第79話 ちゃんと食べなさい
いつも世話を焼いている人が世話を焼かれるお話です。
社員食堂。
昼時。
食券機の前には列ができていた。
それだけなら珍しくない。
問題は別だった。
返却口。
食器が山のように積み上がっている。
カウンターの向こうでは、
陽子が慌ただしく動き回っていた。
「すみませーん!」
「今作ってるから待ってねぇ!」
額に汗を浮かべながら、
次々と注文を捌いている。
咲也は列の最後尾に並んだ。
その時だった。
返却口へ新しいトレーが置かれる。
ガタン。
また一つ。
ガタン。
食器の山がさらに高くなる。
思わず眉をひそめた。
「陽子さん」
「あら、咲也ちゃん」
陽子が振り返る。
「大丈夫ですか」
「大丈夫よぉ!」
返事とは裏腹に
まったく大丈夫そうには見えない。
「パートさんが急にお休みになってねぇ」
「今日は一人なの」
そう言いながらも、
手は止まらない。
咲也は返却口を見た。
食器の山。
洗浄機も追いついていない。
「食べ終わったら手伝いますよ」
陽子が目を丸くした。
「えっ?」
「でも休憩でしょ?」
「洗い物とか。少しくらいなら」
陽子は少し迷い、
それから苦笑する。
「……助かるわぁ」
「じゃあ後でお願い」
「分かりました」
そう答えた。
その時。
返却口へまたトレーが置かれる。
ガタン。
思わずそちらへ目が向いた。
食券機の列はまだ長い。
陽子は一人。
咲也は小さく息を吐いた。
そして。
列から離れた。
カウンターから、忙しく動き回る陽子に声をかける。
「陽子さん」
「なぁに?」
「洗い場、入ってもいいですか」
陽子が固まる。
「えっ」
「今から?」
「ええ」
「まだ食べてないでしょ?」
咲也は返却口を見る。
「食券機も混んでますし、今は手伝った方が効率がいいので。」
陽子は数秒黙った。
それから諦めたように笑う。
「ごめんね。
じゃあ、お願いしちゃうわね」
陽子が簡単に洗い場の使い方を説明する。
「できそう?」
「多分、問題ないと思います。昔やったことがありますから」
「そう。無理しないでね」
咲也は黙々と作業を始める。
洗浄機から上がったトレイを取り出し、ラックへ並べていく。
まだほんのりと湯気をまとったトレイが、整然と収まっていく。
しばらくして。
「先輩」
聞き慣れた声。
振り返る。
司だった。
カウンター越しに、定食の載ったトレーを持っている。
「何してるんですか」
「見れば分かるだろ」
「いや。そうじゃなくて」
少し考えて
「ベルの仕事はどうしたんですか」
「休憩中だ」
「だからってなんで食堂に入ってるんですか?」
「陽子さん一人で大変そうだったからな」
司は何かを言いかけて、ふうと息を吐いた。
「先輩、本当に世話焼きですよね」
「そうか?」
「そうですよ」
その後ろから佐久も顔を出す。
「高宮先輩、エプロン似合いますね」
食堂のエプロンと三角巾を借りている。
なんと答えたものか悩み
「……そりゃどうも」
とだけ答えた。
佐久の顔を見る。
「ちゃんと食べてるか?佐久くん」
「食べてますよ」
そこへ陽子が現れる。
「足りてないわぁ!」
「佐久くん細いんだから!
もっと食べて」
佐久のトレイに
小鉢が一つ増えた。
「えっ」
驚く佐久に、咲也は頷いた。
「陽子さんの言うとおりだ。しっかり食べなさい」
「はい……」
うなだれるように頷く佐久。
その様子を見て
司が吹き出す。
「増えた」
「何がだ」
「陽子さんが二人に」
「なんでだよ」
どうにも納得いかなかった。
⸻
ようやく食堂のピークが終わった。
返却口の山もなくなっている。
陽子が大きく息を吐いた。
「助かったわぁ」
「それは良かったです」
時計を見る。
休憩時間も終わりだ。
「じゃあ俺はこれで」
「ありがとうねぇ」
「今度何かお礼するわねぇ」
軽く手を上げて、
咲也は食堂を後にした。
数分後。
食器を片付けていた陽子が、
ふと首を傾げた。
「あら?」
しばし考えるように固まり
陽子は目を見開いた。
「ちょっと!
