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第49話 何も起こらない夜

にぎやかな夜の、少し静かな時間です。


桐生家。


夜は、

少しだけ深くなっていた。


リビングの灯りは落ちている。


奥の子ども部屋からは、

かすかな寝息。


海斗と陸斗は、

すぐに眠ったらしい。


清吾も、

寝つかせようとして、

そのまま一緒に寝落ちしたようだった。


テレビの音だけが、

小さく流れている。


その前に、

二人。


咲也と湊。


同じソファ。


少しだけ距離がある。


気まずくはない。


けれど、

どこか意識してしまう静けさ。


湊が、

リモコンに手を伸ばす。


音量を少し下げる。


「……驚いた」


咲也が口を開く。


「君が『付き合ってる』って、清吾くんに言ったの」


湊は、

少しだけ視線を落とす。


「……すいません」


「勝手に、言ってしまいました」


咲也は、

小さく息を吐く。


「いや」


短く返す。


「いいよ」


「いずれ、言わなきゃいけないことだったしな」


それから、

視線がわずかに動く。


「……しかし、清吾くんの反応にも驚いたよ」


湊は、

小さく頷く。


少しだけ言葉を選ぶように。


「気にしていない、ということだと思います」


咲也は黙って聞いている。


湊は、

続ける。


「人を好きになるって」


「特別なことじゃない、というか」


静かに言う。


「……それが、同性であっても」


「……簡単に言うよな」

咲也は、苦笑混じりに呟く。


湊は、

少しだけ目を伏せた。


「……そうですね」


静かな声。


「簡単なことでは、ないと思います」


「僕も、誰にでも話せることではなかったので」


「……俺は」


言葉を探す。


「考えないようにしてた」


視線は、

テレビのまま。


「そういうの」


曖昧に濁す。


「面倒なことになるからな」


軽く言う。


けれど、

軽くはない。


「仕事にも」


「周りにも」


小さく息を吐く。


「……だから」


視線が少し落ちる。


「隠してた。ずっと」



思春期、

自分が同性を好きだと自覚した頃を思い出す。


その頃には、

もうプロ野球の世界だった。


この秘密がバレないように。


ただ、それだけを考えていた。


湊は、

何も言わない。


ただ、

聞いている。


「……でも」


湊を見る。


「別に、変わろうと思ったわけじゃない」


「気づいたら」

そのまま続ける。


「……君のことが、頭から離れなくなってた」


湊が、微笑む。

かすかに、その目が潤んでいるように見えた。


「僕も」


静かに言う。


少しだけ言葉が途切れる。


「気づいたら、そうなっていました」


さらっと言う。


けれど、

視線はまっすぐ、咲也から外れない。


――蒼井くんは……付き合ってる人、いると思う


不意に、

先日の清吾とのバーでのやりとりを思い出し、

くすりと笑う。


不思議そうに首を傾げる湊に、笑いながら言う。


「付き合ってるって、言ってもらえて良かった。また俺の勘違いかと」


湊が、はっとした顔でこちらを見る。


「ヒヤヒヤしてたよ」


冗談めかして片目をつぶる。


「そんな」


「いや。ごめん。単純に嬉しかったんだ」


笑って言うと、

湊は一瞬言葉を失って、


「……その顔、反則です」


焦ったように俯いた。


咲也は、

首を傾げる。


よくわからない。


湊が、

小さく息を吐く。


「……もう、伝わってると思ってました」


「言葉にする必要も、ないかと」


呼吸をひとつ挟んで。


「でも」


視線が上がる。


「咲也さんが安心するなら、何度でも言います」


まっすぐな眼差し。


咲也は、

無言で見つめ返す。


距離は、

変わらない。


けれど。


「……近いな。湊くん」


ぽつりと、咲也が言う。


湊は、動かない。


「……そうですね」


まなじりが、

やわらかな曲線を描く。


まるで夜空に浮かぶ月のようで、

綺麗だと思った。


テレビの音が、

小さく流れている。


視線は、逸らさない。


距離も、変わらない。


そのまま。


何も起こらない。


けれど。


何も起こらないことが、

少しだけ、特別だった。

何も起こらない夜でした。


でも、

この二人にとっては、

たぶん少し特別な夜です。

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