第65話 聞いて欲しかった
いつもありがとうございます。
前話「君の事が」の続きです。
少しだけ、和葉と咲也のお話になります。
しばらくして。
和葉の肩の震えは少しずつ収まっていた。
咲也は隣へ腰を下ろしたまま、黙っていた。
「……すみません」
先に口を開いたのは和葉だった。
目元はまだ赤かった。
「みっともないところを」
「いえ」
咲也は首を振る。
「仲のいいご兄弟なんだなって思いましたよ」
お互いがお互いを思い合っているのが伝わってきた。
ただ、その向いている先が少し違うだけで。
ふと、妹の勝気な笑顔が脳裏に浮かんだ。
くすりと和葉が小さく笑った。
「兄さんに怒られそうです」
「余計なこと言うなって」
少しだけ、
空気が和らぐ。
咲也もつられて笑った。
確かに言いそうだ。
「でも」
和葉は視線を落とした。
「言いたかったんです」
「兄さんには」
言葉を探すように続ける。
「ちゃんと幸せになって欲しいから」
「兄さんを大切だって言ってくれたあなたには、聞いて欲しかった」
咲也は黙って聞く。
和葉は話題を変えるように顔を上げた。
「そういえば」
「はい」
「高宮さん、驚きませんでした?」
「何がですか?」
「僕がバーに来たことです」
「いきなり兄さんとか言って」
「名字も違うのに」
少し考える。
驚いたかと言われれば驚いた。
昨日案内した宿泊客が、まさか湊の弟だとは思わなかった。
名字も違っていたし。
ただ。
その後のことが色々ありすぎて、正直忘れかけていた。
「まあ、少しは」
和葉が笑った。
「高岡って旧姓なんです」
「旧姓?」
首を傾げる。
「僕、養子なんです」
驚く間も与えず、そのまま続けた。
「仕事と関係なく来てみたかったので……思わず使っちゃいました。この名前」
咲也は頷いた。
「そうですか」
「はい」
和葉は少しだけ笑った。
「でも、今度は仕事でホテルに伺いますので」
「その時はよろしくお願いします」
咲也は首を傾げた。
そういえばチェックインした時も言っていた。仕事前に事前に来たかったと。
合気道に関係する仕事だろうか。
にわかには思いつかなかった。
どうせそのうち分かることだ。
気にしないことにした。
「こちらこそ」
そう返すと、
和葉は少し安心したように笑った。
やがて立ち上がる。
「今日はありがとうございました」
深く頭を下げる。
「いえ」
「高宮さん」
和葉が少しだけ笑った。
「兄さんをよろしくお願いします」
そう言い残して、
和葉は歩き出していた。
その背中を見送りながら。
咲也はふと考える。
そういえば。
湊はほとんど自分の家の話をしない。
少しだけ合気道の話をしたことはある。
けれど。
それ以外は知らない。
ーーまあ、俺だって話してないしな。自分のこと。
例えば、部屋の隅にある段ボール箱。
気になるはずだろうに、湊は聞いてこなかった。
ーー少しずつ、話していこう。
咲也は静かなラウンジを後にした。
読んでくださりありがとうございました。
兄弟だからこそ伝わらないこともあれば、
兄弟だからこそ分かることもあるのかもしれません。
そして咲也は、また一つ湊の知らない一面に触れました。
また次回もよろしくお願いします。