あの子、ご飯食べてないわ!」
咲也は廊下の自販機でコーヒーを買った。
一口飲んで、
そういえば昼を食べていないことを思い出した。
ーーまあいいか。
満足感のせいか、空腹も感じない。
ーーよし、そろそろ行くか
気持ちを切り替えるように顔を上げる。
飲み干した缶をゴミ箱に入れ、地下から地上へと向かった。
⸻
午後。
ホテルロビー。
咲也がベルデスクで業務をしていると、
「高宮さん。お疲れ様」
「黒崎支配人」
「これ、陽子さんから」
何気ない仕草でレジ袋を差し出される。
おじぎをして受け取る。
中には、透明なプラケースに入った大きなおにぎり二つと、唐揚げ、卵焼きが入っていた。
陽子のおにぎり弁当である。
首を傾げると
「お昼食べてないでしょ。
これから休憩して食べて来なさいな」
「いや、休憩時間は取りました」
大丈夫ですよと言おうとする前に
「そうね。
陽子さんから聞きました。
しかし、それは労働です。
休憩に入りませんから。
今から1時間しっかり入ってきてくださいね」
にこりと微笑む笑顔に、有無を言わせぬ迫力がある。
ーーしかしこれから忙しくなるのに休むわけには……
咲也の考えを読んだかのように、支配人が笑って言う。
「大丈夫。その間、君の代わりは僕が勤めよう」
「え?支配人がですか!?」
司が驚いたように声を上げる。
「ふふ。これでも僕は昔ベルの鬼と言われてね」
「なんですか。それ?」
司が首を捻る。
佐久も不思議そうに首を傾げている。
「高宮さん!」
ベテランベルスタッフの古澤が、いかつい顔を真っ青にして言う。
「何グズグズしてるんですか!?早く休憩行って来て!」
「いや、でも――」
「でもじゃありません!」
司が首を傾げる。
「なんでそんなに焦ってるんですか?古澤さん」
古澤はそっと支配人を見る。
支配人は、にこにこと古澤を見つめ返す。
「ひっ」
小さな悲鳴。
「古澤さん?」
「?」
司と佐久には意味が分からない。
咲也だけが苦笑した。
「ああ」
「分かりますよね!?」
古澤が食いつく。
「まあ、そうですね」
頷いて同意する。
司が不思議そうな顔をしている。
「一体どういうことですか?」
その顔をじっと見据え、口を開く。
「現場に入った時の支配人はな」
「まさにベルの鬼だ」
「いやあ。
なんだか高宮さんにそう言われると照れくさいね」
支配人は、頭の後ろに手をあてて朗らかに笑う。
この見た目温和な壮年男性のどこにも、今は鬼の気配は感じられない。
だが、
古澤がすがるように言った。
「高宮さん。お願いします。私達の平和のために行って来てください」
そして小さく付け加える。
「……でも早めに戻って来てください。怖いから」
そこまで言われたら断れない。
「はい」
必死な古澤に押される形で
おにぎりセットを持って、咲也はバックヤードへ向かった。
⸻
咲也の後ろ姿を見送りながら、
「本当に、自分のことになると疎かなんだから」
支配人は苦笑した。
「困ったもんだね、彼も」
「しかし」
くるりと背後を振り返る。
「そんなに僕は怖いかな?」
古澤は苦い顔で肩をすくめて、
「支配人のことは尊敬してますよ。
……しかし、トラウマなんですよ。アレは」
支配人は困ったように笑う。
「うーん。
普通に働いているつもりなんだけどなぁ。参ったね」
「まあ、それはともかくとして」
支配人は手を叩いた。
「じゃあみなさん、ピークに備えて気合いを入れましょうか」
支配人はなんだか楽しそうに笑った。
「それでは、ご唱和ください。
ファイトーー!」
「……?」
「いっぱーつ!」
一人、元気よく拳を突き上げる支配人を見て、
若手二人が顔を見合わせる。
古澤が思わず吹き出す。
「支配人、さすがに古いですよ。
あと、うち静かなホテルなんで」
「ごめん。久しぶりのベルだからテンションあがっちゃった」
首を傾げる若手二人に笑いかけ、
「分からなければググってみてね」
と、少し恥ずかしそうに言った。
しかし次の瞬間には落ち着きのある穏やかな表情に戻り、ふっと笑う。
「じゃあ、気を取り直して
いきますよ。
みなさん」
「「「はい」」」
その瞬間。
和んだ空気が一気に引き締まった。
人にはちゃんと食べろと言うのに、自分のことは後回し。
そんな咲也のお話でした。
ファイトいっぱつ
もう古いんですよね(遠い目)
分かってくだった方は私と同年代です。きっと。




