第6話 七年ぶりの日曜
二週間ぶりの青空野球教室。
穏やかな日曜のはずだったのですが——。
日曜日。
二週間ぶりのグラウンドには、
変わらず子どもたちの声が響いていた。
「さくちゃーん!」
「もう一回!」
海斗が叫ぶ。
その隣で、陸斗もグローブを構えている。
「あと一球な」
咲也は軽く手を上げる。
笑い声が広がる。
パシン、と乾いた音が響く。
穏やかな、日曜の午前。
何球かやり取りを続けてから、
咲也は軽く声をかけた。
「次、バットな」
「やった!」
海斗が真っ先に走り出す。
陸斗もその後を追う。
簡易ネットの近くでは、
他の子どもたちが順番待ちをしていた。
金属バット。
転がるボール。
土埃。
グラウンドのあちこちで、
子どもたちの声が飛び交っている。
双子の引率で来ている湊は、
ネットの外から
子どもたちを見守っていた。
咲也は少し離れた場所へ移動すると、
別の子どもとキャッチボールを始めた。
「相手の胸に向かってな」
「はい!」
投げる。
受ける。
乾いた音。
そのとき。
——その空気に、
場違いな声が混ざった。
男たちの声。
交わされているのは英語。
『よう、サクヤ!』
一瞬、空気が止まる。
——嘘だろう。
信じられない思いで、振り向く。
グラウンドの入り口に立つ、四人の男たち。
白い肌。
長身。
ラフな格好なのに、
どこか隙がない。
七年ぶりで、
年も取っているはずなのに、
すぐに分かった。
お調子者のマイクは、
面白がるように周囲を見回していた。
がっしりとした丸太のような腕を組んだトムは、
昔と変わらない落ち着きで。
ジェイクは岩のような無表情のまま、
いつものように無言で片手を上げる。
その中でも、
ひときわ背の高いレオンが、
こちらを見てにやりと笑った。
輝く碧眼。
浅い金髪が揺れる。
『あー……』
『ほらな、やっぱりこいつだ』
マイクが笑って指差す。
『マジかよ、こんなとこにいるのか』
『子ども相手に教えてんの?本気?』
遠慮のない軽口。
——変わってないな。
込み上げる思い。
ただただ、懐かしい。
咲也は、小さく息を吐いた。
『……久しぶり』
自然と英語がついて出る。
『よ。元気そうじゃん』
『丸くなったな、お前』
『いや、顔は昔からこんなだろ』
あっという間に距離を詰められ、
肩をバンバン叩かれる。
『痛えよ』
思わず顔をしかめる。
昔と同じ、
遠慮のない距離だった。
その後ろから、
神代がゆっくり歩いてくる。
「ちゃんとやってるな」
低い声。
咲也は一瞬だけ視線を上げる。
「……まあな」
神代は男たちに視線をやる。
「すまんな。こいつらがうるさくてな」
わずかに肩をすくめる。
「……押し切られた」
『おい何言ってるか分かんないぞ』
不満そうな声。
『英語で話せよ、英語で。コウタロウ』
マイクが言う。
『その名で呼ぶな!』
神代の声が鋭くなる。
きょとんとする男たち。
レオンが肩をすくめた。
『本当にお前、名前で呼ばれるの嫌だなあ』
『いいじゃん。日本の由緒正しい“タロウ”が入ってて、超クールじゃん』
マイクがニヤニヤしながら続ける。
『モモタロウだろ、ウラシマタロウだろ、キンタロウだろ』
『オー、スゲーな。ジャパニーズヒーローじゃん』
レオンがオーバーリアクションで驚く。
『ジャパニーズヒーロー!コウタロウ、カッコいい!!好き!!私と付き合ってちょうだい!』
マイクがくねくねと身体を揺らす。
『うるさいっ!』
『そうやって、お前らがイジるから、嫌になったんだよ!』
怒鳴る神代。
普段の落ち着いた姿からは、
想像もつかない。
けれど。
七年前の神代は、
確かにこういう男だった。
