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第3話 冷えた缶コーヒー

夜のアストラ。

休憩時間の、少し静かな話です。


夜になり、

チェックインの慌ただしかった時間が、ようやくひと段落する。


ロビーが少しだけ静かになる。


控えめなBGM。


遠くで動く台車の音。


スタッフ同士の低い声。


夜のアストラへ、

ゆっくりと空気が変わり始めていた。


ようやく取れた休憩時間。


咲也は缶コーヒーを片手に、屋上庭園へ続く階段を上がっていた。


ふと、足を止める。


階段の途中。


影になる場所に、

誰かが座り込んでいた。


膝を抱えて、

顔を伏せている。


小柄な背中。


「……佐久くん?」


びくり、と肩が揺れる。


ゆっくり顔が上がる。


赤い目。


泣いていたのだと、

すぐに分かった。


「……高宮先輩」


声がかすれている。


咲也は何も聞かない。


ただ、

持っていた缶コーヒーを差し出した。


「飲むか?」


少し持ち上げる。


「微糖だけど」


佐久は戸惑いながら、

それを受け取る。


「……ありがとうございます」


咲也は隣に腰を下ろした。


それから、

佐久の顔を見て言う。


「目、冷やすと気持ちいいぞ」


「え?」


「缶」


佐久は言われるまま、

缶を目元に当てる。


ひやりとした冷たさに、

小さく息を吐いた。


「……確かに、気持ちいいです」


か細い声。


咲也は小さく頷く。


少しだけ、

静かな時間が流れる。



佐久は、

ぽつりと口を開いた。


「僕……今日も迷惑かけました」


「そうか?」


「だって、お客さんの荷物間違えたり……」


視線が落ちる。


「落としかけましたし」


ああ、と咲也は思い出す。


さっきの騒ぎ。


荷物を抱えたままつまずいて、

全部ひっくり返しかけた佐久。


咲也がスーツケースを受け止めて、

司が滑り込むように花瓶を拾った。


――あれは見事なスライディングだった。


思わず感心したくらいだ。


「今日だけじゃありません」


佐久は続ける。


「毎日毎日、僕うまくできてなくて……」


声が少し震える。


「みなさんに迷惑かけてばっかりです」


じわりと涙が滲む。


咲也は、

ぽりぽりと頬をかく。


「そんなもんだろ」


軽く言う。


「誰だって最初はできないもんさ」


「みんな通る道だ」


佐久は小さく首を振る。


「でも、僕は何やっても鈍臭いし、慌てちゃうし……」


「そうだなあ」


咲也は少し考える。


それから、

ぽつりと言った。


「俺も最初、かなり怒られたぞ」


佐久が顔を上げる。


「え……高宮先輩もですか」


「ああ」


苦笑する。


「中途採用だったしな。38歳でさ、前の仕事辞めて、ホテル業務なんて全然分からなくて」


少しだけ思い出すように視線を上げる。


「荷物間違えたり、到着した客を帰る客と勘違いしかけたりな」


「結構どやされたなあ」


「一緒に入った新卒の方が、よくできてたよ。正直悔しかったなあ」


佐久が目を瞬かせる。


咲也は肩をすくめた。


「でもさ」


静かな声。


「周りの人に助けられたからな」


「だいぶ」


少しだけ笑う。


「だから今、君のフォローするのって、恩返しみたいなもんかもな」


「だから、まあ」


軽く言う。


「気にせず頑張れ」


佐久は唇を引き結ぶ。


少し迷ってから、

小さく呟いた。


「……でも」


「司先輩は、そう思ってないと思います」


「きっと僕のこと、嫌いです」


項垂れる。


「いつも怒られてばっかりですし」


咲也は、

小さく息を吐いた。


「司くんも、一生懸命なんだと思う」


咲也は言葉を探すように続ける。


「……彼、ホテルの仕事、楽しいって言ってたよ」


「君にも、それを伝えたいってさ」


佐久は黙って聞いている。


「でも、うまくいかなくて」


「君を怖がらせちゃうって、悩んでたな」


佐久は目を見開く。


「そ、そんな……怖がってなんか……」


言葉が弱くなる。


咲也は苦笑した。


「じゃあさ」


軽く言う。


「今度、昼飯でも一緒に行ってこいよ」


「先輩に奢ってもらいな」


佐久は少しためらって。


それでも、

小さく頷いた。


咲也はその頭に、

ぽん、と手を乗せる。


「大丈夫だよ」


佐久は俯いたまま。


その手の中で、

缶コーヒーだけが静かに冷えていた。

ここまでお読み頂きありがとうございます。


ホテルで働く咲也の“先輩”な一面を書いてみました。

冷えた缶コーヒーが、少しでも優しく見えていたら嬉しいです。


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