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第61話 共同体

いつも読んでくださりありがとうございます。


少しずつ、

静かな夜の空気が変わり始めています。


今回は司回です。

Bar Haven。


客のいない静かな夜。


低い照明。


あの人はまだ仕事だろうか。


「蒼井、乙女モードになってるぞ」


ぽそりとマスターが言った。


「仕事してください」


睨みつけると、


「あーこわいこわい」


マスターは大袈裟に肩をすくめ、止まっていた手を動かした。


それを見て湊は小さくため息をつく。


その時だった。


カラン。


扉が開く。


湊が顔を上げる。


「いらっしゃいませ」


「あ、どうも」


入ってきたのは司だった。


「来ちゃいました」


照れたように笑いながらカウンター席へ腰を下ろす。


「いらっしゃい。今日は一人なんだね」


マスターがグラスを拭きながら言う。


「はい。

もう怖くなくなったので、先輩について来てもらわなくても大丈夫です」


小さく胸を張って誇らしげに言う。


そういうところはまだ子どもっぽくて微笑ましい。


マスターが笑う。


湊が水を置く。


「今日は何にされますか?」


「じゃあ、あの……名前分かんないんですけど、俺のイメージで作ってもらったやつ、お願いできますか?」


「かしこまりました」


「やった」


司が嬉しそうに笑う。


湊もつられるように微笑み、酒瓶へ手を伸ばした。


あの時のマスターの手順を思い出しながら準備を進める。


やがてカクテルを置く。


「……どうぞ」


司は一口飲み、満足そうに息を吐いた。


「うまい! この間と同じだ。すげえ」


綻ぶ顔に湊も思わずつられる。


表情のころころ変わる青年だった。

職場ではきっとムードメーカーなのだろうなと思った。


それから、ふと思い出したように司が口を開く。

「そういえば」


湊は顔を上げた。

視線がぶつかる。


「蒼井さんって、合気道の蒼井流の関係者でしたか?」


湊の手がほんの少し止まる。


マスターも視線だけを上げた。


「……ええ」


湊は静かに答える。


「でも、もう家は出ていますし。関わりはないですね」


「やっぱり」


司が頷く。


「司文子って知ってます?」


浮かんだのは妖艶な美女の顔だった。


湊が答えるより早く、


「あ」


マスターが声を上げる。


「もしかして君、司さんちの文人くんかぁ」


目を細める。


「あらあら。大きくなったねえ。分からなかったよ」


司が目を輝かせる。


「やっぱり早輝おじさんですか?」


身を乗り出す。


「そうじゃないかと思ったんですよ」


「うん。君が小さい頃、顔合わせてるよ。よく遊んだね」


「そうですね。戦隊ごっこ楽しかったです」


司が笑う。


「文子にはよく怒られましたけど」


「はは。文ちゃんーーお母さんは君を紳士的に育てたかったからね」


「余計なお世話なんですよね」


司が口を尖らせる。


「俺は俺の生きたいように生きるっつの」


母親を文子と呼ぶのが少し不思議だった。


もっとも、湊も普通とは違う家だったので何とも言えないが。


手だけは動かしながら二人の話に耳を傾ける。


「文ちゃん元気?」


「ええ」


司が頷く。


「蒼井流は離れましたけど、元気にやってますよ」


「そっか」


マスターが静かに頷く。


「“離れた”んだね。“司さん”は」


「ええ」


司は肩をすくめた。


「実は昨日今日の話じゃないんですよ。うちが離れたのは」


グラスを回す。


「二年前に」


そこで司がちらりと湊を見る。


「ちょうど……湊さんが蒼井を出た頃ですね」


湊は思わず顔を上げた。


目が合う。


司はにこりと微笑んだ。


なんの含みもなさそうな笑顔。


けれど。

どこか試すような色があった。


「なので文子も俺も、今は好き勝手やってます」


軽い口調で続ける。


「実際、今はホテルの仕事の方が好きですしね」


グラスを傾ける。


「離れ難いなって思ってます」


カクテルに口をつける。


ふう、と司が息を吐く。


「うまいなあ」


「でも、こんなにうまいカクテル飲んでも悩みは尽きませんね」


ぽつりと言う。


「共同体って面倒ですよね」


グラスの氷が鳴る。


「どうしても、しがらみがつきまとう」


軽い口調のまま。


けれど、その目は少し冷めていた。


「まあ正直、俺はどうでもいいんですけどね」


肩をすくめる。


「もう離れた側だし」


「ただ、ひとつだけ」


グラスを置く。


「文子が言うには、次の蒼井の仕事は“ここ”みたいです」


「だから、気をつけた方がいいと思います。

お互い巻き込まれないように」


司は肩をすくめた。


「まあ、俺は全力で逃げますけど。

お二人を囮にしてでも」

清々しい笑顔だった。

マスターが吹き出す。

「だいぶ“紳士的”になったね。文人くん」

「ありがとうございます」

司が悪戯っぽくウインクした。


その時だった。


カラン。


扉が開く。


見なくても分かった。


「お疲れ様です」


咲也だった。


「ああ、お疲れ様。蒼井くん」


咲也が顔を綻ばせる。


つられるように湊も微笑んだ。


「おや、高宮さん。今日は少し遅かったね」


マスターが笑う。


「蒼井がヤキモキしてたよ」


「ちょっとマスター」


湊が声をあげて制止する。


いつの間にかいつもの空気に戻っていた。


咲也は笑いながら席についた。


「こんばんは。マスター。ちょっと今日はお客様を案内してたので、遅くなりました」

「おや、残業かい」


「いえ私用です。なんだか放っておけなくて」


「高宮さんらしいね。

おせっかいもほどほどにね」


マスターが苦笑する。


「いや。そんなんじゃないんですけど……」


二人のやりとりを聞きながら、司が小さく笑った。


「先輩って、本当に無自覚なんですよね」


咲也が驚いたように目を丸くする。


「司くん、いたのか」


「どうも」


司がひらひらと手を振る。


「1人で来れるようになりましたよ」

自慢げに言う司に


「そうか。偉いな」


目を細めて言う咲也に、司は複雑な表情を浮かべる。


「先輩、たまに親戚のおじさんみたいになりますよね」


「そうか?」


咲也は首を傾げる。


「はい。年末年始の集まりで久しぶりに会って酒を飲みながらくだをまく親戚のおじさんっぽいです」


「やけに具体的だな」

咲也は微妙な表情をしていたが一つ頷き

「まあ、お袋よりはいいか」


「比較対象そこなんですか」

司が呆れたように言う。


「ちょっとなに高宮さん、お袋扱いされちゃったの?」

マスターがなぜか食いつく。


「そうなんですよ。この前、食堂で後輩のことで相談した時に」


「おい。やめろ、その話を蒸し返すな」


司が話し出そうとするのを、咲也が慌てて止める。


湊は小さく笑う。

急に賑やかになった店内。この雰囲気は嫌いではない。


Bar Havenの夜はいつもと変わらず更けていく。


けれど。


湊は感じていた。


いつも通りの光景。


いつも通りの夜。


その空気が、

少しだけ変わり始めていることに。


ここまで読んでくださりありがとうございました。


軽そうに見える人ほど、

時々さらっと重いことを言います。


“共同体”という言葉に、

少しだけ不穏を乗せた回でした。

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