四人は動じることなく笑い飛ばす。
かつて、
いつもそうだったように。
咲也も、
つられるように笑った。
⸻
湊が静かにその様子を見ていた。
ホテルで見る咲也とは、
違う。
笑い方も。
空気も。
英語を話す声も。
同年代の男たちに囲まれて、
自然に笑っている。
そんな姿を、
湊は初めて見た。
ぎゅっと拳を握る。
なぜだか、
胸がざわついた。
⸻
『で、』
レオンがこちらを見る。
『これが今のお前か』
『悪くないな』
『なんか、似合ってるじゃん』
視線がグラウンドをなぞる。
子どもたち。
簡易ネット。
土の匂い。
『まあな』
咲也は肩をすくめる。
ジェイクが無言で、
細長いバットケースを開いた。
中から現れた木製バットに、
子どもたちが小さく声を上げる。
レオンがそれを受け取り、
くるりと回した。
『さてと』
『どれくらい落ちたか見せてくれよ』
『……やるのかよ』
『一打席だけだ』
トムが静かに言う。
マイクが笑った。
『つまんないこと言うなよ、咲也』
笑い声が重なる。
「少し時間を借りる」
神代がコーチの方へ向かう。
止める理由は、なかった。
咲也は一瞬だけ考える。
視線が横に流れる。
湊。
さっきと同じ場所。
さっきと同じ距離。
でも——
視線だけが、少し違う。
その視線を受けて、
咲也は前を向いた。
『……一打席だけな』
『よし、それでいい』
『キャッチャー誰やる?』
『もちろん俺だろ』
トムが自分を指差す。
勝手に次々と決まっていく。
その速さも、
昔と変わらない。
子どもたちは少し離れて見ている。
何が起きているか分からないまま。
それでも、
空気の変化だけは感じ取っていた。
咲也は、その場で構える。
ボールを握る。
指に、馴染む。
振りかぶる。
投げる。
一球目。
乾いた鋭い音が弾ける。
ボールは横へそれる。
『おいおい』
『それで引退済みかよ』
笑い声。
二球目。
外へ逃がす。
バットは空を切る。
『無理無理、当たんねえ』
『だから言っただろ』
三球目。
ボールが少し浮く。
バットが出る。
乾いた音。
打球は伸びる。
グラウンドの奥へ転がる。
『よし、当たった!』
『今のはラッキーだな』
笑いが弾ける。
気づけば、
もう一球、投げていた。
——止める理由を、
一瞬、忘れていた。
その中で、
咲也は、ただ立っている。
息は上がっていない。
身体も軽い。
——楽しい。
自然に、そう思う。
あの頃と同じように。
でも。
『で?』
バットを肩に担いだまま、
レオンが言う。
『まだやれるだろ』
『戻ってこいよ』
軽い口調。
だが、
その奥にあるものは分かる。
期待。
確信。
誘い。
咲也は、空を見上げた。
青い。
静かな空。
それから、
視線を戻す。
『……もう、いい』
ボールを軽く返す。
『楽しかった』
短く息をついて。
『でも、戻らない』
静かに言う。
風が抜ける。
『……だろうな』
誰かが小さく笑う。
『そんな顔してる』
それだけで、十分だった。
『じゃあな』
『元気でな、咲也』
『またな』
軽く手を上げて、
彼らはそのまま去っていく。
来たときと同じように。
すれ違いざまに、
子どもたちの頭にぽんと手を乗せながら。
あっさりと。
空気だけを残して。
静かになる。
子どもたちの声が、
少しずつ戻る。
日常が、戻る。
咲也は、ゆっくり息を吐いた。
その先に、
湊がいた。
さっきと同じ場所。
でも——
さっきよりも少しだけ、
視線が揺れていた。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
七年ぶりの再会回でした。
感想など頂けると嬉しいです。




