第53話 反則
賑やかな夜のあと。
静かな帰り道のお話です。
深夜。
閉店後。
Bar Havenを出る。
さっきまでの騒がしさが嘘みたいに、
外は静かだった。
春先の夜風が、
少しだけ火照った頬を冷ます。
隣を歩く湊も、
どこか静かだった。
「……騒がしかったですね」
ぽつりと湊が言う。
「ああ……」
咲也は深く息を吐く。
主にマイクのせいで、
まだ頭が痛い。
ーーもうやったのか?
思い出した瞬間、
こめかみを押さえたくなる。
しかも。
「……結婚おめでとう、ですか」
湊が小さく呟く。
思い切り咳き込む。
「高宮さん?」
「……いや」
言葉に詰まる。
夜風が妙に冷たい。
「びっくりしました」
湊は困ったように笑った。
「まさか、あんな風に言われるとは思ってなかったので」
「いや、俺も思ってなかった」
「ですよね」
くす、と笑う。
しばらく歩く。
静かな夜道。
ふと。
「でも」
湊が前を向いたまま言った。
「嬉しかったです」
「……何が」
「お付き合い、おめでとうって言われたの」
咲也は少しだけ目を見開く。
湊は、
どこか照れたように笑っていた。
「皆さん、高宮さんのこと好きなんですね」
「あいつら、うるさいだけだろ」
「そうでしょうか」
小さく首を傾げる。
「でも、嬉しそうでした」
「……」
確かに。
騒がしくて。
遠慮がなくて。
痛いことも平気で言ってきて。
でも。
「……まあ、そうかもな」
ぽつりと返す。
湊は静かに笑った。
⸻
帰宅後。
スーツを脱ぎ、
ソファへ沈み込む。
どっと疲れた。
主に精神的に。
湊はキッチンで、
グラスに水を注いでいる。
静かな音。
見慣れた背中。
その光景に、
少しだけ肩の力が抜けた。
その瞬間。
マイクの言葉が脳裏に蘇る。
ーーキス?
ーーそれとも、セ……
「……っ」
顔を覆う。
「高宮さん?」
「なんでもない」
言えるわけがない。
発展場で、
顔もろくに分からないまま一夜を明かして。
付き合う前に、
とっくに身体の関係はあったなんて。
しかも。
今は恋人なのに。
湊は、
あの時みたいには触れてこない。
無理に抱こうともしない。
一緒に寝ても。
隣にいて。
抱きしめて。
額にキスをして。
それだけだ。
咲也はぼんやりと天井を見る。
ーー一緒にいたら
ーー俺、普通に我慢できないと思います。
ーー襲いますよ。高宮さんのこと。
視線が、まっすぐ咲也を射抜いた。
こちらを見つめてくる眼差しは、切実で真剣だった。
でも、実際は
ーー襲ってくれないんだな。
ふと、
そんなことを思った。
思ってから、
自分で固まる。
何考えてんだ俺。
顔が熱い。
「……高宮さん?」
いつの間にか、
湊が目の前にいた。
水の入ったグラスを差し出される。
「あ、ああ……悪い」
受け取る。
湊は、
じっとこちらを見ていた。
「何か考え事ですか?」
「……いや」
誤魔化すように水を飲む。
湊は少し黙って。
それから、
ぽつりと言った。
「……俺、結婚って、よく分からないんですよね」
今度こそ、
咲也は吹き出しかけた。
「な、なんで今その話をするんだ」
「いや」
湊は少し困ったように笑う。
「びっくりして」
ーーこっちもびっくりしたぞ。
「まあ、同性ですから、結婚なんてできないですけど」
「夫婦とか。
咲也さんとなら、なれそうだなって……思っちゃいました」
湊は、はにかむように笑った。
その顔が、
少し赤い。
咲也は言葉に詰まる。
「……そうか」
やっとそれだけ返す。
湊は小さく頷いた。
「はい」
咲也はコップをテーブルに置くと、ソファにのけぞり、天を仰ぐ。
——反則だろ、蒼井くん。
顔が熱い。
今日は一緒にベッドで寝てそのまま眠れる自信がなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
無自覚に距離を詰める湊と、振り回される咲也でした。




