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第89話 傍観者

ルシアン来日、その直後のお話です。

当事者ではなく、たまたま居合わせた二人から見たロビーの様子をお楽しみください。




休憩を終えた司と佐久がロビーへ戻ってきた。


二人の足が止まる。


少し離れた場所。


宿泊客の白人男性が、咲也の手を取ったところだった。


傅くように身を屈め、


そして。


手の甲へ口付ける。


「……なんだ、あれ」


司が思わず呟く。


佐久も目を瞬いた。


「外国の挨拶ってすごいですね。初めて見ました」


「いや」

司はげんなりとした顔で

「あれは違うだろ」


「そうですか?」


「高宮さん、嫌がってるじゃん。手離したそうだし」


咲也は嫌そうに体を引いているが、男はその手をがっちり掴んで離さない。


普段、そういう感情を態度に出さない咲也にしては珍しい。


まあ、状況が状況だけに無理もないが。


連れの男が声をかけてその手がようやく離される。


咲也は目に見えて安堵した。


「なんか、変な人に好かれちまったんじゃないか」


なんだか心配になってきた。


佐久は少し考えてから頷く。


「そうですね」


「高宮先輩、無自覚のタラシですから」


司が吹き出した。

「タラシってお前……」


「違いますか?」


「うーん。まあ、間違ってないな」

司が苦笑する。無自覚に人タラシであることは否めない。


「罪だな」


「罪ですね」


二人は黙って、その様子を見守る。


ちょうど黒崎支配人がロビーへ駆け込んできたところだった。


白人男性は、何やら支配人と肩を組んで親しげに話しかけている。

しかし、支配人も困ったように笑っている。


やがて佐久が、小さく呟いた。


「……あの男性ですけど」


「ああ?」


「ルシアン・ヴェルナーです。シアトル・ノクターンズのオーナーですよ。事前に顔は確認してました」


「へえ」


司は改めて男を見る。


なるほど。


彫像のような美しく整った顔立ち。

一度見たら忘れられない男だ。


「でも、来日は来月じゃなかったっけ」


業務連絡では、そう聞いていた。


「予定が変わったみたいですね」


司は黙る。


視線をロビーへ戻した。


咲也がルシアン達をエレベーターへ案内しているところだった。


改めてルシアンを見る。

キャップに黒いジャケットというラフな格好。

荷物はキャリーケース一つのみ。


それほどのVIPにしては、随分と身軽だった。


思い立って、そのまま飛んできたような印象だった。


当然、

周囲は全く把握していなかったのだろう。警備さえいないのがその証拠だ。


司は小さく息を吐いた。


「なるほどな」


苦笑する。


「ちなみに、この来日、司でも把握してたんだろ?」


「はい」


「いつだ?」


「5時間前ですね。ネットワークが拾いました」


「そっか。その情報が蒼井に伝わってたら警備も空港で迎えることができただろうに」


「ですが、司はもう蒼井ではないです。今更関わる気もないんでしょう。

奥様が伝えなかったなら、そういうことです」


「湊さんがバーで働いてるって情報は漏らしたくせにな」


「まあ、それは奥様の趣味でしょう」


「いい趣味してるよな。本当に」

苦虫を噛み潰した顔になる。


そのまま、司はロビーの様子を眺めながら、ふっと笑う。


「まあ、お手並み拝見だな」


「表の連中の」


佐久も同じ方向を見つめる。


「司先輩はどうします?」


「俺?」


少し考えて

司は力強く頷いた。


「全力で逃げる」


佐久は軽く首を傾げた。


「逃げ切れるといいですね」


「……なんだよそれ。可愛くないな、お前」


司が口をとがらせる。


ちょうど咲也達がエレベーターに乗り込むところだった。


静かにその扉が閉まる。


不貞腐れる司の横で、佐久はその様子を静かに見つめていた。

 

司と佐久は、基本的に見ているだけ……のはずです。

司は「全力で逃げる」と宣言しましたが、その決意が最後まで通るのかどうか。少しずつ動き始めたそれぞれの立場も含めて、今後も見守っていただけたら嬉しいです。

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