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第26話 心臓に悪い

少しだけ、生活が始まる話です。


近くのスーパーで、買い物を済ませる。


袋をいくつか提げて、帰る。


玄関に入り、ジャケットを脱いでハンガーに掛ける。


「多いですね」


「買いすぎたかな」


そう言って、少しだけ笑う。


自宅でまともに食事を作るのは久しぶりだ。


食材と一緒に、間に合わせの食器も買ったから、思った以上の量になってしまった。


少し力が入ってしまった。


「まあ、覚悟しろ」


「今日からしっかり食べてもらうからな」


「お手柔らかにお願いします」

湊が苦笑する。


「そういえば」

ふと気づく。


「明日、俺は日勤なんだが」


「君は?」


「仕事ですね。いつも通り夕方からです」


「そうか」


短く頷く。


引き出しから鍵を取り出す。


「これ使ってくれ」


合鍵を渡す。


「いいんですか」


「構わない」


そっけなく言ってみたものの、

少しだけ鍵を持つ指先に力が入ってしまった。

気付かれなかっただろうか。

ーーらしくないな。

1つ1つに動揺して。

内心で苦笑する


気を取り直すように顔を上げて、

「風呂、準備するから、待っててくれ」


「手伝います」


「いいよ」


少しだけ湊を振り返る。


「次から頼む」


「じゃあ、見てます」


「見るな」


思わず返す。


「早く覚えたいので」


くすりと、笑い声が落ちる。


「あー、別にいいけど……」

ポリポリと頬をかく。

なんだか、こそばゆい。



やがて、湊が風呂から出てくる。


スウェット姿だった。


咲也のものを貸した。


「着替え、ありがとうございます」


「いや」


少し大きいが、似合っている。


思わず目を逸らす。


耳が熱い。


誤魔化すように、ぶっきらぼうに言う。


「明日、荷物取りに行ってこい」


「はい」


食事は、簡単に済ませる。


湯豆腐。


鶏団子も入った鍋から、湯気が静かに立ち上る。


「うまいな」


ポン酢で食べるのが一番シンプルでうまい。


「あっさりしてますね」


「あ。蒼井くんはゴマが良かったか?」


「買ってくれば良かったな」


「いいえ。美味しいですよ」


締めは雑炊。


煮立ったところに卵を落とし、刻んだ青ネギをぱらりと散らす。


「ふわふわですね」


素直に感心する湊に、少しだけ気分が良くなる。


「ほら、食べろ」


よそってやる。


思ったより、箸が進む。


「食べ過ぎです」


「いいんだよ」


「その分、明日動け」


湊の口元が、わずかに緩む。


食べ終わる頃には、空気が少しだけ柔らいでいた。


湊が、うつらうつらしている。


食べると眠ってしまうのか。


まるで子どもみたいだと、咲也は小さく笑う。


静かだ。


「さて」


立ち上がる。

寝床を整えるために

寝室へ行く。

そこで、気づく。


ベッドが一つしかない。


一瞬、思考が止まる。


考えてなかった。


もともと、人を呼ぶことを想定していない家だった。


当然、布団もない。


昨日は、考える余地もなく、


気づけば一緒に寝ていたが、


今日は、違う。


セミダブルとはいえ、

男二人では狭い。


わずかに息を整え、

寝室から顔を出して湊に声をかける。

「蒼井くん。歯、磨いてきな」


「……はい」


眠そうに目を擦りながら、

湊がゆっくりと立ち上がり、洗面所へ向かう。


水の音が、かすかに聞こえる。


頭を抱える。


「……どうする」


どのくらいそうしていたのだろう。

扉を開く音。

振り返ると、

湊が立っている。


湊は咲也とベッドを見て、納得したようにうなづいて、

「俺、ソファ借りていいですか?」


「いや、それは——」


言いかけた咲也を遮るように。


「じゃあ、一緒に寝ますか?」


その目が、すうっと細められる。妙に艶めいた視線。


直視できず、咲也は視線を逸らす。


「いや、いい。俺がソファで寝る」


「蒼井くんはベッドで——」


言い切る前に、ぐい、と引っ張られる。


体勢が崩れる。


そのまま、ベッドに押し倒される。

どこにそんな力があるのか、掴まれた手を振り解けない。


「蒼井くん……!」

相手を見上げて


息が止まる。


距離が、近い。

こちらを見下ろす、整った顔。

夜闇色の瞳に吸い込まれそうになる。

目を逸らせない。


鼓動が、やけに速い。


不意に

するりと、腕にかかっていた力が抜ける。


のしかかっていた重みが、ふっと消える。


「冗談ですよ」

両手を上げて湊が言う。

あっさりとした声。


言葉が、出てこない。

ーー

迷いなく距離を詰めてきた、あの日の夜。


躊躇いのない手。


逃がさないように、引き寄せられた感覚。

ーー

今は、来ない。


踏み込んでこない。


安堵と同時に

ほんのわずかに、物足りなさを感じる。


「驚きました?」


湊がくすりと笑う。


咲也は、大きく息を吐いた。


「からかうな」


「本当に、心臓に悪い」


それだけ言うのが、やっとだった。


ここまでお読み頂きありがとうございます。


同居初日でした。


静かなはずなのに、

咲也の心臓にはあまり優しくない夜だった気がします。


感想など頂けると嬉しいです。

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