第71話 このまま眠ろう
また、少し、湊の過去のお話です。
部屋の灯りが消える。
静かな寝室。
カーテンの隙間から差し込む街明かりが、ぼんやりと天井を照らしていた。
同じベッド。
互いの背中越しに、相手の気配だけを感じていた。
「……高宮さん」
背中の向こうから、小さな声が届く。
「起きてますか?」
「起きてるよ」
咲也は振り向かずに返事をした。
再び静けさが戻る。
ややしてから、遠慮がちな湊の声。
「昨日のバーでのことなんですが……」
咲也は短く返す。
「ああ」
湊は少し息をつく。
「高宮さんを巻き込んでしまいました」
「何も説明しないままだと、きっと戸惑わせてしまうと思うので」
一度言葉を切り、静かに続ける。
「だから、少しだけ聞いてもらえますか」
咲也は静かに頷く。
「ああ。
だけど、どうか無理はしないでくれ」
「話せるところだけでいいから」
「……はい」
湊は小さく頷いたようだった。
沈黙が二人の間をゆっくりと流れていく。
やがて、湊はぽつりと話し始めた。
「両親を亡くしたあと、僕は養子として蒼井家に引き取られました」
「父は厳しい人でしたけど、優しい人でした」
「礼儀も、合気道も、生き方も……全部、父から教わりました」
湊は息を整えるように、小さく息をついた。
「和葉が来たのは、僕が十三歳の時です。
あの子は七歳でした」
「父から見ると甥っ子でしたが、事情があって息子として引き取ることになったようです」
ふっと笑う気配がする。
「父の後ろに隠れてばかりで、よく泣く子でした」
「けど、そのうち僕にも懐いてくれて」
「血の繋がりはないけれど……僕にとっては、たった1人の弟でした」
咲也は黙って聞いていた。
「家族三人で過ごす毎日は、楽しかった」
「でも……」
「僕が成人してからです」
「後継の話が周囲から出るようになりました」
湊の声が少しだけ沈む。
「長男である僕が継ぐべきだという意見もありましたが」
「でも、それに反対する人も同じくらいいました」
「どこの馬の骨とも分からない者に継がせるのか」
「血筋なら和葉がふさわしいだろうって」
静かな部屋に、その言葉だけが重く落ちる。
「僕は、反論できませんでした」
「確かに、和葉は蒼井の親戚筋です」
「そういう考えがあっても、おかしくないと思いました」
「……むしろその方が自然です」
湊は少しだけ息を吐く。
「僕がいれば、揉める元になる。
それは和葉を、父を苦しめることになる」
「だったら、僕が出ていけばいい」
咲也は何も言わない。
ただ、耳を傾ける。
「二年前、和葉が成人した時に、父に家を出ると伝えました」
長い沈黙。
「返ってきたのは……」
湊の声が少しかすれる。
「『そうか』って。
一言でした。
背を向けたまま……
こちらを見ようともせずに」
「引き止められもしませんでした」
「それが、父と会った最後です」
そこで湊は言葉を止めた。
しばらくして、静かに続ける。
「僕は意外なほど、ショックを受けていました」
「父にとって、僕はその程度だったのかって」
自嘲するように、小さく息を漏らす。
「そう思いました」
また静けさが戻る。
咲也は目を閉じた。
言葉は見つからない。
やがて、ゆっくりと身体の向きを変えた。
指先が、湊の背中にかすかに触れた。
「……高宮さん?」
振り返った湊が目を見開く。
咲也は、そっと腕を伸ばし、湊の後頭部に手を添えて引き寄せた。
驚いたように、湊の身体が小さく強張る。
けれど、それもほんの一瞬だった。
緊張を解き、静かに咲也の胸へ身を預ける。
咲也は、包み込むように腕を回した。
「咲也さん……」
かすれた声が胸元から聞こえる。
咲也は、そのまま湊の髪をゆっくりと一度だけ撫でた。
「……湊」
「今日は、このまま寝ようか」
湊は答えなかった。
代わりに、湊もそっと咲也の背へ手を添えた。
咲也は目を閉じた。
腕の中の温もりを感じながら、咲也の意識はゆっくりと沈んでいった。
その温もりを離すまいと、抱きしめたまま。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
少しずつ前へ進む二人を、これからも見守っていただけたら嬉しいです。




