目をぼかす。
その間数秒。
「こんなもんですかね」
促されて、鏡を見る。
咲也は思わず目を瞬いた。
さっきまで気になっていた赤みがほとんど分からない。
「すごいな……」
思わず呟く。
中村はキャップを閉めた。
「元々そんなに濃くありませんでしたしね」
「とても助かりました。ありがとうございます」
これで安心して仕事ができる。
「いえいえ」
男は笑った。
「若いっていいですねぇ」
咲也の耳が少し赤くなる。
「違います」
反射的に否定した。
何が違うのかもよく考えないまま。
男は何も言わない。
ただ優しく笑うだけだった。
それが余計に気まずい。
「しばらく必要でしょう?」
男はコンシーラーを差し出した。
「持っていってください」
「いや、そんな」
「今まで使わず持ってたものですから。良かったらぜひ」
さらりと言う。
咲也は苦笑した。
「……では、ありがたく。いただきます」
「どうぞ」
男は満足そうに頷く。
そして立ち去ろうとして。
ふと足を止めた。
「ああ、そうだ」
振り返る。
「屋上庭園の薔薇、見ましたか?」
「え?」
思わぬ話題だった。
「まだですが」
「綺麗に咲いてますよ」
「田中先輩の手塩にかけた子ども達なので、見に行ってあげてください」
男は目を細めた。
「ぜひ。
そのお相手の方と」
そう言って軽く会釈する。
思わず、顔が熱くなる。
何も言えないまま。
扉が閉まる。
静かになったロッカー。
咲也は鏡を見る。
綺麗に隠れている。
助かった。
そう思いながら。
手の中のコンシーラーへ視線を落とした。
「中村さん、か」
不思議な人だった。
どこかで会ったことがあるような。
そんな気がした。
だが結局、思い出せなかった。
隠せました。
これで安心して仕事に戻れます。
それにしても中村さん、やけに手慣れてますね。




