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第42話  果たし状の夜

休日の湊と、いつもと少し違うBar Havenの夜です。



扉が開く音。


振り向く前に、分かる。


「……高宮さん。お疲れ様です」


いつもの声。


「ああ、蒼井くん――」


けれど、


違う。


一瞬、言葉が止まる。


シンプルなシャツに、細身のパンツ。

色も、装飾もない。


けれど、妙に目に残る。


少しだけ、

首元が開いていた。


視線の置き場に迷う。


「……私服だな」


思わず言う。


湊は、

きょとんとして、それから小さく笑う。


「はい。休みなので」


湊は、

カウンターに座る。


咲也の隣。


自然に。


いつもなら、

カウンターの向こうに立っている。


それが、

横にある。


距離が近い。


なんだか、

落ち着かない。


「何にする?」


マスターが聞く。


「高宮さんと同じので」


湊が言う。


短い会話。


そのやりとりを、

咲也は聞いている。


こういうのは、

初めてかもしれない。


並んで座る。

同じ目線。

同じ空気。


カウンター越しとは違う。


グラスが置かれる。


湊はそれを手に取り、

一口、静かに飲む。


静かな横顔。


湊に迎えに来ると言われたとき、

断れなかった。


――「俺がしたいんです」


そう言われては、何も言えなかった。


距離が近い。


――嬉しい、はずなのに。


素直に喜べないのは、

反対側の気配のせい。


その気配は何も言わないまま、

そこにいる。


余計に、気になる。


咲也のグラスを持つ手に、

わずかに力が入る。


その意識を断つように、声が上がる。


「あなたが、湊さんですね」


咲也の左隣からだった。


湊が怪訝そうに眉を上げる。


すっと立ち上がり、

湊と対峙した清吾は、

斜め四十五度の綺麗なお辞儀をした。


「初めまして。桐生清吾です。

海斗と陸斗がお世話になっています」


「あ、海斗くん、陸斗くんの……」


少し間を置き、立ち上がって礼をする。


「いつもお世話になっています。蒼井湊です」


わずかに間を置いて、


「……夏希さんにも」


瞬間、


清吾の眉が、ぴくりと跳ねる。


「……夏希さん呼びだとぉ、なんて馴れ馴れしい」


地を這うような低い声。


咲也にだけ、かろうじて届く。


咲也は、わずかに清吾を見て、

小さく息を吐く。


何も言わない。


清吾はすぐに表情を戻す。


「……そうですか」


短く言う。


それだけ。


けれど、

空気が少しだけ変わる。


清吾は一歩近づく。


無駄がない。

余計な動きもない。


先ほどまでの軽さが消えている。


「妻から聞いています。

日曜日、泊まりに来ると。

お義兄さんと一緒に、家のことを手伝いに来てくださると」


湊は一瞬だけ間を置いて、


「……はい」


「ありがとうございます」


清吾は軽く頭を下げる。


それから視線を戻す。


湊へ。


「では」


わずかに息を整え、


「その日、対決を申し込みます」


次の瞬間。


バシン、と音が響く。


カウンターの上。

一枚の紙。


果たし状。


空気が止まる。


咲也は小さく息を吐き、

こめかみを揉む。


「……お前な」


どうしてそうなる。


話をしたいんじゃなかったのか。


心の中で突っ込む。


湊はその紙を見る。

それから清吾を見る。


少しだけ目を細める。


空気が、わずかに張る。


「……理由を、お伺いしても?」


静かに言う。


清吾は迷いなく答える。


「俺よりすごいと聞きました」


まっすぐに、

湊を見据えたまま続ける。


「なら」


わずかに、その目が光る。


「父親として、確かめる必要があります」


「海斗と陸斗があそこまで言う人を、俺は知らないままでいられません」


揺れない声。


湊はゆっくりと紙を取り、

視線を落とす。


それから軽く頷く。


「……分かりました」


それだけ。


清吾の口元が、わずかに上がる。


「ありがとうございます」


礼儀は崩さない。


空気が、少しだけ緩む。


咲也は小さく肩の力を抜く。


それを見て、

マスターが少しだけ笑う。


「なんか面白そうだね」


グラスを置く。


「見に行こうかな。

日曜休みだし。

審判してあげようか。

……どうせ、勝負の中身決めてないでしょ」


「え!師匠が来るんですか!?」


清吾の声が弾む。


一瞬で、

いつもの彼に戻る。


「スッゲー嬉しいです!

俺頑張ります!!」


湊は、少しだけ目を丸くした。

先程までとの落差に驚いているのだろう。


咲也も、最初は同じ反応だった。


不意に、

清吾がくるっとこちらを振り向き

「やった!お義兄さん

師匠が来てくれるって」

咲也に抱きつく。


「こら、だから……」


そこまで言って、

何度言っても聞かないことを思い出す。


「はいはい。よかったな」

頭をポンポンと叩いてやる。


「もう…師匠はやめてよぉ」

マスターがため息をつく。


「あと騒ぐなら出禁にするからね」


「す、すいません」

咲也からパッと離れる。


空気が、戻る。


ように見えて、


やはり、どこか違う。


「蒼井、顔が怖い」


「別に。いつも通りの顔です」


「はいはい。

やきもちもほどほどにねえ」

マスターがニヤニヤ湊を見る。


「違います」


咲也は湊を見たが

ふいっと視線を逸らされる。

なんだかぶっきらぼうで、不貞腐れているような、珍しい表情。


ーーまさか、な。


咲也はグラスを傾ける。


視線は、湊へ。


その横顔は、いつも通りに見える。


けれど、


さっきまでと同じはずなのに、

違って見えた。


落ち着かない理由を、

言葉にできないまま。


静かなはずの夜が、だんだん賑やかになってきました。

日曜日へ続きます。

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