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第76話 同じ名前

和葉のお話、もう少しだけ続きます。


今回はBar Havenでの、少し不思議な夜のお話です



夜。


Bar Haven。


客はテーブル席に1人しかいなかった。


グラスを磨いていると、

扉が開く。


マスターは顔を上げる。


思わず手が止まった。


和葉だった。


「いらっしゃいませ」

動揺を気取られぬよう

平静を装う。


和葉は少し迷うように言った。


「兄は……蒼井湊は、いますか?」


「いいえ」


「今日は休みです」


和葉は小さく息を吐いた。


少し残念そうだった。


「そうですか」


「明日帰るので」


「挨拶だけでもできればと思ったんですけど」


困ったように眉を寄せた。


「伝えておきますよ」


そう言うと、

和葉は安心したようにホッと息をついた。


「ありがとうございます」


「どういたしまして。

何か飲まれますか?」


どうぞと席を示すと、和葉はお辞儀してカウンターに腰掛けた。


「じゃあ、お願いします。

ノンアルコールのカクテル……えっと」


「モクテルですね。

かしこまりました」


甘いものが好きな子だった。


そんな記憶を頼りにシェイカーを振る。


ブルーキュラソーのシロップ。


パイナップルジュース。


ほんの少しだけレモン。


グラスへ注ぐと、

南国の海のような青が灯りを映した。


「どうぞ」


和葉は、カクテルに口をつける。


ほうっと息をついた。

「美味しいです。

かき氷のブルーハワイみたい。

好きなんですよね、僕。あれ」


楽しそうに話していたが、ハッと我に返ったような顔になり。


「子どもっぽくてすみません」

恐縮する和葉に、

くすりと笑う。

「いいえ。お気に召してよかったです」


その時

ふと、何気なく

和葉の視線がマスターの胸元へ。


ネームプレート。


視線に、胸がざわつく。


「『高岡』さんって言うんですね」


「……ええ」


「僕もです」


和葉が笑う。


「意外に珍しいですよね。

同じ名字の人、近くにいないんですよ」


マスターは曖昧に笑った。


「失礼でなければ、下のお名前を伺ってもよろしいですか?」


一瞬だけ迷う。


「あ、僕は和葉って言います。すみません。名乗らず先に聞いちゃって」


「いえ」


思わず笑いが漏れる。


ーーまっすぐだねぇ。


なんだか気を張っていたものがすうっと抜けていく気がした。


口角が緩む。


今さら誤魔化すのも不自然だろう。


和葉は引き取られる以前の記憶がないと、あの人から聞いていた。


今は蒼井である和葉が、知らないはずの高岡の名字を使っているということは、実の親の名前も知ったということだろう。


覚悟を決める。

すうっと息を吸って


「……高岡早輝です」


我ながら驚くほど、落ち着いた声が出た。


和葉が目を見開いた。


「親と同じ名前です」


ーーだろうね。


諦めたように息を吐く。


……ついに来たか。


「母と」


「え?」


思わず声が漏れる。


「は……は?」


思考が止まった。

間の抜けた声が、勝手に口からこぼれた。


しかし、当の和葉は気づく様子もなく、楽しそうに続ける。


「スーツアクターで有名だった人みたいです」


「仮面ライガーBLACKに出てたとか」


「って、特撮なんてご存知ないですよね」


「いえ」


ようやく声を出す。


「知ってますよ」


「仮面ライガーBLACKには、確かに高岡夫婦が出演していましたね……スーツアクターの」


和葉の顔がぱっと明るくなる。


「そうなんです!」


嬉しそうにカウンターから身を乗り出す。


目を輝かせたその姿には、どこか子どものような無邪気さがあった。


「高岡幹久、早輝夫婦ですよね!」


そう。


その二人だ。


ただし。


和葉が思っているのとは少し違う。


「有名な人たちだったみたいですね」


和葉は嬉しそうに笑う。


「知らなかったんですが、

最近、養父から両親のことを聞いたんです。

名前や、スーツアクターだったことを」


「出演していたDVDを観せてもらいました。

オープニングの映像には2人の名前が並んで表示されていて、

お前の父親はこのヒーローの中に入ってるんだぞって、養父が教えてくれたんです」


和葉は話しながら眩しそうに目を細めた。


「僕の両親は、子どもたちに夢を与える、かっこいい人たちだったんだなって思いました」


マスターの胸の奥がギュッと締めつけられた。


ーーそう、思って、くれるのか。


酷い仕打ちをしたのに。

こんなに真っ直ぐで純粋な目を向けてくれるのか。

視界がぼやけそうになり、さりげなく俯く。


「そうですか」


それしか言えない。


和葉は何かに気づいたように、慌てて言う。


「すみません。色々話してしまって。ご迷惑でしたよね」


「母と同じ名前の人に出会えるなんて、すごい偶然だったので、一人で興奮しちゃいました」


「いえ」


笑って頷く。


その笑顔が強張る。

それでも、できるだけ自然に答えた。


「本当に……

不思議なご縁ですね」


和葉は微笑んで頷いた。

モクテルを飲み干してカウンターに置くと、


「ごちそうさまでした」

「では」


立ち上がる。


「ありがとうございました。

また来ます」


「兄によろしくお伝えください」


和葉がぺこりとお辞儀する。


「はい」


マスターもお辞儀を返す。


「ありがとうございました。

またお越しください」


パタン。


扉が閉まる。


静寂。


数秒。


それから。

頭の中で、プチッと何かが切れた音がした。

と同時に膝から力が抜けて、

「はあああああ……」

漏れる声とともに、

その場にしゃがみ込んだ。


「なんか勘違いされてるみたいだね」


聞き慣れた声。


テーブル席の客、

支配人が笑っていた。


「バレたかと思ってさぁ」


マスターは、額を押さえる。


「名前聞かれた時に、覚悟決めたのに」


「この展開は予想外だったよぉ」


支配人は頷いて


「まあね」


「彼は、オープニングクレジットを見てそう思ったんだね。

あれをミキヒサじゃなくてミクって読めるのは詳しい人だけだしね。

まあ、ミキヒサって読んじゃえばそっちが男の方だって思うよね、普通は」


「もう……」


思わず顔を覆う。


「あの人も適当な説明するから」


支配人は優しく笑った。


「でも」


「まだ言いたくないんでしょ」


言葉に詰まる。


そして小さく頷いた。


「……うん」


できれば、このままで。


自嘲気味に笑う。


「僕は逃げたんだよ」


「あの子から」


妻を失ったあの時から、自分の時間は止まってしまった。

息子の育児すら放棄して。


そんな自分が父親だとどの面下げて言えるのか。


「それだけ辛かったんでしょ」


「幹久さんを失ったことが」


「彼はもう大人だよ」


支配人が静かに言う。


「大丈夫だと思うけどね」


それでも。


まだ決心はつかなかった。


しばらく沈黙が落ちる。


やがて。


支配人が立ち上がった。


「まあ」


「今日は飲もうか」


「早輝ちゃんに奢ってあげるよ」


マスターが顔を上げる。


「じゃあマッカランいく?」


「そこは安いのにしてよ」


二人の笑い声が、


静かなバーに溶けていった。

読んでくださりありがとうございます。


同じ名前なのに、気づかない。

気づいてほしくない。


そんな少し不思議な夜でした。


感想などいただけると嬉しいです。

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