第94話 視線の先
いつもお読みいただきありがとうございます。
少し穏やかな時間のお話です。
ホテルへ向かう道中。
並んで歩く。
他愛のない会話。
ホテルに着いたのはあっという間だった。
職員用入口で、
湊が立ち止まる。
「では」
咲也が軽く手を上げる。
「じゃあ、また後で」
「はい」
短く言葉を交わす。
咲也は地下のロッカーへ。
湊は一人になってから小さく息を吐く。
まだ勤務までは時間がある。
二階のバーへ顔を出すことも考えたが、
結局ラウンジへ足を向けた。
空いている席へ腰を下ろした。
ロビー全体が見渡せる位置だった。
チェックアウトの時間も過ぎ、ロビーは一度落ち着きを取り戻していた。
「ブレンドをお願いします」
スタッフへ声をかける。
しばらくして運ばれてきたコーヒーへ口をつけた。
ふと視線を上げる。
ベルデスク。
いつの間にか制服に着替えた咲也が立っていた。
宿泊客へ声をかける。
荷物を受け取る。
スタッフと言葉を交わす。
動きに無駄がない。
周囲へ目を配りながら、
目の前の宿泊客にもきちんと意識を向けている。
家で見る顔とも違う。
バーで見る顔とも違う。
ベルリーダーとして働く高宮咲也。
その姿を見ていると、不思議と誇らしい気持ちになる。
湊は小さく笑った。
コーヒーへ口をつける。
一度はカップへ視線を落としたものの、
数分後には、またロビーへ目が向いていた。
ーー見てばかりだな。
湊は苦笑した。
その時だった。
エレベーターが開く。
一人の白人男性が姿を現した。
シャツにスラックスという、ラフな格好だった。
サングラスとキャップで顔はよく見えない。
それでも整った顔立ちであることは分かった。
周囲を見渡す。
その視線が、ベルデスクの咲也で止まった。
次の瞬間。
男はまっすぐに歩き出した。
湊はわずに眉をひそめる。
知人だろうか。
だが。
その距離の詰め方に違和感があった。
カップを置く。
そして静かに席を立ち、ラウンジを出た。
穏やかな時間は長く続かないようです。
次回もよろしくお願いします。




