第85話 前触れ
少しだけ、次の話への準備回です。
打ち合わせが終わり、資料が片付けられていく。
咲也も席を立とうとした時だった。
「高宮さん」
和葉が声をかける。
「たか……蒼井さん」
「ふふ、和葉でいいですよ」
戸惑いが伝わったのか、和葉がくすりと笑う。
「……和葉さん。お久しぶりです」
咲也はお辞儀をした。
「驚かれましたか」
「ええ。正直に言うと」
和葉が小さく笑う。
「そうですよね」
少し迷ってから、咲也は口を開いた。
「合気道道場の跡継ぎと伺っていたので、警備のお仕事もされているとは思わなくて。」
和葉は一瞬だけ目を丸くした。
「それは――」
言いかけて。
少しだけ楽しそうに笑う。
「兄に聞いてみてください」
「蒼井くんに?」
「ええ」
和葉は人差し指を唇に当てた。
「ちょっとだけ、特殊な家なんですよ」
咲也が首を傾げる。
その時だった。
「和葉」
橘が呼ぶ。
「はい」
和葉は振り返った。
そして改めて咲也へ向き直る。
「ではまた」
和葉はぺこりと頭を下げ、
橘の元へ向かう。
二人はそのまま応接室を後にした。
ドアが静かに閉まる。
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「では私も失礼します」
茅田が立ち上がる。
「忙しくなりそうですね」
柔らかく微笑みながら言う。
「ええ」
咲也も苦笑した。
「そうですね」
茅田は会釈をして部屋を出て行く。
応接室には咲也と黒崎支配人だけが残った。
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「ごめんね、高宮さん」
不意に声がかかる。
振り返ると、黒崎支配人が申し訳なさそうに眉を下げていた。
「ルシアン」
名前を口にして、黒崎支配人は苦笑した。
「苦手でしょ」
咲也もつられて苦笑する。
「まあ……少し」
「悪いね」
支配人は頭を掻く。
「担当につけちゃって」
「いえ」
咲也は首を横に振った。
「仕事ですから」
責任者が対応するのは当然だ。
「私が支配人でも同じようにしますよ」
「ありがとう」
黒崎支配人は苦笑した。
それから小さく肩を竦める。
「昔から自由奔放でね」
ため息混じりの声。
「綾乃さんも、ルシアンのことになると厳しくて……」
どこか遠い目をしている。
「二人には、もう少し仲良くしてほしいんだけど」
「難しそうですね」
咲也が言うと、
支配人は声を出して笑った。
「だよね」
そして少しだけ真面目な顔になる。
「まあ、大丈夫かなとは思うけど」
「彼もいるし」
「彼?」
「そのうち分かるよ」
支配人は意味ありげに笑った。
「何かあったら遠慮なく声かけて」
「分かりました」
咲也は頷いた。
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応接室を出る。
静かな廊下を歩きながら、
ふと和葉の言葉を思い出した。
――ちょっとだけ、特殊な家なんですよ。
蒼井家。
合気道道場。
警備会社。
そしてルシアン・ヴェルナー。
気になることばかり増えていく。
咲也は小さく息を吐いた。
とりあえず今は仕事だ。
そう考えながら、再びロビーへ向かった。
咲也の知らない蒼井家の話は、もう少し先で。




